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Made in 住む場所で

畑で採れたり畑でいただいたりしたものを

一つのフライパンで焼いた。

焼いてる絵が本当にキレイで

ひっくり返すと糖分が焦げた色がついて

それもまた美しいなと思った。


もともとわたしは横浜の街中で教員をしていた。

ある時研修で静岡に出張したとき

「湘南はいいよ、異動のチャンスがあれば絶対に行きなよ」

と同席した年配の先生に強く勧められ

たまたまチャンスを掴んで湘南地域に移ることができた。


海があって山がある。


まるで鹿児島の田舎とおんなじだ。

同じ空、同じ海。当たり前だけどつながっている。




いろんな子どもと長い時間を過ごした。

死ぬほど悔しい思いもしたけど

それを凌ぐほどの情熱があった。

たくさんの子どもとわいわい過ごす時間がわたしの宝だった。

発達障害と呼ばれるでこぼこした括りも丸ごと愛していた。

教職の道はまだまだこれからだと自分でも思っていたけれど

先を見れば見るほど

この先子どもたちに誇れる未来はあんのかな、



教科書を開くたびに沸く疑念は年々強さを増していった。

合わせて

そんなこと微塵も感じていない、

というか

建前だけ守って子どもはもう手一杯だという上司への不審は

もはや振り払えないものになっていた。



有機農法や自然農法。

いろいろな呼び方で分けられるけれど

結局同じなのは

どちらも有機物の力を借りて

自然・・・森の状態

に近づけた環境で野菜を育てるということ。

いわば

環境に負荷を与えない

ということだ。


野菜といえば

ニンジン、大根、キャベツとか

普段食卓に上がるものってどれくらいあるだろう。


人間が船にキール(竜骨・・)をつけることを発明してから

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世界中を航海するようになり

万を超える種の食用の植物は栽培しやすいごく少数に絞られていった。

⏫kohjiさんの記事でより詳しくわかります


栽培用に選抜された、といえば聞こえはいいけれど

同じ場所で繰り返し同じ作物を作るということは

化学無しではまず無理だ。

それでも

便利な暮らしを回すためには

単一栽培は不可欠とされてしまった。

人任せの暮らし。

合わせて

私たちは

知らず知らずのうちに

明日の食糧を自分の目で探すという

生活の面白さを消去してしまったように思える。


視点を海に移そう。


わたしが暮らしている湘南は

目の前に相模湾が広がっている。


この湾内は日本でも有数の魚の宝庫、

その種の数5000!!!

定置網漁でおいしいお魚がたんまり漁れる、はずが・・


ここ数年

漁獲高は減少の一途である。

しらすが有名でもあるけれど

こちらもやはり全然獲れなくなっている。

食物連鎖の底辺部がいなくなるってことは

もちろん大型魚も姿を消すということだ。


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       食べることが大好きな息子が岩の隙間に手を入れて
       磯の特産、カメノテを獲る。自爪では大変。

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       塩茹でして

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ここを食べる。これがまた美味なのです。


海も山も

当たり前だけど

本当に繋がっている。


この連鎖に貢献したい。


ちょっとずつだけど

学校で教える形じゃなくて

自分で考えて行動できるように

フィールドワークを通して子どもと話したい。


海遊びの帰り、

デートスポット江ノ島で

ブルンブルンと爆音を響かせるヤンキーたちが

警察に補導されているのを見た。

この子らに

どんな教育がなされたのだろう。

その場を去るバイクの騒音を聴いて泣けてきたのは初めてだ。


畑と 海と。

とにかく今は踏ん張りどきだ。


がんばろ。

ゆるく、焦らず、でも急いで。

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