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声出してこー!


 小学校の高学年のころだったか、国語の授業で、ひとりひとり朗読を発表することになった。記憶があいまいだが、たしか鹿が出てくる物語だったと思う。声を出して読むうちに、とても楽しくなってきて、何度も何度もしつこく読んだ。

 発表の日、あがり症で吃音があるわたしだったが、自分が満足する朗読ができ、とてもとてもうれしかった。一時だけれど、別の誰かになれるような気もしたし、その物語をじっくり味わえて、楽しかった。

 大人になってから、保育園で延長保育のパートで、絵本の読み聞かせをするようになる。結婚して子どもたちが生まれて、読み聞かせは日常になり、特に夜寝る前のお楽しみになった。今から思うと、子どもたちのためだけではなかったな。子どもたちを怒り過ぎた日も、読み聞かせをすると、それがリセットされるような気になったものだ。

 子どもたちが大きくなって、寝る前の読み聞かせをしなくなっても、小学校の読み聞かせボランティアで、読み聞かせは続けた。息子の小学校卒業と同時に卒業したが、昨年、読み聞かせのピンチヒッターとして参加し、この春からは、人手不足とのことで、また始めた。

 それ以外でも、今は自分のために、絵本などを1日に一冊、読み聞かせしている。今の自分たちへの贈り物。どんな忙しい日でも、なるべくひとつは読む。まぁ、忘れん坊なので、忘れている日もあるが、たいてい、寝る直前に思い出す。そうしたら、覚えている詩の一編を暗唱して、その日はおしまい。眠過ぎて、詩を思い出せないときは、即席で詩を一編作って、声に出す。そういうときの詩は、翌日の朝には、もう覚えていない。

 言葉は、目で読むときと声に出すときと、印象が変わるようだ。わたしは、書いたエッセイを頭の中で読んでいるときと、声に出して耳からきいたときとでは、内容が変わらなくても、文章構成が変わる。だから、声に出してチェックするようになった。読みやすいのがいい。

 文章を書くようになって、それぞれの人の言葉には、それぞれの人の特徴というか、リズムがあることに気がついた。声に出すとよくわかる。言葉も音楽なんだなぁ。そう思うと、声を出すことは、より楽しくなる。

 そういえば、言葉に節をつけて、歌ってしまう癖もある。わたしの亡き祖母の影響だろう。祖母は歌が好きで、よく歌ってきかせてくれた。言葉遊びもとんちもお得意。言葉を歌うようにも話してくれた。ユーモアあふれる人だった。春に生まれて、春に亡くなった。厳しいところもあったが、うふふと笑う祖母は柔らかな春のイメージ、そのものだ。

 noteで、この5月から朗読を始めた。一年も前から、やってみたいと思いつつ、なかなか勇気が出なかったし、どうやったら、声を投稿できるかという基本的なことがよくわからなかった。調べたり、詳しい人に尋ねたりして、また、何度も読んで練習もして、自分で満足がいくものができ、それをドキドキしながら、初投稿した。

 けれども、確認のため、自分の録音した声を改めてきいてみると、あまりにも恥ずかしく、下書きに戻したい気持ちになった。でも、すぐにスキをひとつ押してもらって、きいてもらえたらなら、このままにしようと腹が座った。

 それの繰り返しで、朗読はもう14本。読みたいものがいろいろ出てきて、楽しくなってきている。最初は、自分の声をきくだけでも嫌だったが、それにもじき慣れた。眠る前に、録音のチェックをすると、なぜかよく眠れる。それで、気がついた。わたしの録音した声は、母や妹たちの声に似ているから、安心するんだ、きっと。

 また、難聴だからか、はっきり話す癖もついているみたい。だからなのか、ききとりしやすく、うるさいほどによく響く。自分にききとれるように、進化しただけなんだろうけれど、ありがたいことのひとつだと思う。それで、難聴でよかったことを探したら、もっとあるような気もしてきた。

 さて、これからも声を大切にして、いろんなものを読んでいきたい。お時間あるとき、お付き合いいただけたら、幸いです。



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