#12 世界最強の「こじらせた」人【生まれてきたことが苦しいあなたに】
こんにちは、いちこです。
本日も、読んだ本の紹介をしていきます。
こんな感想もあるんだな、と思っていただけたらと思います。
本に興味を持ったり、選ぶ時の参考になれば幸いです。
「生まれてきたことが苦しいあなたに」というタイトル通り、センシティブなワードが満載でございます。
あまり心にダメージがない時に読むのがおすすめですが、決して暗い気持ちになる本ではないと思います。
個人的には、勇気をもらえる本でした。
【今日の本】
本日ご紹介するのは、
大谷崇
「生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミストシオランの思想」です。
【内容】
【感想、雑談】
シオランという作家をご存知でしょうか。
ちなみに私は、まったく知りませんでした。
この本はどこかで紹介されているのを見て、読みやすそうだなと思って取り寄せました。
別に死にたいくらい苦しかったからというわけではないです。こういう暗い思想や哲学が好みなだけです。…と言うのも語弊がありますが。
人の死生観とか人生観を読むのが好きという感じです。自分の生き方や死に方について考えるきっかけにしたくなります。
すでにこじらせてそうな雰囲気がしますね。
シオランを説明する言葉にニヒリズムとありますが、これは虚無主義とも言われ、「今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場」のことらしいです。
シオランはペシミストとも言われているようで、いわゆる悲観論者のことです。この世が嫌いだとか、この世に生きる価値はない、という思想の人で、厭世家とも呼ばれます。
あまりにも後ろ向きでネガティブ。
生きるのつらくならない…?というかつらくないわけないよね…?なんて、心配になるレベルです。
自分を敗者としているのなら、自覚ありのこじらせです。
私もこじらせ系なので、この面倒くさい感じがよくわかります。
本当にその通りで、義務とか多すぎるんですよね。「人間」として生きるのに、こんなにも色々なものを課していては、そりゃ苦しくなる人もいます。
ちなみにシオランは、女性に養ってもらっていたようで、「労働過剰」は比喩表現ではなく、言葉のままの意味なのかも知れません。
いわゆる、「生まれないほうが良かった」ですね。死んで生まれる前の状態になるなら、別に好んで生まれることもなかったんじゃないか?という。
それを言っちゃおしまいよ、な非常に身も蓋もない言葉が続きます。でも、それが良いのですが。
笑おう。確かに笑っている時は、生死についてとか考えることもないですね。
面白いのは、死に対してだけでなく生にも勝利できるという考え方ですね。生にも否定的な感じ。
これぞ虚無といった感じです。
別に何も変わらない。虚しさが消えることもない。ただ営みがそこにあるだけ。そうですね、本当に突き詰めるとその通りです。
目的や目標を持て、と子供の頃から刷り込まれてきました。無為な浪費は悪だとさえ思わされます。
でもそれは、同時に私たちを縛ることにもなります。「できなかったらどうする?」という問いかけに、「無理しなくてもいいか」と思えました。
文章自体はネガティブなのですが、なんだか肩の力が抜けていくような気がします。
シオランは書くことによって、自分は自殺しないでいられた、と言います。
書くという行為がなければ、彼は死に救いを求めて、実際に救われようと行動していたかも知れないな、と勝手な想像をしてしまいました。救い(自殺)の代替行為だったのかな、と。
でも、書く人はある種の「救い」を求めている側面があるような気がします。誰に宛てるでもない創作物を、苦痛と手間をかけて生み出すのは、救われた経験があるからなのかも知れません。少なくとも、私はそういう感覚を否定できません。
作者が初めてシオランを読んだ時、自分の言いたいことがすべて書いてあると思ったとのことです。これに共感できる人も多いかも知れません。私も、そう思いました。
生きていて感じるモヤモヤした感覚を、ズバリと言葉にしてくれているような。
この本は、様々なシオランの著書からエッセンスを抽出していて、これはこれでとても良い。でも、直でシオランの思想に触れてみたくなります。
シオランは、自殺についての言葉をたくさん書いているようです。
自殺がある種の救いになる。
悲しいかも知れないけれど、これは自分の経験からもわかります。死が救いになってしまう瞬間というのは、紛れもなく存在する。
生に絶望し、展望もなく苦痛しか感じないなら、死によってしかその地獄から解放されない。
死は楽園ではないでしょうが、少なくともこの地獄からは抜け出せる。
それが正常な判断かは関係なく、それはその人にとっての現実で、真実なのです。
本当なら、それは否定されなければならず、「生きること」を肯定すべきなのでしょう。
でも、シオランは「死ぬこと」をそっと肯定してくれます。強い言葉ではなく、後ろ向きな表現で。彼自身の苦しみさえ透けて見える言葉で死を肯定されると、「なんだ、自分だけじゃないのか」「そう思ってもいいのか」と、前向きに捉えられる気がしました。
哲学的な本を読むと、「いつの時代も人間は同じようなことを考えて、同じようなことで苦悩するんだな」といつも思います。愚かなり、ニンゲン…。
でもこの「いつでも」「誰でも」悩むからこそ、普遍的な孤独感とか苦しみとか敗北、不安、虚しさ…、そこを突き詰めた本は読み継がれていくのだと思いました。
ともすれば陰鬱な文章の中に、不屈の精神を見るような気がします。この世に絶望することをやめない、という折れない心です。
希望はないし、ポジティブになんかなれないという徹底した精神。
決して力強いものではありませんが、苦しみの多い現実をいなすネガティブさ、というか。
スマートさではなく、一貫した後ろ向き思考の引力にひきこまれました。
【おわりに】
独りで居ることで休息を感じるタイプなので、「こよなく楽しい」は共感しました。
独りの時にこそ、noteをまとめたりYouTube動画を作ったり、創作ができます。そしてそれが、一番楽しい瞬間でもあります。
私は磔刑と思うほどではないですが、しんどい!!!という思いが伝わる上手い言い回しだなと思います。
言い方は過激だけど、ちょっとわかる。そんなシオランの思想に触れられる良い本でした。
興味が湧いたら、読んでみてください。
長くなりましたが、今日はこの辺で。
ありがとうございました。
いちこ
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