楽しむヤツが勝つ時代

今は楽しむヤツが勝つ時代だ。

ひと昔前ならただのゲームオタクで終わっていた人々が、esportのプロプレーヤーとして世界と戦い、その様が世界中に配信されて注目を浴びることができる。競技性のないゲームでも、やり込みyoutuberとして誰もやっていなかったような遊び方を提案することで活躍することができる。

楽器のプロ奏者になれなかった人々が、クラシックではなく流行りのポップスを弾いたりすることで人気を博し、プロの奏者よりも有名になって稼ぐことができる。なんなら、いわゆる王道ルートでプロになった人よりもコンサートに人を集められるということがまま起きる。

雑貨が大好きな人々はinstagramでインフルエンサーとして活躍することができるし、服が大好きな人々はWEARでコーディネートを公開して自分のブランドを立ち上げることさえできる。絵が上手な人はtwitterで絵を公開してそこを踏み台にして有名になることができる。

今これらの分野で活躍している人たちは、50年前に生まれていたらほとんどがそれぞれの分野で活躍することはなく一生を終えていった人たちだ。それは例えばその人が田舎に住んでいて、東京に来て人の目に当たることがなかったからだ。もしくは自分の相対的な実力が正確にわかっておらず、趣味の範囲で終わらせることに関してなんの疑問も持たなかったからだ。あるいは、もしかしたら少しは人より秀でていることに気づきつつも、それをどう発信していけばいいかが分からなかったのかもしれない。

そんな50年前には成立しなかったこれらの人のありようを可能にしたのは、大きく捉えるならばネット社会、狭く捉えるならばinstagram、youtube、そしてtwitterなどのアプリケーションだ。これらのサービスは埋もれていた人々を隅々まで掘り起こし、また目に見えなかった需要を次々に可視化した。

ここまでは何かに秀ででいる人々、何かが突き抜けて好きな人々について紹介したが、今の時代がスポットライトを当てているのはこのようなわかりやすい魅力を持った人々だけではない。

例えば、ブラック企業での長時間労働をコンテンツとして動画を配信しているyoutuberがいる。この人は先ほどの人々のようにゲームが上手いわけでもなければ、何かにめちゃくちゃ詳しいわけでもない。ただ、労働のブラックさに関しては他の人よりも飛びぬけている。それがコンテンツとなって人を集めることができる。

他の例としては、迷惑系youtuberと呼ばれる人たちがいる。いわゆるバイトテロ的な内容だったり、普通だったら人道的観点からやらないようなことをやって注目を集めている人々だ。もっとも、こういった内容を投稿しているアカウントは凍結するなどの措置が講じられるため、こういった人々が活躍できるかどうかと言われればそんなことはないのだが、少なくともひと昔前ならただの不良で済まされたはずの人々が別のステージに立つ機会が発生している。

それが人道的だろうと非人道的だろうと、かっこよかろうと悪かろうと、もしくはその人にコネがあろうとなかろうと、そんなことは一切関係なく、「何か」を楽しんで極めることができるヤツ、もしくは他の人が経験していないような経験をし、それを楽しんで発信できるヤツの目の前に無限に道が広がっている、今はそんな時代なのだ。

そう考えると、私たちのありようについて今までと同じように考えることはできない。好きなことはほどほどにして受験勉強に打ち込むことはだんだん正当化されなくなっていくだろうし、副業をせずに真面目に本業に打ち込んだ人よりも細々と配信活動を続けていた人が後々成功するということも十分ありうるのだ。

楽しむことが正義のこの時代、あなたはどんな生き方を選びますか。

(後編に続く)


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?