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Scarborough Rose

ースカボローへ行くのですか?
決まり文句で聞かれた旅人は、こう返す。
パセリ、セージ、ローズマリーにタイム。
もしくは、それらを束ねたお守りを、荷物に下げて。
何も見ていないし、聞こえていない、という態度を貫き、旅人はその場を後にした。
その亡霊はそうやって、道行く人へ何回も、自分の恋人へ伝えて欲しい、と頼んでいた。
「縫い目の無い、針も使わないシャツを作っておくれ」「そして、それを枯れた井戸の中で洗っておくれ」「そして、アダムが生まれてから、一度も花が咲いたことのない茨の上で、乾かしておくれ」
「海の波と砂浜の間に、1エーカーの土地を見つけておくれ」
「羊の角で土を耕し、そこへ一面の胡椒を蒔いておくれ」「それを革の鎌で刈り取り、ヒースのロープで束ねておくれ」
その無理難題を自分の恋人が成し遂げたら、晴れて自分は故郷へ帰れる。
人の現世で、出来ない事をやってのければ、死が生へと転じる。
それが、冥界の主と交わした契約だった。
今日も亡霊は、そうやって幾度も道行く人へ声をかける。
もう何十回、スカボローの祭りへ行く人を見かけただろう。
それでも、諦めずに一人でも耳を傾けてくれる人がいないだろうか、と祈りを込めて。
旅人も方も、哀れな亡霊のその切実な願いを、出来れば叶えてやりたかった。
けれども、おそらくはその亡霊の口から出る恋人の名は、もうとっくにこの世を去っている。
真実を突きつけられた亡霊が、報われぬ生と苦しんだ時間に耐えられず、呪いとともに怪物と変じないとも限らない。
行く先々で災いを振り撒く物を相手にするのは、只人の手に余る。
スカボローの祭りへ行く旅人の中では、その声を無視しろというのが、風に乗って噂となり、暗黙の了解へ成り果てた。
パセリ、セージ、ローズマリー、タイム。
魔除けの薬草の名を口にするか、それらを束ねてお守りにすれば、幽魔の力を跳ね除けられると、誰が言ったのか、今ではそれがその場所を安全に抜けきれる通行手形になっていた。
けれども何も、旅人達は破魔の恩恵を受けるためだけに、それを口にしたり、下げているわけではなかった。
花言葉の「苦痛を和らげる」力が亡霊の慰みに、「忍耐」が耐え忍んでいる亡霊の心を支え、「愛」によって二人を引き合せる運命が近づき、「勇気」が、その日が来るまで亡霊の力をなることを願って……。
それでも、胸を掻きむしられるような、懺悔の気持ちと共に、旅人はその場を後にするしかなかった。
そうして、いつしか亡霊は旅人へ、スカボローへ行くのですか、という問いかけをやめてしまった。
分かっていた、自分が死んでから、もういくら経っているだろう。
道行く彼らに頼んでも、自分の願いを聞き届けられる人は、恋人は、もういない。
その飲み込むに耐えない真実を、少しずつ受け入れて、全て平らげるのに、ここまで時間がかかってしまった。
もう、十分だった。
薄く、煙のように消えかかった亡霊の目から、一雫の涙が零れた。
その涙は、その場に咲いていた薔薇の花びらの上に、露の光のように灯された。
亡霊の問いかけが聞こえなくなってから、旅人達はその場へ色々な供物や、旅の土産物を置いていくようになった。
赤い薔薇を、墓標のようにして。
その亡霊の涙露をたたえた薔薇は、秋の終わり、もうすぐ冬がやって来るであろう時期に、一つの実をつけた。
どこからか、夜鶯(ナイチンゲール)がやって来て、その実を啄んだ。
夜鶯は、たらふく薔薇の実を啄んだ後、少し残った種を嘴に挟み、スカボローの方角へ飛び去った。

スカボローに数あるうちの墓地の一つ、その中の一つの墓、数十年前に亡くなった女性の墓石の隣に、いつの間にか、血のように赤い薔薇が咲いていた。
涙が滴ったように濡れたような花弁の、その薔薇はなぜだか分からないがスカボローの土地でしか、咲かないらしい。
周りには、夜鶯や駒鳥が慰霊をするように、歌声をさざめかせていた。
そこでようやく、亡霊の男と恋人は、二人一緒になれたのだ。



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