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「あなたのことが大好きなのだ」とわたしはわたしに言い続けたい


 まゆさんの記事を読みました。お気持ちがとてもとても、うれしくて、ありがたくて。まゆさん、本当にありがとうございます!

 まゆさんに勇気をいただいたから、重い内容ですが、小さなわたしに出逢った、その後を書いてみます。


小さなわたしに出逢ったはなし


 最近のわたしは、どう感じるかを1番にしております。それが、わたしらしさ、だからです。元々のわたし、自他共に厳しく、短気で、怒りっぽいようです。

 ときに、考えるより、感情のまま、行動しています。まるで、子ども…そうです、やり直ししているか、のようです。それで、本来の自分と、今まで作ってきた自分が混じり合い、ちょっと、今、混乱気味です。そのうちまとまるのでしょうが、まだ、時間がかかりそうです。

 書いてみましたが、読み心地がよいものではありません。また、どうすればいいか、現在模索中で、すっきりもせず、重いです。ご了承いただける方は、先をお読みください。すみませんが、よろしくお願いいたします。



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 小さなわたしを、本来の自分を、大事にしようと決めてから、5ヶ月ほど経った。思考より感情を優先して、じっくりと自分の心の声に耳を傾けてきた。

 幼いわたしは、ネガティブな感情は感じてはいけない、泣いてはいけない、頑張らなくてはならない、我慢しなくていけない…そんな、今から思うと、よくわからないもので、自分を縛りつけていたみたいだ。大人からしたら、手がかからぬ、よい子だった。周りの顔色を伺い、世間体を考え、行動する。自分の感情は、後回しで。ちゃんとやってきたはずなのに、自分が自分自身でよくわからず、自信が持てない。

 今思うと、わたしは子どもだったのだろうか。7才くらいから、なんでも自分でやったし、甘えないし、わがままも言ったことがない。わたしは、小さいころから、小さな大人だったような気がする。だから、大人にはなりたくなかった。これ以上、どうやったら大人になれるのか、わからなかったから。

 この春、閉じ込めてきた感情を解放しようと思った。感情を素直に感じるようになって、まず、さみしさと悲しさが出てきた。素直に泣いた。その次に、怒りが出てきた。怒りを消化しようと、思いっきり踊った、声が枯れるほど歌った、がむしゃらに走った。もう、これで、スッキリするかと思ったら、まだ、あった。

 心の奥には、カチカチに凍てついた、どうしようもなく、あおく冷たいものが残っている。さみしさ、悲しさ、理不尽さに悔しさが入り混じったような、うまく言葉にできぬものだ。

 ひとりで、それと対面できない。もう、今は助けてと言える。だから、カウンセリングを受けることにした。話していたら、幼少期の育ちに、溶けないわだかまりがあると、気がついた。帰宅後、心が不安定になって、大きく揺れた。視野が狭くなり、思い込みが強くなっているとわかるのに、コントロールができない。

 今さら、母に父に、甘えたいわけじゃないんだ。気づいたところで、もう何もかも、遅いような気がする。幼いとき、我慢せずに、わがままを言えばよかったんだろうか。

 どうして、わたしは、こう、なんだろう。そんなこと、気にしなくてもよかったのに。もっと、気楽に考えられたら…いや、そんなの無理だったよね。がんばった結果が、こう、なのか。確かに、わたしが選んできたことだ。それでも、納得がいかない。

 どうしようもなく、さみしくて、悲しくて、悔しい。胸が痛くて、やりきれない。

 そんなときに限って、夫と息子は揃って旅に出ていて、わたしはひとりだった。本当は、ひとりには、なりたくなかった。すぐ隣に両親はいるが、今は絶対に会いたくない。娘には、電話したくなかった。

 そんなとき、息子の中学時代のスクールカウンセラーの先生から、お手紙が届いた。わたしが書いたお礼の手紙の返事だった。すがるように、手紙を読んだ。あたたかな言葉たちに、涙があふれた。何度も読んだ。それから、ぼんやりした。ちょっと、落ち着いた。涙が止まった。

 そうだ。わたしは、しっかりした安全基地を持たないで、大人になったけれど、わたしは子どもたちの安全基地にはなれたのだ。それには、自信を持っていい。

 それに、子育てをする中で、子どもたちに癒されてきたとも気づいた。抱っこやハグをたくさんしてきた。それは、同時に、わたしが子どもたちから、抱っこやハグをしてもらっていたといえるだろう。

 わたしが幼いころしてもらえなかったことを、わたしは子どもたちにやってきた。正直、うらやましいなぁ、ずるいなぁと思ったこともある。でも、その時は気がつかなかったけれど、本当は、たくさんたくさん、子どもたちから、してもらっていたんだなぁ。

 ただ、決して、子どもたちを、わたしの安全基地にはしたくない。それじゃあ、わたしの両親と同じだ。

 ふと、一冊の本を思い出した。『子どもの心の育て方』佐々木正美先生の本だ。親の立場で、一時期、何度も読んだ。それを、この日は、子どもの立場になって、読んでみた。

 先生の言葉が、わたしに言ってくれてるみたいだった。「あなたは悪くないよ」って。また、泣いた。長くなるが、一部を引用させていただく。

 一般的には、親や社会に都合のいいことが長所で、都合の悪いことが短所だとされてしまっています。けれど子どもが幼いときから自分気持ちを抑え、我慢をするのは立派なことに見えるけれども、実は自分を見失うことでもあるのです。大きくなったとき、自立を妨げることでもあります。

〜略〜

 「いい子」というのは聞き分けがよく、わがままを言いません。けれどそれは自主性、主体性、自分の希望を極度に押し殺しながら、大きくなってきた結果です。自分が自立していくための道をしっかり見極めなくてはならない思春期になって、自分というものが見えてこないわけです。そのため思春期ならではの混乱を起こしやすい。

〜略〜

 少しでも自分の子どもにそういう傾向があるな、と思ったら、何歳からでもうんと甘やかし、抱っこしてあげてください。
 「いい子」はどんな食事を出しても好き嫌いを言わず、残さずこぼさずきちんと食べるかもしれませんが、「今日は何が食べたい?」と聞くと、「なんでもいい」と答えてしまう子かもしれません。まず、子どもの一番好きなものを作ってあげたり、わずかでもお小遣いを渡して好きなものを買わせてあげたりしてください。
 そして、「いいことをしたときだけ」ほめるのではなく、いつでも、どんなことをしてもお父さんとお母さんはあなたのことが大好きなのだ、ということを繰り返し、伝え続けてほしいと思うのです。

『子どもの心の育て方』佐々木正美著 

 泣きながら、ヒントはここにある、と思った。わたしがわたしに、やっていけばいいのではないだろうか。それから、人に甘えること、頼ることを、少しずつこれからも。許されるだけ、夫に、親友に、友人に、仲間に、それから、いつか両親にも。

 何でも、気づくことから始まる。始まったら、いつかは終わるはずだ。そう思って、この先も焦らずに、やっていこう。わたしは、とても、あきらめが悪い。そこが、とても気に入っている。




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 同じような思いをする方が楽になりますように。
 同じような思いをするお子さんがいなくなりますように。

 読んでくださり、ありがとうございました!



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