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Wのかぎしっぽ



 「ヒロが、ヒロが見つかったよ。うちにおった。うちの倉庫に。あんたも会ったって。」

 母が興奮して言う。飼いねこのヒロがいなくなってから、もう10年以上が経っていた。

 ヒロが生きている?
 まさか。

 母は小さな段ボール箱をそっと置いて、ふたを開けた。

 ヒロだ!
 たしかにヒロだ!

 その年、米の貯蔵庫をどかしたら、その奥にあった段ボール箱のなかで、ヒロは箱座りしたまま、見つかった。眠っているかのような穏やかな顔で。

 2006年、それはわたしが結婚をし、第二子の妊娠を機に、地元に帰ってきた年だった。


 時は遡って、1980年代の終わりのこと。
 わたしは、5匹のねこと暮らしていた。野良ねこがうちの屋根裏で子ねこを4匹産んだのだ。子ねこはみな雄だった。

 そのうちの1匹がヒロ。

 ヒロは瞳が薄グリーンで、淡い茶色の長い毛を持ち、尾はWの形のかぎしっぽ。ヒロ以外の兄弟たちは茶トラの短毛。ヒロはのんびりやさんで、それも他の兄弟たちとは違っていた。それに、さわられるのが好きじゃないみたい。

 そのころ、中学生になったわたしは、北側の縁側に勉強机を置いて、狭いけれど自分の部屋のような空間を手に入れた。

 勉強机の白熱灯は明るくあたたかく、いつのまにかヒロのくつろぎの場所になっていた。ぐでーんと伸びたヒロのおなかを見ながら、狭くなった机の上で、課題をしたり、絵を描いたり、ラジオを聞いたり。

 ヒロは自分をなでてほしいとき、自分からすりよってくる。すりよってきてくれるときだけ、わたしはヒロをなでる。

 柔らかくあたたかいヒロ。顔から背中をなでて、最後はしっぽ。長い毛のふかふかの中に、節のゴツゴツがあるしっぽは、不思議なさわり心地だ。そんなときのわたしは笑顔になっていたはず。

 中学時代のわたしは、周りから自分だけが、浮いているような気がしていた。なんとなく、仲間に入れない。ひとりは気楽だが、ずっとひとりではさみしい。いつも何かにイライラしていた。

 上から押しつけられるように感じた学校生活。竹刀を持ち歩く先生。楽しいこともあったけれど、重苦しいと感じることが多かった。

 毎日、泥のように眠るわたし。ヒロはよく近くにいた。ヒロとわたしは気が合う気がする。自分のペースを守りたい、過度に干渉されたくはない。そのうえ、ちょっと鈍いところも同じだ。近くにいてくれると安心する。

 高校生になり、毎日が楽しく忙しくなると、ヒロと過ごす時間は減っていった。ヒロはどう思っていたのだろう。わたしは自分のことしか考えていなかった。このころのヒロのことは、あまり覚えていない。

 そして、わたしが高校を卒業した年、うちの建て替えが始まり、ねこたちは1匹、1匹去っていき、ヒロもいつのまにかいなくなってしまった。いなくなってから、ようやくその存在の大きさに気が付いた。

 もう会えないだろうと思っていたけれど…

 久しぶりに、ヒロをなでようとして、思い出した。ヒロをなでるのは、ヒロがすりよってきてくれるときだけ…。


 また会えたね、ヒロ。
 あのとき
 そばにいてくれてありがとう。

 ヒロのWのかぎしっぽ。
 ふれなくても
 そのさわり心地を思い出した。



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