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天使というテロス—現代川柳=メディア論

 およそ川柳とはメディアであり、すなわち媒介することである。メディアというものが、「ある現実」から「べつの現実」への橋渡しであるならば、川柳とはどこからどこへ媒介しようとしているのか、という問いがまず立つ。
 ここでは同語反復めくが、「ある現実」を「川柳の原素」としよう。それを575に置き換える、すなわち川柳=句という「べつの現実」として変換するのが「川柳をつくる」ということのメカニズムになる。
 このあたりの、「では、媒介されることにいかなる意義があるのか」ということを詳しく見ていくために、少し遠回りをしよう。
 川柳とは言葉である。「言葉派」という言葉をここでは使わない。言語表現が本質的に言葉であるのは前提である。いかなるメッセージを込めたとして、それが「言葉の上に乗っている」という点において、まず言葉が先立ってある、ということを確認しておけば済む。
 では、言葉が言葉として、作品として屹立しているとはどういうことか(言葉が垂直に立つ、と言い換えることも当然可能だ)。言うまでもないが、ある言葉がいかにして奇矯であるか否かは、その「言葉」単体では成り立たない。一句のなかである言葉とべつの言葉が、いかにかけ離れているか。そしてそれらがどのように結びついているか。この「関係」によってはじめて「言葉」の奇矯さ、すなわち「意味のずれ」が発生してくることになる。
 であれば、なによりも川柳とは関係であった。
 ならば、「ある現実」(ここにおける現実とは超現実的な現実もふくむ、なまの現実である)から「川柳」に媒介されるとき、なにが橋渡しされているかと言えば、「関係」という「こと」自体が文脈から文脈へうつしかえされているのだった。
「関係」をうつしかえる、とはどういうことだったか。それはあるものとあるものの離れ方であり、結びつき方であった。と言ってしまえば、その離合とは、それ自体が「橋渡し」であり、「媒介」ではなかったか。川柳がメディア=媒介であるというのは、この一点に集約される。川柳とはメディアを内包している。あるいは、メディアに川柳は内包されている。川柳をつくる、ということは即ち「メディアをつくる」作業に他ならなかった。
 そして、いま、ここの世界——われわれが生きてあるこの世界——ほど、「メディア」によって犯された世界はなかったのではないか。われわれはメディアのなかに生きている。ここのメディアがたとえばインターネット、という「もの」に限定されて考えられるべきではない。朝の目覚め、昼の労働、夜の眠りにいたるまで、われわれは常に「媒介」されている。生の終始にわたって、ある現実からべつの現実に媒介されて生きていると言ってよい。マスメディア、というものさえ実はどうでもよいのだ。われわれの生が媒介の上になりたっている、というのはもっと根源的な「人間」の変容の結果であり、それは長い(そして短い)人間の歴史の集積としての結果である。
 ならば、この媒介=関係としての世界をうつしとるのに、川柳ほど適したものはなかったのではないか、というのがさっき述べたことだ。というよりむしろ、媒介しない川柳ほど存在意義を失ったものはない。
 とは言え、どんな作品であれ、それは媒介する。川柳が川柳としてあってしまった時点で、またしても同語反復めくが、メディア=媒介であってしまうのだ。「つくる」というのは結局こうしたことであり、川柳としての意義を問うポイントではない。
 ただ、ここで非常に際どいことだが、「メディア=媒介」をどこまで意識しているのか、という意識のレベルは問われる。
 たとえばSNS上であれ、同人誌上であれ、あるいは新聞柳壇上であれ、そこに発表される川柳はメディア性をもつ。この「メディア=媒介」という骨格を、どこまで自覚的に川柳作家たちはとらえているか。
 問われるべきはその創作態度であり、そのうえでの創作物のありかたである。
 川柳というものは関係であった。換言すれば「つくるもの」と「つくられたもの」の関係そのものをあらわにされるものであった。(ここで能記/所記の構図を見立てることもできるだろうが、今は深入りしない)。
 今日、どれだけの川柳作品がこの「関係そのもの」に自覚的であるのか。という問いを立てなければならないほど、いまの川柳作品には無自覚が蔓延っているようにみえる。
 たとえば石田柊馬の「問答体」へのとりくみは、徹底的に「関係」への問いであった。だから石田柊馬の句は「メディア=媒介」への絶えざる挑戦であり、「今日」という媒介への自覚であった。
 新しい世代の書き手、まず人々が挙げる暮田真名において、何が鮮烈だったかと言えば、言葉の関係というものに、関係の関係というそのものに自覚的な撹乱を行っていた点に帰する。だがこのところの暮田の作句活動において、その自覚に疲弊しだしている印象は受けざるを得ない。ひとは自覚というものにそうそう耐えられるようにできていないからだ。とは言え、暮田の「自覚」は将来において必ず何らかの結実をみる。これは予言ではない。
 またたとえばササキリユウイチにおいては、「自覚」においては暮田を凌駕する、と言ってもよいかもしれない。本来が暮田の「自覚」に触発され、「現代川柳」の構造をつかみとる批評行為からササキリの川柳の活動は開始されている(川柳試論−暮田真名を読む【柳論】)。しかし、ここにおいても留保をつけなければならないのだが、ササキリにおける「自覚」は「自覚」することに充満しすぎている。ササキリの句が一読して何かを欠落させているように見えるのは——特に『馬場にオムライス』において——方法論を方法論そのままに提示してしまったことによる。「自覚」のある句作というものは、ときに「自覚」のない句にくらべぎこちなく見えるものだ。だが無論、「自覚」というものを核心に持っているササキリには、長いスパンでの信頼を寄せるに足る要素をもっている。(遅きに失したかもしれないが、暮田・ササキリの合同批評会『川柳を見つけて』において、私が『馬場にオムライス』に対して非常に否定的だったのはこの点による)
 しかしこの稿において、暮田真名・ササキリユウイチに対する批評が目的ではなかった。私の目論見は、彼らが励起させた、あるいは彼らを励起させたムーヴメントへの疑念にある。
 川柳というものが活況を呈している。これは贔屓目であるかもしれないし、川柳などが流行る世の中は碌な世の中ではない。だが、信じられないほどの人びとが川柳、それもいわゆる「現代川柳」を作っている、このような状況はかつてなかった。もちろん今日以前の世界においては、今日のような「島宇宙的趣味世界」がなかったことは考慮のうえである。逆を返せば「現代川柳」とは「島宇宙」のなかにしか流行していない、と言う言説もあるにせよ、だからこそ己の所属する「メディア」に対してもっと自覚的になるべきではないのか。
 少しだけ先走った。今日の「川柳」が「メディア」によって成立していることは言うまでもない。この拙文を発表している環境も含めてのことである。そのうえで、どこまでの「川柳人」がその環境=メディアそのものに対して自覚的でありうるか。
 私は、勿体無い、と思うのだ。
 これだけ「メディア」に取り囲まれながら、いや、だからこそと言うべきなのか、「メディア=媒介」に対して自覚的にある句は、ほぼ見当たらないようにおもわれる。それはたとえば、言語を記号として使う、あるいは「メタフィクション」と呼ばれるような句であっても同然なのだ。
 なぜ、このメディア(ニュー・メディアという言葉は避ける。TwitterがXと僭されることに象徴されるように、それらはnewであることをやめている)に対峙する句がみつからないのか。これは私への自己言及も含めているのだが、メディア、というものへの無自覚さは、当然のごとく川柳が川柳である、ということへの無自覚さとイコールである。
 まつりぺきん編『川柳EXPO 2024』において1300句以上の句があつまっていながら、そしてかなり大量の秀句を蔵しながら、この『川柳EXPO』という「制度」をなりたたせるシステム——幾度も言うがそれこそSNSとオンデマンド出版という制度を基盤にしたメディアであったが——、その限界線をすぐれて批評的に突破した句はみつけることができなかった。
 これは『川柳EXPO』のみを批判しているのではない。先ほど私への自己言及、とも言ったが、『EXPO』の参加者のひとりとして、私は私を痛烈に批判する。このみずからがみずからを批判する、という行為自体、メディアに目をつむり、媒介の媒介性を無視するという自縄自縛でしかない、という蟻地獄に陥りつつ。
 そのジレンマをときほぐす鍵として、たとえば川柳というジャンルのメディア性、という点にふたたび目を向けることもありうるだろう。
 「川柳」が「万句合」としてはじまった時から、それは「メディア」の発生と揆を一にしていることは以前述べた。(超次元的実戦川柳講座 X–3 「ニューメディアは川柳の夢を見る・川柳はニューメディアの現を見る」)したがって、川柳はその意味でも本来的にメディアであるがゆえに、かえって自己批評としてのメディア論が置き去りにされてきたのではないか。『EXPO』のはらむ問題が『EXPO』だけのアポリアではない、というのはここら辺に由来する。 
 

  では、どうすればいいのか?
 

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