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劇場までの道のりが辛い季節です(2024年7月の観劇記録)

連日の猛暑(とゲリラ豪雨)にも負けず、3作を観劇。


オーランド


これは何とも難解だった。
PARCO劇場×栗山演出ということで、2021年に観た「ザ・ドクター」のことを思い出した。(あれも難しかった)
劇中に宮沢りえさんの録音した音声を流すシーンが何回かあったのだが、「ザ・ドクター」でも大竹しのぶさんの録音した音声を流していた気がする。

一幕は、短いエピソードがいくつも羅列され、一つのストーリーというよりかは、短編小説のような趣だった。
二幕になると、宮沢さん演じるオーランドの独白が多くなり、より概念的な内容になっていたように感じた。
物語の終盤では、オーランドが突如ハンドマイクを手に意見を主張し始めたり、舞台奥のスクリーンに戦争など現在の映像が映し出されたりと、これまでのテイストと大きく異なる展開が繰り広げられた。

…と、書き出してみて、改めて自分があまりピンと来ていなかったのだなと思う。ヴァージニア・ウルフさんの原作を読んでいたら、もっと理解できていたのかもしれないが…。

とはいえ、この座組で舞台をやるのであれば、もっとふさわしい戯曲があった気がする。

オセロー

オセローを観るのは、昨年のナショナル・シアター・ライブ(NTL)以来。
NTL版はこの作品を上演する意義を考えた今日的な演出だったが、今回の文学座の上演は蜷川さんのいうところの大衆演劇的な演出だった。

↑当時の感想はこちら↑

演出

今回の演出の特徴としては、
・前半がややコメディタッチ
・亡くなったデスデモーナとエミリアが亡霊?となって、成り行きを見つめている(レミゼのエピローグみたいな感じ)
が挙げられると思う。

一点目に関しては、悲劇において、前半は笑いを交えることで緩急をつけるという手法は、よく用いられることだと思う。
(大学の講義で、「ロミオとジュリエット」ではそのような手法が用いられており、乳母がコメディリリーフ的な役割を果たしている、と聞いたことがある。)
ただ、今回の場合、オセローとイアーゴのやり取りでの笑いどころが多く、この二人がそうした役割を担ってしまうと、後半の展開にスケールダウン感が生じてしまうな、と感じた。

二点目に関しては、斬新ではあるが、いささかロマンチック過ぎると感じた。
ラストが、「死後の世界で、オセローとデスデモーナが再会できた」みたいな雰囲気だったが、それをしてしまうと、作品の根本が変わってしまう気がする。
あと、「無実なのに殺されたデスデモーナ(妻)がオセロー(夫)を赦す」という構造に見えてしまって、これはいただけないと思った。

また、劇全体を通して、客席降りをふんだんに取り入れており、これはとても良かった。
2階席や3階席があるような劇場だと、逆に没入感を削いでしまうこともあるが、今回の東京公演の会場である紀伊國屋サザンシアターでは、客席降りがいい効果を生み出していたと思う。

キャスト

さすがは文学座という感じで、皆さん口跡が良く、シェイクスピアの膨大なセリフが全て客席に届いてきた。
ただ後半になるにつれて、キャストによっては叫ぶような台詞回しをしていて、「もっと抑えた芝居でも言葉が届くのにな」と思ってしまった。

今回の注目は何といっても、約2年ぶりに復帰されたオセロー役の横田栄司さん。
舞台を掌握するようなパワーのある演技で、お元気そうな姿を観ることができて何よりだった。
デスデモーナ役のsaraさんとの年齢差も、戯曲の説得力が増すポイントになっていた。

モダン・ミリー

2022年にも上演していたけれど、今回が初見。
エニシングゴーズ」に何だか似ているなと思ったけれど、「エニシング・ゴーズ」の初演が1934年なのに対し、「モダン・ミリー」の初演は2002年と、割と最近だった。(同名の原作映画は、1967年公開)

往年のミュージカル・コメディの雰囲気を感じる楽しい作品だった。
今回の再演にあたって、時代に即するよう、ブロードウェイのクリエイティブ陣が脚本をアップデートしたらしい。
そのおかげもあり、引っかかるポイントもなく、素直に楽しむことができた。
(特に、チン・ホー役の大山真志さんはカタコトの日本語で喋る部分を丁寧に演じられていて、笑いどころにならないよう、気配りされているように感じた。)

キャストでは、何といっても、廣瀬友祐さんの演技が光っていた。
2022年の初演時、読売演劇大賞にノミネートされたのも納得。
あくまでも役柄の中で笑いを取っていて、役者の自意識が透けて見えない感じが好印象だった。


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