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ショートショート『癒やしのカフェ』
男にとっては、はじめて訪れる街だった。
三十代の男性が、保険営業の仕事の途中でカフェに入った。近くには海があるが、ビルや建物でみえていない。
そのお店では、世界各地の美しい風景を撮影した写真が多数、飾られていた。
世の中も不景気のせいか、以前にくらべて人々も心の余裕がなくなってきたせいか、とても殺伐としているように感じる男だった。
保険もネットで加入する時代なので、男はネットに疎い世代の世帯をターゲットにしていたのだ。
男は、穏やかな波と、真っ青な空の写真に惹きつけられていた。
夏なのに涼しい日々が続いているので、頼んでいたホットコーヒーを一口飲んだ。
「ああ、こんなところに行って、1日じゅうのんびりとしていたいなあ」
ふだんは独り言はいわない男だったが、つい口に出てしまって、自分でも驚いていた。
しばらくすると、男が頼んでいたコーヒーを、お店のキャストさんが持ってきた。
若く、二十代前半くらいの美しい女性だった。
「そちらの風景、気に入られましたか?」
低いが、どこか透明感のある声だった。
「はい。とても素晴らしい所ですね」
キャストさんは微笑み、「そちらのお写真に手をふれてみてください。一瞬でその場所に行けますから」
男はキャストの女性を二度見した。そして苦笑した。
「またまた、冗談ですよね」
キャストの女性は微笑むと、厨房のほうに戻っていった。
男は、コーヒーをがぶりと飲んだ後、手を風景写真にふれてみた。なにか少しめまいがして、カフェの店内がぐらりと揺れたような感覚を覚えた。
そして、レジのあたりには、熟年の女性が立ち、私に微笑みかけていた。
どこか若い女性のキャストの面影がみえた。
それ以外はなにも起きていない。
あたりまえだと思い、お店の入り口をみた。
そして男は自分の目を疑った。
お店の外は、人と車がひっきりなしに行き交う街だったが、今は少し遠くに浜辺がみえるのだ。人も車も通らない漁村にこのカフェがあるのだ。
男は支払いをすることも忘れて、お店のドアを開けた。
まわりにはなにひとつカフェ以外の建物はなく、海辺には誰もいない。
空にはカモメたちが悠々と海風に乗って飛翔していた。
男はスーツを脱ぎ捨てて、浜辺の砂に横になり、真っ青な空を眺め、目を閉じた。
男の人生で、疲れ、傷ついた心が、癒やされていくように思えた。
どのくらい時間がたっただろう。
目を覚ました男は、いつのまにかお店に戻っていた。
コーヒーになにか入っていたのだろうか。
男は立ち上がり、支払いをするため、レジに向かった。
「あの、今、不思議な夢をみたような気がしますが、私、寝ていましたか?」
キャストは、最初にいた若い女性にかわっていた。
「お客さまにもみえましたか? お客さまがみてきた世界は二十年後の世界なのですよ。あの写真は私が撮影したものなんです。二十年後の私もお店にいたでしょう? お客さまもたまに、一時的に未来に行く方がおられるのです。とくにあの写真にふれると行けるみたいです」
二十年後。このあたりから海がみえる世界になるのだろうか。
二十年間の間になにかが起きるのだろうか?
今は人と車がひっきりなしに通行している道路脇に、カフェがあった。
男は店を出て、しばらく歩いたあと、ふりかえってお店をみると、そのお店は最初からなかったかのように、かき消え、空き地になっていた。
(fin)
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