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近代の非超克 欠席した起源と主体性—文字神秘主義と科学

本論は、中国にある民間の現代視覚研究会「屋顶现视研」からのRAGS DRUM活動の前夜祭受賞作、かつ筆者の自由研究において作成したものです。
(トップの画像はEveの廻廻奇譚(Live Film ver)より)
受賞したページのURLはここではりつけます 近代の非超克‥欠席した起源と主体性 —文字神秘主義と科学 - 哔哩哔哩 (bilibili.com)


序論‥第一節 はじめに
   第二節 先行研究/知識の紹介
   第三節 理論的フレームと方法論
本論‥前編 東洋的な文字神秘主義
    第一節 西洋神秘主義
     1項 神秘主義
     2項 西洋的な神秘主義
     3項 文字神秘主義
    第二節 東洋にもあるのか
     1項 候補となった事例
      一つ 文字領域における諸事項
      二つ それは神秘なのか
     2項 東洋という性質の存否
      一つ 文字に潜んでいる独特性
      二つ それが東洋のものか
    第三節 東洋文字に神秘を
     1項 Early Modern Enchantment的な要素
     2項 The (Post) Modern Occult的な要素
     3項 Inner Traditions的な要素
    小結 生活を充たす神秘
   後編 近代という時間への執着
    第一節 欠席した起源
     1項 中国の神話学研究
     2項 神の時間と漢字の時間
     3項 時間系譜とその位置
    第二節 欠席した主体性
     1項 捨てられた地に語り続く
     2項 第三者の審級へ到達の不可能と不能
     3項  Birth of The Subjectと主体の難産
    第三節 「神秘—宗教—科学」というモデル
     1項 Absoluter Geistと科学の進歩
     2項 神は神で、人間は人間で
     3項 残されたのは神秘
    小結 近代の非超克
結論‥第一節 あまりにも非近代的な
   第二節 細長い道と広い空へ
コラム 呪術の世界と豊穣の世界
本論の貢献と限界
レファレンス

序論

第一節 はじめに

 近代において、われわれ東洋の近代化は西洋に対する模倣である、ということは明らかな事実である。その状況を破ってポストコロニアリズムを含むポストモダンの世界の中に自分らしく未来を再挑戦するため、過去を振り返り、非近代的な要素を見出すことが極めで重要である。それこそわれわれが長い時間の中に足らなかったもの、決して何かに振り舞って、近代の超克とされるものではない、むしろそれは近代の非超克だ。

 近代の非超克のうち、一つ重要な要素は神秘(学)である。近代西洋を観察すると、その知の体系の重要な特徴とは「神秘—宗教—科学」である。科学と宗教について深く認識を持っているということと神秘に深く認識を持っていることは同じではない。なぜわれわれはその深く神秘という範囲には明確な認識を持ってなかったのか。その問題とともにわれわれ自身、特に文字領域に生起する現象を通して、その問題を答えたい。

 

第二節 先行研究/知識の紹介

 大澤真幸さんの社会学(史)と哲学、白川静さんの文字学、現代西洋の科学哲学と科学史及び神秘学、中国に内容する神話学。具体的な書目はレファレンスに。

 

第三節 理論的フレームと方法論

 近年西洋で発展した神秘学に関する学術体系を参考し、神秘学に特徴つけのモデルを使用し、東洋的な文字神秘主義に属する現象を規定しながら分析するかたちになる。そのあと、東洋文字神秘主義の内容を用い、近代の特徴の一つとしての科学の特徴と対比させ、東洋世界において「神秘—宗教—科学」パラダイム転換が現れなかった原因を分析し、最終その原因となる要素はいかにして今でも東洋世界を近代の非超克の状況に保っているのかを検討する。

本論‥前編 東洋的な文字神秘主義

 第一節 西洋神秘主義

  1項 神秘主義

 神秘主義は、WOUTER J. HANEGRAAFFにより、現代おいてもともと宗教領域の研究事項であり、定義をしづらいものである。研究の進入と共に、何かの今まで公衆と学術界に無視されたもの、その中には神秘学がある。

 特徴のとりわけとして、科学にも哲学にも属しない、しいて言えばそれは宗教と見なすこともあまりにも不適切である。

 例として取り上げられできるものは、たとえば『ハリーポッター』中の魔法、『鋼の錬金術師』中の錬金術、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの「クトゥルフ神話体系」。現実的かつノンフィクション的なのはユダヤ教における「カバラ知識」、日本では「密教」、中国では「道教の神仙思想」がある。

  

  2項 西洋的な神秘主義

 では、その神秘主義あるいは神秘主義という内容を選び出すために、何かの原則があるのか。WOUTER J. HANEGRAAFFが三つのモデルを提起した。それはEarly Modern Enchantment、The (Post) Modern Occult、Inner Traditions。それ以外はThe Rest of The West: Judaism, Christianity, Islam、すなわち宗教範囲中の神秘主義である。

 以上は西洋神秘主義の主な特徴であり、われわれの論に基準となるのは宗教内部神秘主義以外の三つのモデルだ。

 

  3項 文字神秘主義

 文字神秘主義は本論の後文に繰り返し提起続ける概念である。実際にWOUTER J. HANEGRAAFFの三つのモデルを運用し、東洋の文字神秘主義を分析する前に、西洋の文字神秘主義を少し記述しておこう。

 神秘主義というものは、広い意味で人間は神と、あるいは高くなる意志と何らかの手段で繋がることができる思想(注1)であり、文字神秘主義というものは文字に手段でその目標達成する思想である。

 顕著の西洋文字神秘主義の一つはイスラム教の文字神秘主義である。井筒俊彦はその方の大家だ。だが、本論は井筒さんの研究とあまりの繋がりないため、これ以上は述べない。それ以外、かつ宗教以外の文字神秘主義として挙げられるのは魔法である。詠唱と違って、魔法を発動する前に一定の位置で書かなければならない文字がある。この魔法を発動するため書かれた文字と似たような現象が後文で分析のピンポイントとなる、それでここで先に提起していた。

 

 第二節 東洋にもあるのか

  1項 候補となった事例

   一つ 文字領域における諸事項

 われわれの生活の中には考え直すべきことがいろいろある。次でいくつかの例を挙げてみよう。

 ごく普通の生活の中に、そういう言葉あるいは文がよく見られる。この文章を読んだら癒された/感動された、とある文字が現実を変える力がある、と。

 神社や寺に行ったときに人が絵馬の余白のところや裏側で祈りの内容と名前を書く、それによって自分の願いを叶えますように、と。

 現実世界の例がいろいろ挙げた上で、非現実世界の例を挙げてみよう。昨今ゲーム界で大人気となった隻狼とエルデンリングを対比してみよう。エルデンリングで聖杯瓶や霊薬を飲んだ時もしくは苔薬を食べたときにはキャラクターからいろんな色のオーラが出で来る。だが、隻狼をプレイした時現れたのはただのオーラではない、共に現れるのは漢字であった。襲われる時には隻狼の上に「危」があり、死んだときは「死」、竜印の力で蘇生した時は「回生」、それ以外も「治」、「鬼仏見出」、「防」などがある。

 

   二つ それは神秘なのか

 それらの現象は神秘という定義に当たることができるのか。

 現代心理学的にいえば言葉はただ人が社会性を持つ生き物としてのメッセージを交換する行為の手段だけだ。それ以上には何も物理的な力も持っていない。もし怪我したら文を読んだ後傷が癒されることもできないし、もちろん自分が動かないときにも動かせられることも生じない。

 神社で絵馬を掛ける事例は明らかには宗教と似たような気持ちあるいは意図を参拝客が持っている。

 最も興味深いのはエルデンリングと隻狼の例だ。エルデンリングで出血した時に画面で「Blood Loss」が現れる、隻狼と違う。それはキャラクターとともに一体になれる要素ではない、設置オプションでUIに非表示でもプレイが障害を起きない。だが、隻狼の「死」を消したら復活するタイミングがよく把握することができない。ゲームプレイに障害が起きる。

 ここでの漢字が起こっている効果は普通のUIと違い、ビジュアル的なゲームの中核要素になっている。その漢字に通して物語(ナラティブ)と直接繋がっている。

 ここで、まえに述べた定義によって、神秘というのは神と、あるいは高くなる意志と文字に手段で繋がることができる思想である。ここで確信できるのは上に述べた例に無意識的に物理的力と違って、それ以上の力を求めていることである。言い換えれば、求められるのは現世の力ではない。それは科学以外の力だ、それを神秘ということもできる。

 

  2項 東洋という性質の存否

   一つ 文字に潜んでいる独特性

 前項で述べたように東洋にも神秘というものがある。だが、それは東洋特有なものなのか、それとも世界中の文字が共通しているものなのかを、ここで考察する。

 漢字の特性を考えでみよう。

 世界で最も使われている文字はおそらくアルファベットと漢字だ。アルファベットと真逆、漢字は「見たらですけど、だが読めない」という性質を持っている。それは中国でも、日本でも、あるいは東南アジアでも一緒だ。この性質は「表意」とも呼ばれる。

「表意」は、一文字は意義の最小単位として活動し、英語などの単語が単語以下でも意味を表す接辞があると違う性質である。しかも、その伝われた意味もほとんど文字の読み方と関係しない。漢字の意味はそのビジュアル形態と強く関連している。それが漢字の独特性である。

 

   二つ それが東洋のものか

 前で述べたように、漢字は表意文字であり、その意味は発音と基本的な対照関係が持っていない。西洋のアルファベットは文字の並ぶ順と少数かつ特定の発音ルールに従うと、文の意味も発音も明白に取り分けられる。この意味での漢字の特徴は東洋に特有な性質とも言えるだろう。

 まとめとして、東洋の文字において確かに神秘というかつ独特な性質が持っているという結論に至ることができる。

 

 第三節 東洋文字に神秘を

  1項 Early Modern Enchantment的な要素

 前も述べたように、神秘的な思想を明白な鑑別をあたえるには極めて困難なことだ。それは神秘たる思想は今のとこReligious Supermarket(注2)というところに隠されているからだ。その現象を鑑別するためにWOUTER J. HANEGRAAFFはこの三つのモデルを提起したのだ。

 Early Modern Enchantment(注3)のキーワードはEnchantment、すなわちなにかに魔力を付与すること。Early Modernは近代科学が主導位置を取るときだとしても、あえてその科学的な世界観と反発する現象を起こす力を持つ主張である。キーポイントとなるのは科学的な時代設定。もし科学がいない時代に生きているならば、Enchantmentはむしろこそその時代の人々の思想のパラダイム。科学革命が現れる境界線としてのニュートンの時代の錬金術のように、まだ生まれなかった科学とともに、その時代の思想主流となった。

 今日の世界は現代世界(注4)、近代化した世界とも言える。こんな世界に日々を送っているわれわれの周囲に起こる現象を分析してみたい。

 アニメ『野良神』に主人公たちが神器との繋がりの鍵となるのは文字である。夜トが雪音を刀として召喚するとき使用した字は篆書と似たような「雪」の文字である。雪音すでに死んでいる霊となったことを、加えて夜トは神として身分と科学世界にいない力としての刀の神器、これは漢字で手段としての神秘思想ということが言えるだろう。

 もう一つWOUTER J. HANEGRAAFFの本の中に対比となるのはアニメ『呪術廻戦』OPに文字が飛び出したシン。『野良神』と同じ現代化した科学世界に舞台を取る作品として、傷から飛び出したのはただ体の機能を維持する体液ではない、人々の見えない怨念が純化した集合体だ。この集合体はWOUTER J. HANEGRAAFFが提起したLiving Nature(注5)と似ている。この集合体の中にあるものは巨大時計のパーツと違い、ある形がない生命力を持っている。

ドラマ『言霊荘』第一話の呪い払いのシンでもそうだ、漢字を含める文は呪い払いの重要な媒介となっている。

 近代科学の大前提そして重要な特徴となっているのは自然の斉一性原理(注6)。それは「万物は過去から未来まで一定の法則に従っているのだ」という思想。『野良神』の神器も、『呪術廻戦』に飛び出した文字も、『言霊荘』の文も同じ、自然の斉一性思想と対立している。

 

  2項 The (Post) Modern Occult的な要素

 The (Post) Modern Occult(注7)のキーワードはOccult。Occultは「隠された、見えない」を意味している。この項はEarly Modern Enchantmentが示す現実に呼べられる力と違って、隠蔽されたのはその見えないのもの源泉なるものである。科学の自然の斉一性原理の「過去から未来まで」と違って、神秘思想の源泉たるものは「明確な歴史を持たざるもの、あるいは歴史の深さの欠くもの」。むしろ歴史の欠席によってその神秘たる知識は神秘のままの状態を保っている。

 『呪術廻戦』OPの『廻廻奇譚』が進行するときいろんな文字がある。1項で述べたLiving Natureに字が無前提的な動きの特徴を除いて、一番感じられる感覚は「時間の無さ」。その原因となった一つの性質は表意における「読みの不要」。アルファベット単語を読むときとかかる一定量の時間と逆、その文字は読むによって意味取ることができない、ゆえにその文字を理解するための過程は聴覚(約340m/秒によりかかる時間)なものよりも、視覚(約30万km/秒により時間の短さ、あるいは無さ)的なものである。その第二の原因となったのは漢字系の文字(甲骨文字から漢字まで)系譜に対する認識少なさである。本論後編で論じるように、二千年近くの歴史を持つ漢字とおよそ数千年の歴史をもつその親としての他の類の文字に対して、われわれはその系譜の源たる甲骨文字(注8)についての研究と認識の時間は僅か百年に過ぎないからだ。これは神秘(隠蔽)の原因とも言えるだろう。

 その隠蔽が証明されるもう一つの側面は西洋の神秘思想の中にある(注9)。神秘思想は現代化するとき、その宗教領域における拡張の道標はまさに東方の神話である。Orientation(指導)はOrient(東方)に語源をして、このためだ。この時点で、東方の神話と歴史の源の曖昧さをすでに東洋の範囲をこえ、東洋/世界の二重意味のOccult(隠蔽)の支えとなっている。

 神秘思想のOccult的な特徴は現代科学の「知の増殖」(注10)と対立している。もしその「知の増殖」を成立させる原因は宗教から哲学までの「神の光は我ら進む道を照らす、ヘーゲルの弁証法によって最終的にAbsoluter Geistに必ず到達することができる」の隠喩となれば、神秘思想の隠蔽はまさに「神のところに真っ暗で、だがその力はわれの下にある」の隠喩である。その結論は「知の増殖」の阻碍となった。

 

  3項 Inner Traditions的な要素

 Inner Traditions(注11)は内なる伝統。すなわちそれを勉強できる人はただごく僅かの一部であるということ、そしてその内なる面には社会、歴史や文化がいかなる違うでもずっと変わらないものがある。それはTure Esoteric Spirituality(真なる秘伝の霊性)(注12)である。その霊性を教わる人は神秘宗教団体にある。

 アニメの例をあげるには『呪術廻戦』にある。直接な文字の例ではないだけど、狗巻棘の呪言師の身分は伝承によって得られたものだ。それは人々が生まれからすでに持っている言語能力と違い、普遍的な能力ではない。

 現実的に見れば、じつは漢字もおそらくそれと似たような性質を持っているだろう。この性質は「訓読み」(注13)だ。訓読みの漢字はただそこで並んでいて、その字に同時にいくつかのセットの音を与えで、おかしいと思えないだろう。漢字における訓読みは、その原因を「複雑で混乱し、時とともにこの混乱を深めていく文字体系は、門外漢には近づくことの出来ない、学者階級の排他性を温存するのにこのうえなく役立った」更に「世界中のどの国においても、封建時代には読み書きの能力は、限られた階級の人士、とりわけ僧侶たちの所有するところとなる」にこの二つの論点に追跡することもできるだろう(注14)。

 この伝承の理不尽さは近代科学の「反証可能性」(注15)と対立している。ニュートンが提起した重力の法則はこの世界において誰でも検証できるのこと、もしそれが間違えたら、そのモデルを考え直し、もっと広い範囲に適用するモデルを再提起したらいい。この伝承はその共時的な普遍性を拒否している。

 

 小結 生活を充たす神秘

 ここで本編までにいたる主題と結論を確認しておこう。

 まずは神秘思想あるいは神秘主義というのはある手段に通して、神とあるいは高層的な意志と繋がりを取る思想であり、文字を手段として捉えるのは文字神秘主義である。

 WOUTER J. HANEGRAAFFの三つのモデルを用い、われわれは東洋における現代世界の神秘たる文字現象を見つけた。霊性で満たす言霊とその呪い払いの呪文でも、アニメとゲーム中の中核要素でも、それともわれらの言語教育にある訓読みでも、この神秘という基準にいたる。この神秘は、われわれに居る現代世界の科学のパラダイムを超え、超越的な姿勢で存在している。

後編 近代という時間への執着

 第一節 欠席した起源

  1項 中国の神話学研究

 単に体系的に言えば、中国は明確な神話体系を持っていない。三皇五帝でも、女媧と伏羲および盤古の物語でも、ギリシャ神話あるいは一神教のような統一的な特徴を持ってなく、白川静から引用すれば「神話が神話としてその形式で伝承されることがなく、そのためしばしば中国は神話なき国とよばれ、 その神話は枯れたる神話であるといわれた」(注16)と。神話学者袁珂も似たような言葉があった「中国の神話が秦と漢の古き文献に隠されて、ギリシャのホメーロスのような人にであいがなく、長くかつ系統的な神話体系が形成されなかった」(注17)と。今のところ中国神話を記述している文献はたいてい漢字で、甲骨文字ではない二次文献のかたちで残されている(同注17)。

 二つの引用の中に、中国は明確なかつ体系的な神話体系が残れなかったということを判別できる。神話体系の枯れはすなわち精神起源の枯れである。

 

  2項 神の時間と漢字の時間

 ここで時間のはなしをしてみよう。

 宗教改革したときのプロテスタントが、このような時間感覚を持っていたのか。予定説で、われわれ人間は生まれから原初の罪が持っていて、受肉したキリストが死でわれわれの信仰を受けて入れた。そして、最終審判の日がくるとき信者は救いが得る。神は全知全能で、世界が始まるときにすでにすべてのことが知った。人間はその救済を得るか否かをしらなく、ただ一生の行動で最後の日まで送り続ける(注18)。

 漢字の時間はそれと逆に、神話を持っていないとも言えないけど、その無系統な神話体系があって、加えて漢字に属する文字文化の形成が起源としての甲骨文字とあまりにも大きい距離がある。結果は漢字の文字文化的な時間の源は今までも曖昧な状態であった。

 起源というのは記憶と似たようなものである(注19)。現代科学的な意味では、人は過去に経験したことの記憶に基づく未来を予測する。比喩で言えば、過去の記憶をもってないと、ある程度には未来のやりたいことも覚えできないだろう。この意味では漢字文化は、真実か偽りかはともかく、一番重要な自分の起源に関する記憶がなくなった。言い換えれば、元の位置にあるはずの起源の記憶が欠席な状態となった、しかもその状態が今まで残り続けている。

 

  3項 時間系譜とその位置

 科学史、科学史哲学者吴国盛の研究により、漢字で形成された文学の考察が漢字文化の時間感覚を表すことができる(注20)。

 簡単に言えば、古代中国には循環する時間感覚とリニア時間感覚両方も持っている。それと対立しているのは極端かつ単純な時間感覚をもっているキリスト教とインド文化。キリスト教文化は、前と述べたように極端なリニア時間感覚に属していて、インドは極端な循環的な時間感覚に属している。現代科学を生み出すのはキリスト教におけるリニア時間感覚であった。

 

 第二節 欠席した主体性

  1項 捨てられた地に語り続く

 大澤真幸の研究(注21)により、宗教改革が発生した時期にカトリックの告白とプロテスタントの告白は「話し言葉—書き言葉」の時間感覚と告白結果の存否によって真逆な結果を導き出した。神との関係が相対化した結果にとってカトリック信者は現世で自分の罪から解放される心理効果を得ることができる。日記を書くプロテスタントの告白はリニア時間感覚の中に自分で罪を悔い改め続ける。

 精神的な起源(原罪)を持つ、日記で自分の一生を悔い改めによって、日記中の「語る私」と「語られた私」の分別が生まれくる。比較的に言えば、精神的な起源(明確な神話体系とリニア時間感覚)を持たない漢字は「語る私」と「語られた私」の分別を生む可能性はあるはずではなかった。実質的に見れば、漢字文化圏も日記という文学形式の誕生地ではなかった。

 

  2項 第三者の審級へ到達の不可能と不能

 フーコーが考察したパノプティコンは絶対王政時期の王の二つの体の純化であった。そこで自然の身体が抽出され、残されたのはただ政治の体であった、そこには「規律訓練型」と剰余権力がある(注22)。

 日記を書くことで悔い改めるプロテスタントの告白は「神≒パノプティコン≒第三者の審級」の支配下に自分のアイデンティティを問い続ける表象。日記中の「語る私」はほぼ「第三者の審級」と等しい位置をえた。だが終極的にはそれが不可能であり、けれど「語る私」は繰り返した(リニア時間感覚的な)問いに第三者の審級の代理人となった(注23)。

 対比に見れば、リニア時間感覚と循環的時間感覚を共用する漢字文化は、たとえ一時的に第三者の審級を接近することができれば、循環的時間感覚の影響によってまた元に復ち返るだろう。これは第三者の審級へ到達の不能である。

 

  3項  Birth of The Subjectと主体の難産

 その問いの時間を極限状態まで縮めると、第三者の審級の代理は問い続ける「語る私」と一体となってくる。この時、The Birth of The Subject(近代的な主体の誕生)が完成された(注24)。

 霧にまみれた漢字を振り返り、第三者の審級の自己受肉はほぼ不可能であった。もちろん、漢字を使用している人々が近代的主体の受肉は不可能であるということをいいではない。漢字を使用している人にとって近代的主体の受肉は可能であり、だが実現する過程はおそらく他の言語の力を借りた結果だろう。精神的に言えば、漢字が直面している困難はまさかの主体の難産だ。い換えれば、現在の時系列にあるはずの主体性が欠席な状態になっている、しかもその状態がここから残り続けていくだろう。

 

 第三節 「神秘—宗教—科学」というモデル

  1項 Absoluter Geistと科学の進歩

 近代の科学の知の増殖は、前で述べたように、ヘーゲルの弁証法と関連している。さらにこの弁証法の源を問えば、前節の宗教環境の主体の誕生と繋がる。これは宗教領域から哲学領域の隠喩である。このことによって、近代科学の進歩の源が確保された。

 

  2項 神は神で、人間は人間で

 時代の進みによって現世の諸事項が真理のとしての科学の仮説の集合で解釈される。神の超越性とともに反証不可能なものは偽命題とされ、神の救済は現世不可知のままにしている。遥か神の国に仰いながら、人間の世界が繁栄していく。

 

  3項 残されたのは神秘

 後編の最後として、ここで前編に繋がりありのことがくる。自然(世界)の斉一性原理と知の増殖によって盛んでいる人間の世界にはまだ不可解な現象が残されている。その何かが残したものは、すなわち神秘である。まるで審判の日が来るか否かの答えを知らずのように、神秘の正体が明らかになる日がくるかもしれないだろう。まぁ、内なる第三者の審級とともに未来に走っていくか。

 

 小結 近代の非超克

 ここで本編までにいたる主題と結論を確認しておこう。

 漢字にとってその自身の起源は曖昧でかつ欠席だった。そして、混じっている時間感覚とともに漢字にはまだ主体性が生むことできなかった。これをできた西洋文化が「神秘—宗教—科学」というモデルを発明した。

 

結論‥第一節 あまりにも非近代的な

 本論は東洋の文字領域における諸事項を考察した。WOUTER J. HANEGRAAFFが提起した神秘主義を分別する三つのモデルに用い、東洋文字神秘主義たる現象を分析した。そして、この種の神秘思想が超越的な姿勢でわれわれの生活に充たしていることも確認した。

 さらに神話学と文字学/文学の視点からその超越的な姿勢、すなわち起源と主体性が欠席したことが確認した。最終的に「神秘—宗教—科学」のモデルを用い、それに基準としての意味で、東洋はまだ「近代の非超克」という状態に残されているという結論にいたした。

 

 第二節 細長い道と広い空へ

 図に示したように、われわれ人間はまさにこの細長くかつ広げ続ける道で歩みている。地が隠喩しているのは反証可能な科学、空気みたいなのは宗教の領域、そして大気層と接触しているのは残された神秘。今の段階で見れば、手に触れることがまだまだ少ない。だが、いつの日かその広い空へ出発するだろう、と。私はそう考えている。


図一

コラム 呪術の世界と豊穣の世界

 本編で考察したように、今でも漢字を使用している東洋世界がその紛らわしい呪術性/神秘性に魅了されている。このため、われわれの精神世界はまだ未成熟の姿のままたんだ。その未熟さによって起きた災もあった、それを多くの東洋学者の研究にも見られる。

 だが、甲骨文字の出現と解析とともに、そのあやふやさを終わらせるチャンスがきているかもしれない。白川静さんの甲骨文字および上古文字の人類学と神話学などの領域の研究によって、目の前に現れたのは豊穣たる古代の世界。文字に潜んでいる思想の世界が蘇る。白川静の研究をすすめ。

本論の貢献と限界
 いろいろな論証が他の本にすでに書かれているため、本論はここまで順調に論述することができる。
 主な貢献はWOUTER J. HANEGRAAFFの神秘学研究成果を用い、東洋世界の神秘たる現象を分別と分析すること。として大澤真幸のコンテクストにあわせて、東洋世界の近代の非超克の状態を導き出すこと。
 限界としては各部分の繋がりまた弱いこと、そして東洋神秘主義に深く進入がなかったこと。未来の探索点は神秘学と主体性に関する表象の解析。

(注1)広い意味では、神秘的な実践も含まれている。
(注2)WOUTER J. HANEGRAAFF. 2013. Western Esotericism: A Guide for the Perplexed. BLOOMSBURY: 120.
(注3)同上、五頁。
(注4)ポストモダンも含まれている。
(注5)同(注3)。
(注6)「自然の過程が如何なる時も斉一的に同じである」という原理が因果関係の前提となっていることについては、デイヴィド・ヒューム、大槻春彦訳『人性論』(岩波文庫、一九四八年 ─ 五二)第一篇第三部第六節、第一巻一四九頁。(本注は小熊英二 二〇二二『基礎からわかる 論文の書き方』講談社、一二四頁より)。
(注7)同(注1)、七頁。
(注8)現時点で甲骨文字は確かに漢字の源である。
(注9)同(注1)、一三二頁。
(注10)大澤真幸 二〇二一『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社、第13章。
(注11)同(注1)、十頁。
(注12)同(注1)、一一頁。
(注13)田中克彦 二〇一七『言語学者が語る漢字文明論』講談社、第三章。
(注14)田中克彦 二〇一七『言語学者が語る漢字文明論』講談社、第三章、本注はその二次引用。
(注15)論理実証主義者以降の議論を想定しています。本文中の「検証」が verification なのか、 confirmation なのか、corroboration なのかは、ここでは深入りしません。関心のある人は戸田山和久『科学哲学の冒険 ─ ─ サイエンスの目的と方法をさぐる』(日本放送出版協会、二〇〇五年)五五 ─ 五六、七七頁を読んでください。論理実証主義への歴史的評価としては伊勢田哲治『科学哲学の源流をたどる ─ ─ 研究伝統の百年史』(ミネルヴァ書房、二〇一八年)や野家啓一『クーン ─ ─ パラダイム』(講談社、一九九八年。『パラダイムとは何か ─ ─ クーンの科学 史革命』と改題して講談社学術文庫、二〇〇八年)第二 章がわかりやすいです。(本注は小熊英二 二〇二二『基礎からわかる 論文の書き方』講談社、八九頁より)。
(注16)白川静 二〇〇三『中国の古代文学(一) 神話から楚辞へ』中央公論新社、第一章第三節。
(注17)袁珂 二〇一五『中国神话史』北京联合出版公司、序論。
(注18)大澤真幸 二〇二一『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社、第11、12章。
(注19)大澤真幸 二〇二一『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社、二九七頁。
(注20)吴国盛 二○○六『时间的观念』北京大学出版社、第二章。
(注21)大澤真幸 二〇二一『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社、第17章。
(注22)大澤真幸 二〇二一『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社、第16章。
(注23)同上。
(注24)大澤真幸 二〇二一『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社、第17章。

レファレンス
WOUTER J. HANEGRAAFF. 2013. Western Esotericism: A Guide for the Perplexed. BLOOMSBURY
大澤真幸 二〇二一『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社。
大澤真幸 二〇一四『〈世界史〉の哲学 東洋篇』講談社。
吴国盛 二○○六『时间的观念』北京大学出版社。
袁珂 二〇一五『中国神话史』北京联合出版公司。
田中克彦 二〇一七『言語学者が語る漢字文明論』講談社。
白川静 二〇〇三『中国の古代文学(一) 神話から楚辞へ』中央公論新社
小熊英二 二〇二二『基礎からわかる 論文の書き方』講談社

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