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伯母の浴衣


 夏の初め。
 ひとり暮らし中の娘が、浴衣を送ってほしいという。

 浴衣だけじゃ、もったいないから、と小さな段ボールに、ぎっしりと、送りたいものを詰めて、送る。

 娘の浴衣を出したら、わたしの浴衣も出てきた。高校時代に家庭科の授業で作ったもの。裁縫は大好きだが、ミシンが苦手で、この浴衣には苦労した記憶がある。結局、ミシンのところも、かなり手縫いにした。最後、なんとか仕上げられて、ホッとした。

 それを、当時、遊びに来ていた伯母に見せたら、手厳しい言葉をたくさんもらった。伯母は、若い頃、和裁の学校に通っていたから、そう言うのも無理はない。わたしもやっつけ仕事になってしまったって、感じていた。時間もやる気も、足りなかった。

 伯母は、「ちょっと、貸してみぃ」と浴衣と、余り布を持って帰ってしまった。嫌だったけれど、嫌だと言っても、それで納得するような伯母ではない。

 しばらくして、伯母はがまた遊びに来た。わたしの浴衣は、伯母の手で、美しく生まれ変わっている。でも、そのときのわたしは、あまりうれしくなかった。そんなこと、わざわざしなくても、って思った。

 伯母は、どこをどうして、と詳しく説明してくれたが、ほとんど、きいていなかった。手直しというより、作り直してもらったようだった。自分の下手さ加減を痛感して、勝手に落ち込んだ。

 その次の夏。伯母の浴衣を出す。わたしに合わせて、身ごろが調節されていて、ぴったりだった。それに、着心地もよかった。とても気に入って、お祭りに出かけるときには、いつも着ていった。このとき、伯母にお礼を伝えただろうか。よく覚えていない。この浴衣は、それからも、10年ほど着ていた。

 懐かしい。

 浴衣を手直ししてもらってからだと、もう30年ほどが経つ。色褪せた伯母の浴衣を広げて、よくよく眺めてみた。

 目につきやすい場所のつなぎめの柄合わせは完璧。細かいところ、例えば、袖のつなぎめには、破れないように、小さな小さな当て布で、補強がしてある。余り布を無駄にせず、他にも当て布があちこち。何より、細かな縫い目たちが、これでもかと、綺麗にずらりと並んでいた。これを縫うのに、たくさんの時間がかかっただろう。伯母のうちは、専業農家で、いつも忙しかったはずなのに。

 あぁ、こんなにしてもらっていたんだと、ようやく、気がついた。そう思ったら、胸がいっぱいになって、目頭が熱くなった。今ごろになって、気づくところがわたしらしい。ほんと、ごめんね、伯母さん…

 改めてお礼を言おうと思っても、もう伯母はこの世にはいない。いなくなっても、時折、こうやって、伯母の愛をひしひしと感じることがある。たくさんのものを手作りしてくれたから、それらを見るたびに、見守られているような気持ちにもなる。

 久しぶりに、浴衣を羽織ってみる。

 笑顔で「しっかり、しやぁ!」と言う、伯母の姿が、目に浮かぶ。

 伯母さん、ありがとう!



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