見出し画像

鈍くなることの大切さ。

 風邪を引いてから、ふと感じるものが変わった。
体が、一生懸命ウイルスと戦っているからだろうか。
普段なら気にすることも、あまり気にならなくなり、例えば人の対応とかまあ、いろいろ失礼な人の言動とか。笑。
自分の体のことで精いっぱいであるためか、まったく他人が気にならない。これは、ある意味ストレスフリー状態で、私が望む最も良いポテンシャルと言える。
この感覚を知ってしまうと、随時、調子を悪くしようとしていたなあ、むかし。とか、余計なことも思いながら、この心理状態は、年寄りの鈍さに近く、私は早くこのくらい鈍くなりたい、と思っている。
いつも、人より敏感であるため、些細な言動に振り回されやすく、心底、そういう部分が、早く鈍くなってもらいたい。これマジです。

たまに、年を取ると嫌だ、とか言う人がいるが、年を重ねることの良いことは、やはり鈍くなること。これに尽きます。
他人にいちいち左右されないあの泰然自若とした姿が、大変うらやましい。
まあ、言うて、私も中年なんですがね。障害の特性上、どうしても細かなことが気になり、敏感なんだよね。

また、不思議なもので、私は女性に冷たくされると悲しいが、男性に冷たくされるのには、ひどく慣れている。と、いうか、男には何も左右されない精神側面を持っていることがわかる。
しかし、女性に冷たくされると、いつまでもそれが気になってしまい、悲しくて仕方がない。これは、どういう心理なのか、と思い、自分なりに整理してみると、やはり両親に起因しているような気がした。

母親に冷たくされると死にたくなる十代の心理に近く、世界のすべての女性に愛されたいとは言わないが、冷たくされたくない、という奇妙な欲望を抱えている。
反対に言えば、すべての女性に甘えたい、という一種、男性が抱いて当然の欲求をなぜか、門外漢のわたしが、こっそり抱え持ってしまっていることに、少々当惑しかしない。
それとも、女性は皆、女性にだけは嫌われたくない、と考えているものなのだろうか。これも不思議なものである。
男性にはいくら嫌われても大丈夫だが、女性にだけは嫌われると耐え難い苦痛を感じるのは、やはり私が母体から生まれたからなのだろうか。

まあ、男女問わず人からは優しくされたい、というのは当然の欲求のように思うのだが、なぜか最近の社会は、他者に冷たい。
コロナのせいだろうか。それとも、私の心が敏感なだけなのだろうか。
そうだとしたら、早く鈍感になって、移り行く景色を呆然と眺める一人に成りたい、と希求する。
人はそのくらいのことでしか、安らぎを得られないのだとしたら、あまり心動かされない鈍さが欲しいのだ。

サポートいただいた、お金はクリエイター費用として、使用させていただきます。 いつも、ありがとうございます。