しくじり先生
オリラジ中田のしくじり先生発特番『中田歴史塾』
9月11日に放送あった分、昨日録画を見ました
中田って、プレゼン能力高いですよねー
凄いなと思います
凄いというより、羨ましいなと
私、たぶん同じタイプの人間なんですよ
もちろん、かなりのレベル差はありますが
一応前職では、プレゼン能力買われて、あちこちで大人数相手にプレゼンしてまして
国際展示場で開催された総合展示会に出展した時は
会社の金で雇ったプロの司会者とコンパニオンでやったプレゼンより
私、一人でやったプレゼンのほうが3倍くらい集客したので
その後、ずっとプレゼン担当になったくらい(笑)
さて、そんな話は置いといて、話をしくじり先生に戻しますと
苦手な人が多い「歴史」というものを面白く伝えてくれる中田の講義は良いですよね
先日もインドの話を面白く伝えてました
が、少し理解違いがあったので、僭越ながら補足させてもらおうかなと
彼の途中の説明で
「インドは3000年近く、カースト制度に縛られていた」
という趣旨の説明がありましたが
これ、ちょっと違います。
カースト制度自体は非常に有名なので、超簡単に(極端に)説明しますと
紀元前1000年前に出来たヒンズー教における身分制度で、一番上の身分は神的扱い、一番下の身分は虫けら以下の扱いされるという、なかなかファンキーな仕組みです。
で、これが最近までずっと3000年近く続いていたという説明
でも実は、インドのカースト制度は、西暦1800年頃には、とっくに形骸化して、誰も従ってなかったんですよ
インド国内の教えとしては、ヒンズー教とイスラム教が混ざって融合すらしてました
で、そんなものがなぜ復活したのかというと
イギリスが復活させたんです
植民地が流行ってた1800年代
イギリスはインドを占領し
植民地支配を開始します
で、イギリス人は賢いので
異国を支配するには、急に我々のルールを押しつけるのではなく、ちゃんと現地現物を理解してから、その国の歴史風土に則って支配しないといけない
という考えがありました
まぁ、ここまでは
この時代からそんな考え方持ってるなんてなかなかやるやん、イギリス
なんですが
そこから
調査し始めたイギリス人
偉いさん「おいおい、インドわけわからんやんけ。全然実態が掴まれへん。」
そりゃそうだ。いろんな宗教混ざったりしてますもん
部下「なんかね、たぶん国民はヒンズー教という宗教に入ってるっぽいんですよね」
偉いさん「あ、そうなん?それなんかヒントにならん?」
部下「それがね、ヒンズー教の中に、どうやらカースト制度とか言うのがあるっぽいんです。でも、聞き込みしても、ちゃんと知ってるやついないんですよ」
偉いさん「文献とかないの?それ見たら一発ちゃうん?」
部下「なるほど!探してみますわ!」
その後
部下「ありました!ちょっと古い書物なんですけど、詳しく書いてます!」
偉いさん「ええやん!お前ええやんけ!それそれ!ちゃんと調べといてな!」
と言って、引っ張り出してきた書物が、物凄い古いやつで
もはやインド人も知らないレベルのものを持ってきちゃったんですよね
例えるなら
現代において日本のこと全然知らない外国人が、江戸時代の書物持ち出してきて
日本は士農工商らしいで!
と、言ってるようなもんです
で、これに書いてたカースト制度に従って統治を始めちゃったのが、この制度復活の原因なんです
インド人もビックリ
インド人A:え、お前カースト制度って知ってる?
インド人B:いや、名前しか聞いたことない
インド人A:俺のカースト何なんやろ。まぁまぁ上の方かな。
インド人B:いや、まぁまぁ下の方ちゃう?
インド人A:まーじ!?
インド人B:いや、知らんけど
インド人A:あ、やばい、イギリス人きた
イギリス人:お前らのカースト何なん?
インド人A:まぁまぁ上の方です
インド人B:嘘つけ、お前まぁまぁ下のほうやろ
とかなんとか言いながら、実態に合わないカースト制度を厳格に運用し出したために
せっかく仲良くやってたヒンズー教とイスラム教にも確執が生まれ
ヒンズー教徒の中でも、上と下で分けられて確執が出来てしまった
というのが、インドの歴史なんですよね
イギリスよ
ほんま、いらんことしーやな
この話は、大学の授業で習ったことを思い出しながら書きました。
私は経営学部だったんですが、単位稼ぎのために別の学部の授業とか受けてたんですよ
5年間も大学に行っておいて、覚えてる授業はこれだけです
今思い出すと、世界に興味を持ったのはこの時が起源かもしれない
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