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花屋ものがたり その1 お地蔵様

毎年8月4日はお地蔵様の供養祭が行われる。
 ここは板橋弥生町。旧川越街道と石神井川が交差する橋、その麓にいらっしゃるのが、 下頭六蔵菩薩(げとうろくぞうぼさつ)様だ。

 供養祭といっても町会のお年寄り達が掃除をし、お花や果物をお供えし、お経をあげ、そして宴会になるというのが一連の流れであり、この宴会に労力と時間が1番ついやされる。
 平均年齢75オーバーの、おばあさん?方は朝から宴会の支度で、35°越えの容赦ない太陽の照り付けの中、大量の汗をかき、愚痴を言いながらも、楽しそうに和気あいあいと仕事をこなすのだ。

 ダントツの最年少(50歳位( 笑 ))である私は、そんな先輩ばあさん達の愚痴を聞きながら、みんなハッスルしてるなぁ。まるで住処と水を得た魚だなと思いつつ、やはり体調が気がかりで、せめて春か秋にずらせないかなぁ?とも思うのだ。


 午後3時、お地蔵様の周りが人で賑わいだす。近所のじいさん達がはりきって交通整備にとりかかる。お経が上がるのと同時に参拝が始まり、終えた順番に100メートル程離れた宴会場へと人が流れ出す。
 
 午後4時。宴会場へ向かう最後の一人の後ろ姿を見届けてから、ひとけのなくなったお地蔵様に足を踏み入れ手を合わせる。いつもの静けさ。。大好きな時間。そして思い出すあの日の出来事。


  
 私はお地蔵様に見守られて育った。

  私の家はお地蔵様の隣だ。正確にいうと、家の一角にお地蔵様がある感じだ。当然子供時代は遊び場で、見よう見まねの自己流で手は合わせていたけれど、お賽銭などは入れた事がなかった。

  あの日も、いつものようにランドセルを家の玄関口に放り投げ、お地蔵様に向かうと、いつもは静かな私の遊び場が、近所のおじい達で賑わっていた。 近づくにつれ「警察に突き出した方が良い!」
「この罰当たり!」
といった声がやんややんや聞こえてきた。
隠れるように見ていると、輪の中心に、私の祖父であり、町会長でもある末吉爺さんと、見た事の無い初老の男が立っていた。

(賽銭泥棒だ!)

胸が高鳴り出した。耳を澄ます。
やんややんや聞こえてくる声の中、末吉爺が
「よし。皆の意見は分かった。どうだろう、この一件私に任せてくれないか?」
と、一言云うと
皆は、まだ何か言いたげな表情ながらも、ぞろぞろとその場を立ち去っていった。

 お地蔵様にいつもの静けさが戻ると、末吉爺は賽銭泥棒についてくるよう促した。泥棒はうなだれたまま後につづいた。私も隠れながらその後につづいた。

 お地蔵様の裏手に私の家の庭がある。その庭へと続くひとけのない裏口から末吉爺は泥棒を家の敷地に招き入れた。
(家に入れる!?)
 身体に緊張が走った。まさに心臓が喉から飛び出すような感覚を抱いたまま、私は反対側に位置する表門へと急いで回り、庭の見える位置の物陰に隠れ、ひっそりと息を潜めた。

 末吉爺さんは、泥棒を池の見える客間の縁側に腰をかけるよう促した。泥棒は力なく座った。
 そして、常備してあるお茶セットに湯を注ぎながら婆さんを呼んで、耳元で何かを言っていた。その声は私には聞こえなかった。
 爺さんは、入れたお茶を泥棒の手元に差し出した。泥棒は一瞬戸惑いの表情をしたようにも見えたが、湯呑を無意識に受け取ると、そのまままた、うなだれた。

 爺さんも泥棒も何もしゃべらない。
 庭の空気がひんやりと張り詰めていた。
 物陰からジッと見ている私の頭の中は、警察が犯人を取り押さえるテレビドラマのシーンそのもので、耳は、脈打つ鼓動でいっぱいだった。
 時折池から聞こえてくる、爺さんが自作した竹筒ししおどしの、チョロチョロ、カッターンという音だけが静寂の中、響いていた。

 何分経ったのだろう、

  突然、静寂が割れた。
「お待たせしました。」
と、廊下を歩いてきた婆さん、2人のところで止まり、爺さんの脇に防災リュックを置いた。
 当時の防災リュクは銀色のアルミでできていて、肩紐ほクッション性も何もない太目のロープでできたリュックだ。

 続いて、持っていたおぼんをそっと置き
「急だったからこんなものしかできなくて。」と言って去っていった。  

 爺さんがお盆の上のそれを泥棒に差し出した。


 泥棒の手には、たっぷりのいちごジャムが塗られた厚めのトーストがのせられた。唾をゴクリと呑み込む音が、こちらにまで聞こえてくるようだった。泥棒はまるで野生の動物のように目をひん剝いて、夢中でむしゃぶるように、一気に食べた。優雅な池のある庭、洒落たトースト。その美しさを全て台無しにするような食べ方だった。そんな汚い食べ方を私は見た事がなかった。

 爺さんが、まだ手をつけていない自分の分を差し出した。泥棒は手の中のパンをじっとみつめたまま、今度はしばらく動かなかった。
 真っ赤に熟したおいしそうなイチゴジャムの上に、ふと涙がぽたぽたと落ちていった。
 泥棒さんは泣いていた。大粒の涙をボロボロこぼし、うつむいたまま何度も小さく頭を下げた。そして、涙まみれのパンを握りしめ、
「ぅ、ぅめぇ、、うめぇ、、です、」
と、顔をぐしゃぐしゃにして、むせび泣きしながらかみしめていた。
 私も泣いていた。膝を抱えて泣いていた。泥棒さんが悲しかった。


 庭には夕暮れを告げる風が吹いていた。しばらく動かなかった泥棒さんが急に立ち上がり、頭を下げてそのま地面に額を押すように土下座した。
「う、うっ、、す、、、すみませんでした。」うめき声のような声だった。

柿の木に留まっていた鳥が飛び立った。

泥棒の震える肩をそっと叩きながら、
「2度目はないぞ。」
と、末吉爺さんは一言云って、自分の財布から青い500円札を数枚泥棒の手に握らせ、缶詰で膨らんだ防災リュックを背負わせた。
 立ち上がった泥棒さんの顔は、涙で洗われた白い部分と茶色の部分が交じり合い、まだら模様になっていた。

 裏口の門に促すと、見つからないうちに早く行きなさいと末吉爺さんが声をかけた。泥棒さんは薄暗くなりだした夕暮れの中を、数歩進んではこちらを振り返り、深々と頭を下げながら、何度も何度もそれを繰り返し夜の中に見えなくなった。

8月4日の供養祭が来る度に思い出す幼き日のあの出来事。
 祖母はそれから間もなく他界した。祖母を亡くしてから末吉爺はずいぶんと老け込んだ。先立たれた悲しみを忘れるように、たっぷりと呆けてから、末吉爺も他界した。阿吽の呼吸、信頼、長年連れ添った夫婦の姿も、今の歳になって初めて学びに変化した。

 下頭六蔵菩薩。その名前。私はどうしてもこの出来事に結び付けてしまう。、、、泥棒さんはあの後どうなったのだろう?


 時は流れ、一軒家だった我が家はマンションになりその1階で私は花屋を営んでいる。三毛猫の棲む花屋だ。この三毛猫との出会いも運命的だった。それはまたいつか書こう、、、
 

 時代と課題は巡る。昨年の12月30日(花屋が母の日を超えて年間で1番忙しい日)、花泥棒が現れた。花泥棒と聞くと何となく聞こえは可愛いがこれが結構の事件になったのだ。
いつの日かその物語も書こうと思う。

最後までお読みいただきまして誠にありがとうございます。お地蔵様と祖父と泥棒さん、不思議なご縁で書かせていただいたお話です。
 有難い事に、私にはそのような宝のような不思議な体験が沢山ございます。
 今後は花屋物語としてその体験を書き、皆さまの心に、懐かしくて優しい、心地よい風が吹いてくれたらとても幸せです。


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