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#12 世界最強の「こじらせた」人【生まれてきたことが苦しいあなたに】

こんにちは、いちこです。
本日も、読んだ本の紹介をしていきます。
こんな感想もあるんだな、と思っていただけたらと思います。
本に興味を持ったり、選ぶ時の参考になれば幸いです。

「生まれてきたことが苦しいあなたに」というタイトル通り、センシティブなワードが満載でございます。
あまり心にダメージがない時に読むのがおすすめですが、決して暗い気持ちになる本ではないと思います。
個人的には、勇気をもらえる本でした。


【今日の本】

本日ご紹介するのは、
大谷崇
「生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミストシオランの思想」です。



【内容】

ペシミズムとは「生きる知恵」である
「ペシミストたちの王」シオラン。この陰鬱な思想家の思索と執筆は、つねに厭世的なことがらに捧げられてきた。怠惰、死、自殺、憎悪、衰弱、病気、人生のむなしさ、生まれてきたことの苦悩……。ことほどさように、シオランは「暗い」。しかし、あるいはだからこそ、彼の清々しいほどに暗い言葉の数々は、生まれ生きることに苦しみを抱く私たちが人生を楽にし、生き延びるために役に立つ。本書は、気鋭のシオラン研究者が、彼の言葉と時に批判的に伴走しながらその思想をひもといた、待望のモノグラフである。いまこそ読まれるべき、魅惑的な思想家のすべて。

星海社ホームページより



【感想、雑談】

シオランという作家をご存知でしょうか。
ちなみに私は、まったく知りませんでした。
この本はどこかで紹介されているのを見て、読みやすそうだなと思って取り寄せました。
別に死にたいくらい苦しかったからというわけではないです。こういう暗い思想や哲学が好みなだけです。…と言うのも語弊がありますが。
人の死生観とか人生観を読むのが好きという感じです。自分の生き方や死に方について考えるきっかけにしたくなります。

エミール・ミハイ・シオラン
ルーマニアの作家、思想家。若年期のエクスタシー経験と、メランコリー、鬱、不眠など、生涯にわたる精神的苦悩をもとに特異なニヒリズム的思索を展開した。

Wikipedia

すでにこじらせてそうな雰囲気がしますね。
シオランを説明する言葉にニヒリズムとありますが、これは虚無主義とも言われ、「今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場」のことらしいです。
シオランはペシミストとも言われているようで、いわゆる悲観論者のことです。この世が嫌いだとか、この世に生きる価値はない、という思想の人で、厭世家とも呼ばれます。

あまりにも後ろ向きでネガティブ。
生きるのつらくならない…?というかつらくないわけないよね…?なんて、心配になるレベルです。

敗者はさまざまな挫折を経験するために、人格が複雑にならざるをえない。失敗によって深く傷を刻まれ、空虚を抱えこまされては、当然そうなる。敗者はいわゆる「こじらせた」人だ。

告白と呪詛

自分を敗者としているのなら、自覚ありのこじらせです。
私もこじらせ系なので、この面倒くさい感じがよくわかります。

一般に人間は労働過剰であって、この上さらに人間であり続けることなど不可能だ。

絶望のきわみで

本当にその通りで、義務とか多すぎるんですよね。「人間」として生きるのに、こんなにも色々なものを課していては、そりゃ苦しくなる人もいます。
ちなみにシオランは、女性に養ってもらっていたようで、「労働過剰」は比喩表現ではなく、言葉のままの意味なのかも知れません。

死によって人間は、存在を開始する以前の状態に戻るにすぎない、というのがもし真実なら、純粋な可能性を固守して、そこから身じろぎもしないほうがよかったのではないか?

生誕の厄災

いわゆる、「生まれないほうが良かった」ですね。死んで生まれる前の状態になるなら、別に好んで生まれることもなかったんじゃないか?という。
それを言っちゃおしまいよ、な非常に身も蓋もない言葉が続きます。でも、それが良いのですが。

「もう笑う気が起こらなくなったら、それが潮時と思うべきだね。
でも笑う気持ちがあるうちは、もう少し待つんだな。笑いは生と死にたいする唯一の、まぎれもない勝利だよ」

シオラン対談集

笑おう。確かに笑っている時は、生死についてとか考えることもないですね。
面白いのは、死に対してだけでなく生にも勝利できるという考え方ですね。生にも否定的な感じ。

人が人生のむなしさを自覚しようと自覚しまいと、事態が変わるわけではない。同じように人は生きて死ぬ。

カイエ

これぞ虚無といった感じです。
別に何も変わらない。虚しさが消えることもない。ただ営みがそこにあるだけ。そうですね、本当に突き詰めるとその通りです。

目的がないからこそ楽しいということはないだろうか。
目的があるならば、それを達成したかどうかで各人の人生の価値が決まってしまう。
明確な目的があるというのは、達成するにせよしないにせよ、苦しみの原因になる。
できた人はまあいいだろう。だができなかったらどうするのか?

カイエ

目的や目標を持て、と子供の頃から刷り込まれてきました。無為な浪費は悪だとさえ思わされます。
でもそれは、同時に私たちを縛ることにもなります。「できなかったらどうする?」という問いかけに、「無理しなくてもいいか」と思えました。
文章自体はネガティブなのですが、なんだか肩の力が抜けていくような気がします。

一冊の本は、延期された自殺だ

生誕の厄災

シオランは書くことによって、自分は自殺しないでいられた、と言います。
書くという行為がなければ、彼は死に救いを求めて、実際に救われようと行動していたかも知れないな、と勝手な想像をしてしまいました。救い(自殺)の代替行為だったのかな、と。
でも、書く人はある種の「救い」を求めている側面があるような気がします。誰に宛てるでもない創作物を、苦痛と手間をかけて生み出すのは、救われた経験があるからなのかも知れません。少なくとも、私はそういう感覚を否定できません。

作者が初めてシオランを読んだ時、自分の言いたいことがすべて書いてあると思ったとのことです。これに共感できる人も多いかも知れません。私も、そう思いました。

生きていて感じるモヤモヤした感覚を、ズバリと言葉にしてくれているような。
この本は、様々なシオランの著書からエッセンスを抽出していて、これはこれでとても良い。でも、直でシオランの思想に触れてみたくなります。

シオランは、自殺についての言葉をたくさん書いているようです。
自殺がある種の救いになる。
悲しいかも知れないけれど、これは自分の経験からもわかります。死が救いになってしまう瞬間というのは、紛れもなく存在する。
生に絶望し、展望もなく苦痛しか感じないなら、死によってしかその地獄から解放されない。
死は楽園ではないでしょうが、少なくともこの地獄からは抜け出せる。
それが正常な判断かは関係なく、それはその人にとっての現実で、真実なのです。
本当なら、それは否定されなければならず、「生きること」を肯定すべきなのでしょう。
でも、シオランは「死ぬこと」をそっと肯定してくれます。強い言葉ではなく、後ろ向きな表現で。彼自身の苦しみさえ透けて見える言葉で死を肯定されると、「なんだ、自分だけじゃないのか」「そう思ってもいいのか」と、前向きに捉えられる気がしました。

哲学的な本を読むと、「いつの時代も人間は同じようなことを考えて、同じようなことで苦悩するんだな」といつも思います。愚かなり、ニンゲン…。
でもこの「いつでも」「誰でも」悩むからこそ、普遍的な孤独感とか苦しみとか敗北、不安、虚しさ…、そこを突き詰めた本は読み継がれていくのだと思いました。

ともすれば陰鬱な文章の中に、不屈の精神を見るような気がします。この世に絶望することをやめない、という折れない心です。
希望はないし、ポジティブになんかなれないという徹底した精神。
決して力強いものではありませんが、苦しみの多い現実をいなすネガティブさ、というか。
スマートさではなく、一貫した後ろ向き思考の引力にひきこまれました。


【おわりに】

独りでいることが、こよなく楽しいので、ちょっとした会合の約束も私には磔刑にひとしい

告白と呪詛

独りで居ることで休息を感じるタイプなので、「こよなく楽しい」は共感しました。
独りの時にこそ、noteをまとめたりYouTube動画を作ったり、創作ができます。そしてそれが、一番楽しい瞬間でもあります。
私は磔刑と思うほどではないですが、しんどい!!!という思いが伝わる上手い言い回しだなと思います。

言い方は過激だけど、ちょっとわかる。そんなシオランの思想に触れられる良い本でした。

興味が湧いたら、読んでみてください。
長くなりましたが、今日はこの辺で。
ありがとうございました。

いちこ

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