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居心地の良い檻

まるで檻のようだった。
窮屈で、身動きが取りにくい。けれど、甘くて沼のような、一度入ると出たくなくなる。

初めて暮らした部屋はそんな部屋だった。

高校を卒業するまで自分の部屋がなかった。
プライベート空間と呼べるのはロフトベットの上、それも布団をかぶったとき限定。
リビングからはベットの上の様子がまる見えだった。

その環境が嫌いで、大学入学と同時に一人暮らしを始めた。

と言っても祖母の管理するアパート。
家賃は2万円で、とても安い。(元々とても安かったのだけどそこから割引が発生した。)
仕送りはもちろん貰わず、バイト代で生活した。
(自分がやりたいと言い、そこへ安くアパートに住ませてもらっているのだから当然。自分でやりくりしたいという思いもあった。)

家賃がとても安い家というのは、欠陥というか、良いイメージがないもの。
ただ、その部屋はそんなことはなかった。

お風呂、トイレ、エアコン完備。かつwifiも付いている。それでいてあの値段。

最高だった。
最高の自分の部屋を作ってしまった。

それが良くなかったのかもしれない。
隠れ蓑を作ってしまったのだから。


大学入学と同時期、僕は軽度の鬱になった。
親にはもちろん言えなかった。というか言わなかった。

実家へ連れ戻されることもあったが、普通に大学に通っている子のレッテルが剥がれた自分を見られるのが怖かった。

だから、部屋に篭った。
最高で、最悪な、甘くて、淀んだ、自分の部屋に。


部屋から一歩も出なかったのかって?
それはなかった。それでも、バイトの時間だけ。

バイトから帰る途中のやよい軒が唯一のご飯。
たまに、深夜までやっているスーパーで惣菜だけ買った。バイトのない日のために。

人に会うこともかなり減った。
バイト先の人か、腐れ縁の友達ふたりくらい。

バイトに行かない日は家にいた。
電気もつけず、何もしないままベッドの上に横たわった。
そのまま1日が過ぎていく。

生きているか、死んでいるのかわからない生活。
それがループをかけたように毎日続く。
生きている意味がわからなく日々。

そんな生活では費用なんてかかりようもないので、十分生活できた。
果たして、それを生活と呼んでいいのかはわからないけど。

それが半年くらい続いた。
感覚はかなり麻痺していた。

ある秋の日の夜中。
唯一会っていた友達と、いつも通りやよい軒でしょうが焼き定食を食べていた時だ。

彼は別のものを食べていた。
とても、美味しそうに食べていた。

なぜそんなに美味しそうに食べれるかわからなかった。
不思議だった味なんてしないのに。

その考えが脳裏をよぎった時。味覚すら失くなったんだと自覚した。

人ではなくなったような感覚。まさに生きる屍と言っても過言ではないような状態。

だからさ、死んでしまおう。そう思った。

人でなしは人間社会で生きていけない、自分にピッタリじゃないかって。
半笑いを浮かべながら思った。

涙は、でなかった。


夜中、生活臭たちこめる部屋の中。包丁を片手にゆらりと立つ。
きっと綺麗な紅い花が咲く、そんなイメージが頭に広がる。
この右手を引けばそれが叶う。


私を縛り、放さない、この甘美な沼のような部屋で死ぬのだ。なんて似合いな最後だろう。最後までこの部屋に縛られているのだから。

そう思いながら、

私は、



生活臭たちこめる部屋、窓から日差しが差し込む。
落ちた包丁と、染み一つないカーペット。

死ねなかった。

震える右手に力は入らず、引くこともできいないまま包丁を落とす。
死を目の前にして、死に怯えた。

笑ってしまう。

あれだけ死が耽美だと思っていたくせに、死にたくないなんて。
生きたいなんて。

あの夜、願ってしまった。
ただただ願ってしまった。生きたいと。
夢がなくても、希望がなくても、人でなしでも、願ったんだ。

だからさ、一歩だけ。
自分の意思を持って外に出たんだ。

外からの祝福なんて感じなかったし、満たされた気持ちにすらならなかった。

けれど、
諦めだけはつけれた。その瞬間に。


この先、夢とか希望とか、そんなたいそうなものが見つかるかなんてわからない。見つけたとしても、やり遂げるか自信はない。

ただ、一つ言えるのは。
「生きたい」それだけは叶えたいと思う。辛かろうと、楽しかろうとその願いだけは純粋なものだと信じれるから。

だから、部屋を出た。窮屈で、身動きが取りにくい。けれど、甘くて沼のような、一度入ると出たくなくなるあの部屋を。

私のたった一つの願いを叶えるために。さよなら告げた。

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