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松下幸之助と『経営の技法』#238

10/10 経済は自然現象ではない

~経済現象とは、人間が考え、人間のために生み出していくものである。~

 本当に景気、不景気というものは、自然現象のように避けられないものなのだろうか。なるほど、昔は経済といっても農業を中心としたものであり、技術も未発達だったから、収穫もその時々の天候によって左右されるところが極めて大きかったと思う。だから好不況が収穫のいかんによって決まるとすれば、景気、不景気は半ば自然現象であったともいえよう。
 しかし今では、農業でも科学技術の進歩などにより、昔ほどには天候に左右されなくなってきた。つまり、ある程度景気を人為で動かすこともできるようになってきたのである。まして、今日の経済に大きな比重を占める工業や商業は、そのほとんどが人為現象である。だから、経済現象というものは、雨が降ったり日が照ったりというような自然現象とは全く違って、人間が考え、人間が生み出すものなのである。そういうものだとわかれば、あとは人間の思うままにこれを動かしたらいい。ちょうど人間が住みやすさということをいろいろ考え、家を設計し建築して、その中で快適に暮らすようなものである。同じように、人間が最も暮らしやすいように考えて、その通りに経済を動かしていったらいいのである。
(出典:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)

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1.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 いつもと順番が逆ですが、まず、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 松下幸之助氏は、ここで、主に経済に関する話を中心に論じています。
 氏は、市場や競争が重要である、とする発言を繰り返していますので、資本主義経済体制を好ましい経済体制と評価していると思われます。その中で、市場の自律的な活動による予定調和への到達に力点を置くのではなく、様々な経済政策の精度を高めていくことで、景気をコントロールできるようになる、という発想です。戦前の高橋是清やルーズベルトの打ち出した政策であり、ケインズが打ち立てた理論の延長にある考え方、と整理できるのでしょうか。
 現在は、一方で、市場の自律的な活動を重視する観点から、ミクロ経済的なものとして、独占禁止法や下請法などを背景に、公正取引委員会などの機関とその活動によって、市場の維持が図られ(競争政策)、その他、経済的規制政策や各種産業政策が動員されます。他方で、マクロ経済的なものとして、中央銀行による金利操作(金融政策)、政府・行政当局による財政政策が動員されます。
 このように、ミクロ経済、マクロ経済の両方に跨る様々な経済政策が動員されて景気対策を行うことが、政治的にも重要な課題となり、多くの国で、どのような経済政策を講じるのか、ということが政権選択の際の重要な争点となっています。
 ところで、松下幸之助氏が、景気不景気をコントロールできる、と考えた背景はどこにあるのでしょうか。
 1つ目は、氏が経験した時代的な背景でしょう。
 戦前の大恐慌後、高橋是清やルーズベルトの打ち出した、積極的な経済政策が功を奏してきた状況の中で会社経営を行っていたこと、たしかに、その経済政策は第二次世界大戦で無意味なものになったものの、けれども第二次世界大戦後の経済復興や高度経済成長によって再び経済政策の有効性が実感されたこと、等が、時代背景としての大きな流れとなります。つまり、戦争さえなければ、経済政策によって景気のよい状態がずっと維持されたように見える中で、冷戦状態とはいえ、少なくとも当時の資本主義経済陣営の中では、世界経済に大きな影響を与えるような大きな戦争はなくなっており、経済政策の実効性を阻害する要因(戦争)が無くなったようにも見えるのです。
 2つ目は、松下電器の影響力でしょう。
 すなわち、大きく成長し、家電産業の業界をリードしてきた中で、大恐慌の中でも会社が潰されずに生き残ったり、企業努力によって市場の新たな需要を掘り起こすことに成功したり、という形で市場に関与してきました。その過程は、見方によっては、景気の影響を小さくしたり、景気を良くすることに貢献したりしてきた過程であり、景気の動向にそれなりの手応えを感じてもおかしくない過程だったと評価できます。
 3つ目は、氏が技術者であったという点でしょう。
 すなわち、ここでの氏の発言は、技術によってコントロールされる領域、特に自然環境の変化に対してすらコントロールできるようにが拡大しているのだから、ましてや、自然界の話ではなく人間同士の関係である経済問題は、コントロールされて当然だ、という発想に基づきます。
 以上のような理由から、松下幸之助氏が上記のような予想を立てたわけですが、残念ながら、現在も景気を完全にコントロールすることはできておらず、氏の予想はまだ当たっていません。
 けれども、経営者は経済学者ではありません。経済的に正しい見通しを立てられなければ失格、というわけでもありません。
 むしろ、経済学は万能ではなく、世の中の経済事象の全てを予測できないだけでなく、全ての経済事象を説明できるわけでもありません。だからと言って、手をこまねいているだけでなく、自分なりに経済状況の変化を予測し、必要な対策や、逆に先手を打って、それを活用するような施策を講じなければなりません。経済学的に素人かもしれませんが、それなりに経済状況を把握し、それに合わせた対応をしなければなりません。
 このような、経営者と経済との関りからみれば、経済学者でないからといって、自分なりの予測を遠慮して言わないのではなく、むしろ積極的に意見交換し、経済動向に対する情報を増やして、自分自身の感度を高めていくことが必要です。場合によっては、敢えて極端な立場から仮説を立てて経済予測をし、極端なシナリオを組み立てて、最悪な状態に備えることもあるでしょう。
 そうすると、様々な経済政策の効果を最大限高く評価して経済効果を予測すること自体も、逆に、市場の動向を中心に経済予測する手法と比較する、などの方法で活用できる1つのシナリオと評価できそうですから、結果的に正しくないとしても、有益な情報と言えるでしょう。

2.内部統制(下の正三角形)の問題
 次に、社長が率いる会社の内部の問題から考えましょう。
 ここでの松下幸之助氏の話は、あくまでも、その当時から見た近未来の予測であり、それが経営戦略や日常のビジネスに直ちに影響を及ぼすものではないでしょう。
 けれども、経営者の経済予測は、それがよほど突拍子がなくて信頼性に欠けるものでない限り、単なる趣味で終わるのではなく、それを経営に生かした方が良いでしょう。そのことから、経営者の経済予測を、例えば会社の中長期経営計画に反映させる仕組みや、さらに、経営者の個人的な経済学への知見だけに頼るのではなく、会社経営のための経済予測を専門的に業務として担う部門を作るなど、経済予測を経営に活用する組織設計や運用を行うことも、検討に値するでしょう。

3.おわりに
 松下幸之助氏の、このような経済予測について、経済学の素人の無意味な発言、という評価もあり得るでしょう。
 けれども、素人だから経済予測が無意味、というのではなく、上記のように、それなりに様々な意義があります。実際、最近は経営者による株価予想など、経営者自身が積極的に経済予測を公にする機会が増えています。
 むしろ、大所高所から会社を導く立場にある経営者の役割を考えると、経営者自身が経営状況に興味を持ち、自ら経済予測を立てることは、極めて有意義です。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出典を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。

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