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鳩の塔

濁った色の水晶に似た、石華石膏をくり抜いて作られた、巨大な鳩の塔。
金魚の隠れ家をそのまま大きくしたような、海底に沈む人魚の海泡石の城に似て、栄螺(さざえ)状の石の塔は、足元から頭の先に至るまで、各階に鳩達の出入りのための窓が、虫に食い潰された貝殻がましに見えるほど、無数に空いていた。
窓には、鳩達とそれを世話する役目の人間の足場が、巻貝の棘のように伸びていた。
その棘の足場だけでなく、塔の内部の至る所まで白いペンキの滴りのような斑点が、べっとりと染み付いている。
それは、鳩達の糞だった。
乳白色の石の上では、それが目立たない事はこれ以上ない幸いだった。
もしこれが土か、とにかく他の茶色に近い材質のもので作られた塔だったなら、酔っ払いの吐瀉物を浴びるほど風化して忘れられた慰霊者の石碑のように、見るも無残な有様だったであろう。
塔の一番下に溜まった鳩達の糞は、丁度よく発酵して香ばしい匂いを放っていた。
それらが山と積み重なったものは、干し草や牧草を集める時の細長い先の熊手によって、大きな荷馬車に載せられ繋がれた三頭の驢馬の引いて行った先で、人々の畑に撒かれたり土に漉き込まれたりして使われていた。
当全体にも、糞だけではない暖かな生き物の身体の温度と吐く息の湿度に混ざって、猫や犬の頭の匂いを嗅いだ時の動物の脂のような、穀物を挽いた粉のような、洗練とされている訳では無いが田舎育ちの人間ならば心地よいと感じる匂いが、充満していた。
普段、鳩達は空き地に捨て置かれた襤褸道具のように、放って置かれていた。
ヒステリーを起こし無闇矢鱈と仲間を傷つかせる鳩がでた時や、どこかの野鳥から病気を貰ってきた鳩がいた時以外は、ほんどと言っていいぐらい、人は見向きもしなかった。
人の為にもある足場は、二つの兆候(しるし)を持つ鳩がいやしないかと観察をしやすくする為に造られたが、その定期観察も鳩が苛立って、湿気で病気も増えがちな雨季の時以外は、半月に一回程度であった。
鳩の塔に一人以上の人が近寄るのは、塔からごっそりと畑の滋養となるモノを頂く時だけで、やんちゃがすぎる子供達もさすがにここを親の目を盗んで遊べる秘密基地には、しなかった。
餌は、近くの村の見晴らしのいい薔薇園にちょっと飛んで、葉の上にいる厄介者を啄んでくれば事足りた。
薔薇はちょうど雨季真っ盛りの露を浴びて、赤い花弁がいくつも重なった顔に銀雫の飾りを施し、葉の油照りを素晴らしくしていた。
もう少し行けば深い森もあり、そこは畑とは比べ物にならないくらいに太り倒した芋虫や、甘い果実なんかが実っていたけれど、それと同時に危険な猛禽や恐ろしい狐なんかも潜んでいるのだった。
集団で白い体で動き回っていたら、気を抜いた途端に直ぐに襲われてしまうだろう。
頭があまり良くはない鳩達も、それだけは分かっていた。
そんな、くるくると巻いたような鳴き声を出すしか脳がない鳩しか居ないはずの塔に、一人の少年のように見える人影が、座っていた。
近づくと、それはやはり少年に見えた。
少年は、数羽の鳩がうろちょろと歩いている足場に、比較的糞で汚れていない、もしくは汚れが乾きっている場所を選んで、座っていた。
高い建物の周りは常に強く冷たい風が吹いていて、
下手な所にいれば指笛の音と同じに、ぴゅうっと飛ばされてしまいそうなのだが、この少年は不思議と、年の割にそんな危なげなところは感じられなかった。
少年の金の前髪は、幾つかが汗の水分で束ねられたのが額に張り付いて、幾つかが風に戯れていた。
天の遣いのような純白の服は、トルソーに着せられている服のように主体性がなく、少年の体に着られていると言うより、少年の体に囚われていると言った方が正しい印象を受ける。
むしろ、着られるべき本来の客は、この世界自身のような……。
だからこそ純白の服は、いつでもこの小さな子供の姿をした枷から抜け出せるように、周りに吹く少し強い風と一緒に必死に流れようとしていた。
生き物の体温で蒸し上げられた塔の中とは対照的に、少年の体にはおよそ、温度というものが感じられなかった。
それだから、この雪の煌めく時に似た硬い石の塔にずっと居座っていても、尻や太腿の裏の不快な違和感を感じずに住んでいるのだ。
そして、少年の小さい胸に、一抱えもある瓶が抱かれていた。
瓶は硝子の材質のようで、本来締め蓋か木の栓で閉じられているべき場所には、薄い布が紐で括りつけられているだけだった。ここいらでは、口先でほんの少し啜るぐらいしか酒が入らない盃を硝子で作ったとしても、山羊二十匹の値段と価値とに同等になると言うのに。
この子供は、腕のいい職人を五十人も百人も抱えた、硝子細工を商うどこかの豪商人の家の子供なのだろうか。
いや、少年の顔には金持ちの子供特有のいやらしさが、全くなかった。
それどころかこの硝子瓶は、まるでこの世界にあった代物ではなく、どこか別の世界から持ち込まれたのだ、という気さえした。
この、少年の眼科に広がる無限の世界に対して、極小の硝子瓶の中には、虫一匹としていない。
一度焼かれた清潔な土が敷かれ、その上に、細かい葉を伸ばした植物が生えていた。
瓶の中と世界とを隔てる硝子の壁には、空気から冷えて取り出された水分が、結露のように溜まっていた。緑の彼らの呼吸で水が生まれて、それがまた土を潤す。子供の小さな胸の中で、別世界の小さな大循環が起きている。
大事な硝子ドームで囲われた庭園の世話に疲れた神のように、幸せに微睡んだ眼をした少年は、近くにいた腹を透かしたために、忙しなく動き回っていた一羽の鳩に、話しかけた。
「ねぇ、白い羽のおまえ。命は別に素晴らしいものでも、いつでも他人のものを奪って、自分のものも簡単に捨て去ることが出来るものでもない」
「それ以上でも、それ以下でもない、命は命でしかないねえ」
ゼラニウムの花の色は赤だと、菫は紫色をしているのだと、それらと同じように少年は言った。
勿論、赤色ではないゼラニウムもこの世にはあるし、菫もすべてが紫色の花を咲かせるのじゃない。
他の多種多様な主張の花を咲かせる植物の中で、 自分の心一つの、魂の直感で選んだのが、 この少年は、ゼラニウムといえば赤で、紫が一番最も菫らしい色だ、と言いたげな口調だった。
「おまえの血も魂も、いずれあの夕日に溶けいって、同じになって、消えてなくなってしまうのだろうねぇ」
少年の瞳から、涙が零れた。
その天使が流したような、清らかな一雫は決して、何かを憂いたり、憐れに思った為ではない。
どちらかと言うと、子供が夜眠りに落ちる前の、明日はもっと楽しくなるに決まっているという、無邪気な期待と幸せな夢に向かう途中の欠伸から漏れる、睡魔に導かれた合図に似ていた。
もっと詳しく言うと、本当は、たらふく飯を食べた後に来る眠気という、低血糖の症状だった。
少年は、鈍く襲いかかってくるような、重く圧迫してくるような眠気をなんとかやり過ごすと、瓶の上部の紐を解いて、自分の手を、小さな緑の世界に侵入させた。
植物の葉も茎も根も傷つけないよう、慎重に指先で土をひとつまみ取り出し、逆の手の平の上で少し広げて、その中からさらに土の一粒を、爪の間でつまみだした。
「ほら、見てごらん。君も死んだら、君の命だったものの成れの果てなんて、こんな極小の、目にも見えないような土の一粒になってしまうんだ。最もこんなのじゃなくて、もっと真っ当な外の世界の土は、中に住んでいる虫や、蝿の子らが長い時間をかけて、死体や糞を食んで生みだしてくれた豊かなものらしいけれど」
鳩は、眠いことの腹いせに、まだ話の出来ないくらい幼い弟や妹、それか飼い猫に訳の分からない講釈を聞かせる、子供がするような主張には、とんと興味が無いと言った感じで、変わらずそこらを歩いている。
確かに、少年の抱いている瓶の中の土は、子虫や蚓(ミミズ)どころかもっと存在が細やかな、死んでいる土をも長い時間をかけて、やがて富養な力を持って、命全ての下敷きとなる価値あるものに変える者達が繁殖する余地がひとつもない、星の砂を更に砕いて、銀のふるいにかけ、名前を与えられたことが無い花の種を植え付けたものだった。
少年は、愛しい雛やまだヒビの入らない卵を抱擁する親鳥のようにして、ことさらに自分の上体程もある瓶を強く抱きしめた。
丁度に、一番近くにいた鳩の羽が瞬いた。
梟ほど音消しの名人ではない鳩は、ばさばさと醜い音を立てて、塔の遥か下にある潅木の茂みに舞い降りて行った。
鳩は、着地も無様に大きい音を鳴らし、潅木の枝が弛む。勿忘草に似た形の白い花は、小さい萼に対して緩く止められていたのか、水面を飛んだ魚が宙に一瞬居座ったあとの飛沫と同じように、花弁が周辺に細かく散った。
少年は、瞼の裏に一瞬だけ映った、筋肉を全力で使って、白い翼を全開に広げた鳩の飛翔の様子を見て、何かをぽつりと口に出した。
「……アハルテケー……。」
それは、この地域で言い伝えられている、月の女神の、毛並みも鬣もともに輝くように白い翼の生えた騎馬の名だった。
その真白き翼が一度瞬いただけで、月の裏側から地上まで、行く事が出来るという。
月の女神は、数年か数百年に一度、アハルテケーにそりを引かせ、自分はそれに乗って、宙の航海をする事をなによりの楽しみとしていたが、時折夢中になりすぎて、人々が休む時間になっても自分の王宮に帰ってこないという事があり、その時には人の目に月が欠けて映るらしい。
とある神が、罌粟の花茎の乳液をこの馬の血として、木漏れ日の光を集めて捏ねて肉を作り、いよいよ短い毛を一本一本生やしてやろうというときに、蛋白石(オパール)と、絹糸と、真珠と、象牙と、初雪から祝福を貰い、出来上がった体は大変美しい名馬で、月の女神はひとめ見ただけで気に入ったという、幻想生物。
奇跡の満ちた子馬を貰い受ける代わりに、月の女神は一日に一度必ず、陽の王が沈んだ後に顔を出さなくてはならない、という決め事を神に結ばれて、それでようやく昼夜が出来上がったらしい。
子供達は、枕元で夢うつつにこの話を読み聞かせられて、なぜ真昼の空の下か蝋燭の陽の光がなくては、絹糸も紡げないのに、朝と晩ができる前にどうして既に絹糸がいたの、という御伽噺に納得出来ない無邪気な、そして鋭い質問を、語り部の親かその様子をにこやかに眺めていたもう一人の親にした。
大人達は、たじたじになって、常識によって硬くなった頭で必死に捻り出した言葉を言い、見かねた祖父母らが、優しい口調で助け舟を出すように、こう答えるのが決まりだった。
「絹糸も、昼夜ができる前はちゃんと生命を持っていたものだったのだよ。それどころか、蛋白石も、真珠も、象牙も、初雪も、皆生命を持って、考える頭も心も持っていた。ところが、昼夜が出来てしまうと、人間は明るい時間は働いて、暗い時は眠る様になった。そこで、人間たちは明るい時だけ、どんどん物について知ろうとしたのだ。そうして、知恵がつくと、次第に人間が全てのものの中で一番偉いと考えるようになった。やがて、蛋白石やら、絹糸を前にして、親も血も肉もないのに、喋るのも考えるのも、心があるのもおかしいと言い出して、同じように石も鉄も、偽物の生き物だと言い出した。それを聞いた、ものたちは皆とてもがっかりして、もう二度と人間達の耳に聞こえるように話をしない、と取り決めてしまったそうだよ。」
この話は結局、だから草や花や虫や魚や獣以外の存在にも、私たちとは違う生命の形があるので、物は大切にしようだとか、大事にしようという所に着地するのだったが結局はそれは貧しい村なりの、一つの教育の果てだった。
そして、村にはもう一つ、言い伝えがあった。
ある時、月の女神は金の林檎の実をつける銀の木の銅の葉を、アハルテケーにたらふく食べさせてやるように、厩番の少年に命じた。
少年は、最初の方は狒々のように木から木へと飛び移り、節操無く蜜を集める大透翅蛾(オオスカシバ)のように、動き回って銅の葉をかき集めていたが、疲れた上に飽きてしまって、自分は銀の木の下で眠ることにした。
だが、少年が眠っている間にとても狡賢くて、麝香の息で獲物を惑わす、緑の豹がやって来て、アハルテケーを、あっという間に食い殺してしまったのだという。
それを知り、かんかんに怒った月の女神は、緑の豹を冷たい石の牢獄に永遠に繋ぎ、厩番の少年を罰として地上に落として流刑にしたのだ、という。
月の女神は、アハルテケーが引くそりに乗って星屑の海を楽しく飛び回っていたことを時折思い出すと、悲しくなって姿を隠してしまう。
見かねた神が、月の女神を慰めるように声をかけるが、「ならば、もう一度私にあれくらい素晴らしい生き物を作ってくりゃれ。さすれば、私のこの悲しみも少しは薄れよう」と言われてしまった。
残念な事に、神がもう一度輝かしい生き物を作ろうとしても、もう自身の輝きと光を分けてくれようとする宝石も、花からも、雲から降るものからも、何からも話が聞けないので、どうする事も出来ないということだった。

この鳩の塔がある村には、墓地がない。
墓地がないのは、別に遺体を骨になるまで焼却し、あたりに肥やしのように撒き散らしているわけでもない。
そもそも、そんな高度な火力を出しながら調整できる建物も、死人が砕かれる程の高温になるまで、重労働で切り倒した貴重な薪を大量に捧げる事は、こんな貧しい村では到底出来なかった。
人が生き続けている限り、産室と同じように必要な土地がどうして無いのか、何故それで遺体から邪な病が流行らないのか、ここを訪れる旅人はいつも不審に思っていた。
その答え合わせのように、こんな噂もあったのだ。
とある村で死人が出ると、この鳩の塔に送られる。
この鳩の塔には、鳩の主たる魔物が住んで、人の屍肉を食らうらしい。
その時には、鳩の主への精一杯の言祝ぎ(ことほぎ)の印として、薔薇の実から絞り上げた油をたっぷりと入れた洋燈(ランプ)がひとつ、抜け出た魂が地獄の悪鬼に誑かされて、道を失わないように、遺体の頭の上に道標のようにもして下げられた。
無と有が分けられる前の、言葉とそれ以前のものが分けられる前の、混沌とした塔の本当の闇の中に、
主神が世界をつくりあげた瞬間の陽のように、中の燃料が寿命のように燃えつきるまで、燦々と光り続ける。
その決め事のおかげで、人間はこの白い鳥の二つの
恩恵を受けられる、のだとか。
貧しい村では、いつもは蜜蝋で灯心草の芯を固めた蝋燭が使われ、村では重要な祭祀である夏至と冬至の日でも、芯と一緒に薔薇やその他の色とりどりの花弁が一緒に固められたものが、使われるだけであった。
村の見事な薔薇園は、村の者達が一番畏れ、敬っている存在に、供物となるものを照らす光を捧げるためだけに、世話をされている。
その園は、白い鳩達の手で、下卑た悪魔が力強い天使に剣を振るわれるようにして、葉を汚く食い荒らす虫もおらず、毎年新芽を伸ばすために大量の栄養を欲する根には、糞から出来上がった肥料が撒かれ、一度として萎びるどころか年々、赤い花の芳しさは増していった。
全ては、こうして循環されているのだと、村人達は心で感じていた。
本当のところは誰にもわからなかったが、翌朝になると、必ず死体は無くなっているのだ。
本当に魔物が来て、死体を食い漁っているのか、村長たちが昔からの儀礼に則って、死者に対して最低限の礼儀を済ました後に、別に墓地となる隠れた所に秘密裏に埋葬しているのかもしれなかった。
どちらにしても、村人はその答えを知ろうともしなかった。
昔から固く、鳩の塔に死人を送ってきた後は、いくら恋しいと思おうと、もう二度と顔を見に行ってはならない、とされてきたからだ。
そんな噂を聞き付けた旅人二人が、好奇心と誘惑に負けて、夜遅くに鳩の塔に忍び込んだことがある。
二人は、本当に魔物がいるとは微塵も思っておらず、今まさに丁重に葬られたばかりの、死人のおぞましい土気色の顔を、布をめくって見てしまえばかえってその勇気に箔が付く、という程度の浅ましい考えで見に言った程度だった。
けれども、二人が言った時既に、黒い布に包まれた死体はなかった。
二人は、自分達が死体が安置された場所を間違えたのだと思った。
そう思い込もうとした。
すぐ近くには、薔薇の馨しい匂いを放ちながら祝福の光を放ち続ける洋燈が、あったというのに。
その時初めて、無数の星のように降る、射る視線に気づいた。
無論、視線の元は鳩たちだった。
けれども、それはいつもの何を考えているか分からない鳥類の、ぼんやりとした瞳孔の目付きではなく、逆にこちらが狙われているような、食い食われるものが逆転したような、居心地の悪い視線……。
気の弱い雌馬よりもなさけない声を出して、旅人たちは塔から逃げ出した。
明かりもなく、整備されていない荒れ野の道を辿って、やっとのことで世話になっている村の宿屋に行き着いた二人は、幻覚を見る薬を吸わされて狂乱した信者の様相だった。
まるで何者かが、度し難い何かが、鳩達の目を通して、俺達の命を狙って、いや、存在自体に怒りを発している目つきだった。
とそのごろつき同然の旅人は言った。
その夜二人は、恐怖に魘されるようにして、高い熱を出した。村のありったけの熱冷ましの葉の煎じた薬を飲んでも、熱はいっこうに下がらなかった。
それどころか、体の節々が痛みとともにありえない方向に曲がり出し、出産間近の雌牛よりも酷い唸り声を出すしかなかった。
じわじわと二人の生命を何かが蝕み、計り知れない強大な力によって操って弄んでいるようだった。
村長(むらおさ)は、信頼出来る呪い師たちに二人の男を見せると、皆一様にこういった。
「この者達は、この村で一番の禁忌を犯しました。」
「塔の主の怒りを買ったのです。」
「お食事が住んでいたから、まだ良かったものの……。でなければ災禍はこの村にまでも、及んだ事でしょう。」
「お気の毒ですが、この者達は自身の愚かさが仇となったのです」
心優しい村長は、名も知らぬ二人の男の、地獄の苦しみように、なんとか塔の主の怒りを少しでも鎮める方法は無いのか、と聞いた。
「確かに、一つだけ御座います。」
「貴方様のまだ成人に満たない孫娘を捧げるのです」
村長は、聞いてみて、自分で後悔した。
いくら村の人間のほぼ全員が、ついてきてくれるほどの優しさと聡明さを持っていようとも、何も関係がない人間二人だけのために娘をくれてやるほど、村長はお人好しでもなければ、冷徹にもなりきれない。
―聞けば、この二人は村の人間が止めるのも気がずに、ずけずけと塔の中に入っていったという話ではないか、自業自得だ、何故そんなもののために私の愛しい孫娘を捧げなくてはならない、そんな道理が、一体どこにある?―
呪い師たちは、ほかに守りの呪形を描いた符を何十枚も男達の近くに貼り付けたが、それも一瞬の内に不気味な炎に焼かれ、気休めにもならなかった。
その旅人の二人は気が狂ってそのまま、亡くなったのだという。
もちろん、村では二人の無礼者たちの遺体を直ぐに、飼い主に餌を持ってくる猫のように、塔の中に押し込んでしまったとか。
今日も鳩の塔の中では、無数の鳩達がくるくると巻いたような、半分壊れた自鳴琴(オルゴール)のような狂った鳴き声を出して、死人の血に濡れたような瞳を、互いに節操無く目配せしてした。
鳩達の白い抜け羽に埋もれて、陽の光が入らない、塔の闇の中に一体何がいるのか、今も誰も知らない。

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