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〜懐かしき名勝負〜横浜高校ー桐蔭学園(2002年秋季神奈川県大会決勝戦)

横浜|000|000|010|1 = 2
桐蔭学園|000|000|001|0 = 1

初めての高校野球、初めての保土ヶ谷球場へ

誰もが一度は通る道。初めての高校野球観戦。皆さんは自身の初観戦を覚えいていますでしょうか。
私の初観戦はこの神奈川県の名門校同士の対決。小学生の頃、母親に連れられて保土ヶ谷球場へ。まだスマホなんてない時代。相鉄線・星川駅からいろんな人に道を尋ねながら球場までたどり着いた記憶があります。

曖昧ながらも残る、名門対決が与えたインパクト

試合内容については記憶のほとんどが曖昧です。なんせ約20年前ですからね笑。それでも覚えているのは試合前から両校の間に流れる、”絶対に負けたくない”という空気。ピリつきすら感じるような緊張感。「高校野球ってこんなに厳しいんだ、、、」という思いを抱いたことは明確に覚えています。桐蔭学園のシートノックでは、内野陣のノック時に一番声が出ているポジションに監督がノックを打つといったようなことも行われていました。
当時はトーナメントのルールもよく分かっていませんでしたが、決勝進出時点で既にこの両校は関東大会へ出場することが決まっていました。仮に負けても選抜への道が絶たれる訳ではない。そう思うとあの時の気合いの入りようというのは、ちょっと異様(褒め言葉)だったとすら感じます笑。しかも両校とも関東大会で結果を残し、選抜に出場。桐蔭学園は2回戦進出、横浜高校は準優勝という結果を残しました。初観戦からこんな両校の試合を観れたというのは、振り返ると幸せな入り口だったなと思います。

この代の横浜高校は成瀬善久(元ロッテなど)、荒波翔(元DeNA)、涌井秀章(現楽天)、石川雄洋(元DeNA)という多くのプロ野球選手を輩出した代でした。当時は成瀬が背番号10、涌井が背番号1を背負っていました。ですが実質のエースは成瀬だったと、横に座っていたおじさんが教えてくれました。この試合でも成瀬が延長10回を完投しています。涌井はブルペンでキャッチボールをしていましたね。荒波に関しては割とよく覚えています。前年の夏の甲子園をTVで観ていて、「あの有名な横浜高校で1年生でレギュラーなんて凄い!」と当時小学生の私は衝撃を受けてファンになりました。なので高校野球で初めて好きになった選手は荒波です。この試合では初回にセーフティバントで一塁アウト。その後はいい当たりを放つも野手の正面を突きノーヒットでしたが、延長10回表に荒波の犠牲フライで勝ち越し、そのまま優勝を決めました。
桐蔭学園にも大学や社会人で活躍した平野貴志選手、吉田勇一郎選手らがいました。特に平野選手は大学でドラフト候補として名前が挙がっていましたね。吉田選手は甲子園で、2塁からワンヒットで激走してホームインした姿が特に印象的。確かランナーコーチは止めてたんじゃなかったかな笑。吉田選手の出身中学のエリアにあるスポーツ用品点では、新聞記事が張り出されていたりしていました。(「頑張れ勇一郎!」みたいな感じで。)あとは確か4番サードが岡本選手という名前だったと思うのですが、結構パンチ力のある打者だったという記憶があります。この試合でも同点のきっかけとなるツーベースを打っていたような。

もうひとつの全国最激戦区・神奈川

今となっては神奈川県大会は準々決勝以降くらいからかなりの座席が埋まりますが、この頃はまだガラガラ。バックネット裏が少し混んでるくらいで、他はどこでも座り放題でした笑。トイレに行く時もわざわざ席に何か置いて、確保しておくほどでもありません。ですが、翌年夏の神奈川県大会で再び両校が顔を合わせた際(ちなみにその試合も延長戦の激闘)には保土ヶ谷球場が満員御礼になるなどしてましたから、夏に関して言えばかなりの人気があったのかもしれません。
”全国最激戦区・神奈川”とは言われますが、これは観客同士の席確保のことも示しているのでは?とすら思うことがあります笑。神奈川県民の高校野球愛は熱いものがあります。自分にその着火をしてくれたこの試合のことをふと思い出したくなり、記憶をたどりながら今回は書いてみました。

※写真は全く関係ない試合のものです。

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