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個展カウントダウン<2日>:散文詩、という写真

さて、散文詩の形式で未完の「trans」シリーズを完結させようと決めましたが、テーマの選定はとうの昔に終わっていました。写真では完結できなかったシリーズを詩で試みるわけですから、詩のテーマももちろん写真と同様です。

「trans」シリーズのテーマについて、これまできちんとお話ししていなかったように思いますが、ここで遅まきながら説明しますね。

もともとは、モノクロ写真のテクスチャーの美しさをいかに表現するか、に神経が寄っていて、テキサスの廃墟となった教会の朽ちた石壁の、平面の奥行きのようなものを表現しようとしたのが始まりでした。そこに人間は一切入れず、かと言って人間の存在を無視したわけではなく、テーマはいつしか、人を撮らずに人を撮る。つまりはポートレートなのだ、と変化していきました。

詩のテーマも「人間」でした。しかしただ人間、だけでは物足りない。ならば私が心理学を学んでいた当初から疑問に思っていたことを詩で挑戦しよう。つまり、「人間の存在証明を如何にするか」「自分という人間の存在を、如何に意識し、証明するか」という命題を与えました。そこで生まれたキーワードが「記憶」でした。人間は記憶することで自分を認識する、と仮定づけたのです。その記憶の道程が、人間そのものだと。そこで、詩のタイトルは「記憶の道端」と決まりました。

このタイトルだけを引っ提げて、私は2度目のパリへ向かいました。カメラは前述の通り35mmカメラのみ。原稿用紙を山と持って、ペンも何本も用意し、しかしパリで待ち受けていたものは、またも想像すらできぬものでした。結果として詩は本になったものの、実際には「trans」シリーズは詩でも完結できませんでした。またも失敗です。いや、成功までの過程に過ぎなかった、と言うべきでしょうか。未だ成功を見ずに継続しているのが、「trans(変化)」シリーズなのです。

では、2度目のパリで詩はどのように書かれたのか、については次回、個展が始まってからゆっくりと書くことにしましょう。

それではまた次回。

成瀬功

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