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〜懐かしき名勝負〜帝京高校ー智辯和歌山(第88回全国高校野球選手権準々決勝)

帝京           |000|200|028 = 12
智辯和歌山|030|300|205×= 13

甲子園で生まれた名勝負として語られる一方で、世紀の●●試合なんて言われることもある。100人が同じ試合を観れば100通りの感想があるはずだが、私の場合は完全に前者だ。最終回の攻防を観ている時はTVの前から一歩も動けなかった。投手起用や、防げた失点のことを指摘する声もある。ただ、私にとってバッティングは野球の華。未だに残る最多記録、両チーム合計7本塁打という空中戦。画面越しに伝わる緊張感。二度笑った甲子園の魔物。一打一打が私の心を刺激した。

縁もゆかりもない高校が推しというのは高校野球あるあるではないだろうか。当時の私は智辯和歌山ファン(今も)。一方の帝京高校はベテラン監督の率いる東京のザ・強豪校というイメージがある程度。当然智辯和歌山贔屓の目線で試合をTV観戦。序盤から打線活発で優位に試合も進めたこともあり、終始上機嫌でTVの前にいた。それがまさかの展開。試合の詳細については割愛するが、4点ビハインドの9回表に帝京高校が8点を取り逆転。その裏に智辯和歌山が5点を取り返してサヨナラ勝ち。推しの高校が勝利したはずなのに、ただの観戦者である私はまるで魂が抜かれたように呆然としていた。

東西の名門が貫く姿勢

その後何年も(今でもたまに)この試合について振り返っている記事や動画を見続けた。大学の授業の空き時間にYouTubeで試合の動画を観ていた時期もあった笑。
聞けば、帝京高校の前田三夫監督は、この負けた試合をベストゲームとして挙げている。前田監督といえば勝利への執念が他の監督と比べても頭ひとつ抜けているイメージがあるし、それは監督を勇退するまで衰えることはなかったように思う。
それまでの采配は常に自分だけで判断してきたそうだが、この試合の最終回の代打は選手と相談して決めた。初めて選手に寄り添った瞬間。前田監督にとっては監督人生のターニングポイントとなったのかもしれない。詳細は分からないが、以後の指導でどのような変化があったのかは気になるところだ。この年以降、帝京高校の甲子園出場回数自体はそれ以前と比べると減ってしまうのだが、輩出したプロ野球選手の数は増えたように見える。
前田監督は”作ってもいいから自分のスタイルを貫けるかどうか、これが大切”という言葉を残している。高校時代はスラッガーとして名を馳せた中村晃(ソフトバンク)もプロでは確実性に徹するスタイル、杉谷拳士(日本ハム)でいえばムードメーカー、山崎康晃でいえばツーシームといったところか。他にも松本剛(日本ハム)や郡拓也(日本ハム)のユーティリティ性、石川亮(日本ハム)のインサイドワークも立派なスタイルの一つであろう。

試合の話に戻ると、帝京高校は9回表終了時点で4点リード。この夏に登板経験のある投手は使い切ってしまっていたが、前田監督には逃げ切れる目論見があったようだ。最初に登板した勝見亮祐中堅手は1年夏からエースナンバーを背負っていた。他にも塩沢佑太左翼手も前年秋に登板していたはず。中村晃も春の大会では背番号1の時期があったそうだ。(確か中村晃はこの試合でも登板の打診があったが、本人が断ったそうだ笑)
この話を聞いたときは確かにそれは勝てると思うよな、という感想。しかし久々の登板が異様な空気の漂う甲子園で、相手が智辯和歌山の超強力打線ではさすがに厳しかったというところか。簡単にストライクを取らせないというのも打者の見えない技術かもしれない。2者連続フォアボールの後、4番の橋本良平選手(元阪神)にスリーランが出るのだが、この時の橋本選手はもはや覇王色の覇気を纏っているように見えた。ただ驚いたのは、この打席の橋本選手が力んでいると見抜き、「待て」のサインを出した高嶋仁監督の采配だ。名将というのはこんな場面でも選手の状態を見極める冷静さを持っているのかと。

その後また四死球でランナーが溜まり、タイムリーヒットも出て同点に追いつくと今度は一転、サヨナラ勝ちのチャンス。一死満塁でバッターはキャプテンの古宮克人選手。カウントはスリーボールワンストライク。投手はコントロールが定まっていない。誰もが「一球待つだろう」と思った次のボールを古宮選手は打ちにいった。結果はファールだったが、「打って決めたかった」とのこと。確かに理屈ではわかるのだが、あの場面では目先のフォアボールが欲しくなるのが人間心理ではなかろうか。結果として次の球が外れて押し出しサヨナラ勝ちとなるのだが、これもその前のスイングが生み出したボール球と言えるのかもしれない。
勇退した高嶋監督が解説の中で、とにかくバットを振ることの大切さを強調していることがあった。練習の中からバットを振る準備が身体に染み付いているからこそ、古宮選手もあの場面でスイングできたのだろうか。
高嶋監督の残した言葉の中に”苦しい思いをした人間だけが、逆境をチャンスに変えられる”というものがある。智辯和歌山の練習というのは相当厳しいものだろう。素振り、ティー打撃なども含めると一日千スイングになるそうだ。苦しみながらも徹底的にバットを振り抜く。その準備が相手投手を萎縮させ、試合での逆転に繋がったのかもしれない。大逆転からの4点差ビハインドという逆境を、未来にも語り継がれる名勝負に変えてみせた。

そしてまた応援する学校が増える

この試合をきっかけに私は帝京高校も応援するようになった。都大会を観戦しに行く時は基本的に帝京高校の試合ばかりだ。ここ数年はあと一歩のところで甲子園に届かず、高嶋監督と前田監督が甲子園で顔を合わせることは残念ながらなかった。そして両監督共に勇退。だがその意志は次世代の監督に引き継がれ、アップデートされていくだろう。またあのユニフォーム同士が甲子園で対戦する日を楽しみに待っているし、その時は高嶋監督と前田監督に解説をしていただきながら当時の話もしてほしいとワクワクしている。

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