健常者と障害者がより近付ける未来

 今わたしは彼氏と同棲中だが、彼とは付き合う以前から友達として10年目の付き合いだ。
彼は世界一では?というくらい最強にマイペースで自信家でお調子者の変わり者だが、私が障害を持つ前は障害者に対して結構な偏見と差別を抱くを一面もあって「俺、障害者って嫌いなんだよね、生きてても困らせたり迷惑かけることの方が多いし生産性ないじゃん」などと極端な意見を堂々と言っては私に「相変わらず薄情!」と呆れられる男だった(今考えたら相当酷いやつ!)
 けれど、いざ私という身近な人間が「俺の嫌いな」精神疾患を患い引きこもりになったとき、彼は私を「生産性がない」なんて言って嫌ったりすることはなかった。
入院した私にセンスが独特すぎる選曲のCDを持ってきてくれたり、夏にはぐったりと枯れたひまわりの写真を送ってきて「りっちゃんそっくりじゃん」と馬鹿にしてきてくれたり「やりたいことはやってみればいいじゃん、どん底に落ちたら何度でも拾い上げてあげるよ」と親友らしいことを言ってくれた。
彼は今まで精神疾患を持つ人が周りに一人も居なかっただけで、精神疾患を持つ人がどんな人生を歩んでいてどんな人柄なのか、健常者と同じように十人十色だという実感を一度も感じていなかったし障害自体を知らなかったから、偏見だけが先行して障害者を差別していたのだ。
もちろんそれは良くないし残酷なことだけれど、たしかに、何の知識もない人が街中や電車内で騒いでいる統合失調症の人を見たり、知的障害で親に連れられて歩く大人を見たり、リストカットだらけの人を見たりしたとき、それが目新しくて見慣れないものだったら不穏な気持ちになるのは決して不自然なことではない。彼はネットに興味がないから日本の情勢にもあまり詳しくはなくて、だから偏見や差別の価値観も古いままだったのかもしれない。悲しいけれどそれが現実。

 だけどのちに私と付き合い始め、私が当時通所していた就労移行支援事業所で出会った人たちとの話をするようになってから、彼の意識は無意識なんだろうけれど少しずつ変わっていった。
私が就職で障害者雇用か一般雇用か迷っていたあるとき、「今日職場の飲み会で『将来的に社会経験とか学力がなくて受け皿が少ない障害者が働ける子会社を作りたい』って話したんだよね まぁそんなん無理って言われたけど」とびっくりするようなことをサラッと話した。昔はあんなに障害者を毛嫌いしていた彼が、障害者に救いの手を差し伸べたいと考えるようになったのだ。
 たしかに当時、私が就労移行に行き始めて知った事として「もともと社会経験や学歴やスキルがある人には給料も将来性も確保できる求人があるけど、社会経験や知力、学歴も無いけど軽作業程度の仕事ができる障害者に向けた求人は優遇されたものじゃない。あってもアクセスの悪い工場とか最低賃金だったり作業所と同じような非正規労働者ばかりで受け皿が少ないよ。就職っていっても結局非正規雇用ばっかり」という旨の話をしたことがあった。それを聞いて、障害者雇用の現実を始めて知り考えが変わったのかもしれない。
「障害が重くて一人で仕事するのが難しいんなら何人かでチームを組ませて役割分担させたい」「通勤しにくい工場ばっかじゃ人が集まらないから普通の店舗の近くに建てて健常者とも顔合わせられる会社が良い」なんてアイデアも出していて、(それが現実的かどうかは置いておいて)受け皿の少ない中〜重程度の障害者に対して思いやりのある提案だなと思い少し嬉しかった。

 彼のように、きっと何も知らないだけで現実を知ったら考えが変わる人はたくさん居ると思う。昔よりも障害者雇用が積極的に進められている今、就労移行支援事業所は色んな名前をよく聞くようになった。障害者向けの福祉事業はこれからの時代需要が高まっていくから儲けや事業拡大も高く期待できるし年々場所が増えている、なんて話も聞いたことがある。理由はどうであれ障害者にとってはサポート先が増えてありがたいことだと思う。
 けれど、障害者雇用の現実は決して充実したものではなかった。少なくとも資格や経験の無い私が障害者雇用での「就活」で応募できる求人はシビアなものだった。義務としての雇用率が増えたとはいえ、より働きやすい世間になった実感はあまりない。以前テレビで「結局中小企業なんかは義務を果たさなくても罰金を払ってしまう方が人件費より楽に済むから雇用が広がっていない」という意見も聞いたことがある。
わたしの彼氏のように、そんな現実や、障害者雇用自体や、そもそも障害者の存在自体を詳しく知らない人はたくさんいるだろう。遠い別の世界を生きる人間、自分とは違う種類の人間として内心では敬遠している人も多くいると思う。けれど精神障害者も、元はといえば健常者と同じ「普通の」人。たまたま気質や環境、経験によって悪い運に当たって障害を持ってしまっただけで同じ世界に住み同じ世界で生活を営む権利のある人間なのだ。先天性の知的障害者だって程度や人柄や得意不得意なものは人それぞれ違い、同じ人間は誰一人いないし一括りにして良いものではない。
彼氏のおかげでわたしも初めて実感した。「知ること」で印象や意識はこんなにも大きく変わるし、興味関心に繋がることもある。無知が偏見や差別を呼ぶのであって、身近な存在になるだけで違ってくることもあるのだ。

 もっと世間に障害者雇用が広がって欲しいと切に願っている。スキルや学力や社会経験がなかったとしても工夫次第で与えられる仕事はたくさんあるはずだし、共存できる方法は無限にあるはずなのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?