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心の重し


 息子の誕生日が近づいてきた。そういえば、娘の誕生のことを、記事にしたことがあったなぁ。


 息子の誕生のことも書いてみよう。

 息子は、3500gほどのまるまるとした体格で生まれた。助産師さんに、「おかあさん似だねぇ」と言われ、うれしくなった。なるほど、まんまるい顔は、わたし似だ。面長な娘は、どこをどうみても、夫似。

 息子、お乳を飲むと、すぐ、噴水のように吐いてしまう。体重が増えないどころか、どんどんと減っていく。加えて、黄疸が強く出た。血液型がわたしとは違う。というか、うちの家族は、夫、わたし、娘、息子と、血液型が、みんな異なる。娘にも黄疸は出たが、症状は軽かった。

 真っ黄色な顔で、だんだん痩せていく息子。

 黄疸治療のため、光線治療用のベッドに、お乳をあげる、おむつを変える以外は寝かせなくてはならなかった。

 あるとき、大泣きした息子を思わず抱っこしてしまった。たまたま、部屋にきた助産師さんに言われた。「気持ちはよくわかるけれど、きちんと治療をしんと、大きな病院に入院するってことにもなるよ」と。

 それからは、大泣きしても、抱っこはせずに、ベッドに寝かせたままであやした。丈夫に産んであげられなかった自分が悪い、どうしても、そんな気持ちになってしまう。

 毎日、姉になった娘が見舞いにきてくれた。3才近い娘は、大のパパっこで、パパさえいたらいい、ぐらいだったので、さみしくはあったが、わたしはすっかり安心していた。

 娘は、ただをこねるわけでもなく、いつも通りの様子にみえた。日中、娘を預かってくれていた母も、娘はおりこうさんだと話す。

 明日が私の退院という日。わたしは、退院をのばそうかと、迷っていた。息子は、なんとか、別の病院に入院することは間逃れたのだが、一緒に退院はできず、2、3日様子見になったためだ。体重はゆっくりと増えていたが、まだお乳も吐くし、できたら、息子についていてやりたい。その日くる予定の母に、相談してから、決めようと思っていた。

 母と娘がきてくれた。母が、「ママは明日帰ってくるでね」と、もう娘に話している。どうしようかと、まごまごしていたら、娘がやけに真剣な目で、わたしに言った。

 「ママといっしょ!かえらない。」

 その目を見て、ようやく、わかった。ちっとも大丈夫じゃなかった。うんとうんと、娘は辛抱してきたんだ。わたしがいなくて、さみしかったんだ。こんなちっちゃいのに、いろいろ考えて、今日こそ言おうと、決めたんだろう。娘はおしゃべりが得意ではない。そんな娘の言葉は、重く、わたしに響いた。

 わたしは何も言えなくて、ただ娘を抱きしめた。こういうとき、身体がふたつに分かれたら、息子と娘の両方といられるのになぁと、ぼんやり思った。

 でも、娘のぬくもりを感じながら、明日退院することを、わたしは決めた。毎日、息子に会いに行こう。母乳を届けがてら、通おう。

 「ママ、明日おうちに帰るよ。一回ねんねして、起きたら、ママとずっと一緒だよ。」つとめて笑顔で、娘に言った。

 その日、面会終了時間ギリギリまで、 娘はわたしにべったりだった。時間がきて、母は娘を連れて帰ると言う。「帰ろ」という、おばあちゃんの言葉に、娘は素直にうなづいて、帰り支度をする。

 エレベーター前まで見送った。扉が閉まる直前、娘が大きな声で、泣き出した。それを見て、思わず抱きしめようと思ったけれど、扉は閉まってしまった。

 わたしは、「今日はずっといていいよ」と娘に言えなかった。言えばよかった。エレベーターを止めればよかった。今でも、後悔がある。なんで、できなかったんだろうなぁ。そうして、気づいた。わたしがあんなに嫌だった姉としての役割を、当たり前のように、娘にも押し付けていたことを。


 息子の退院後、怒涛のように、子どもふたりの育児が始まった。娘のあの言葉は、わたしの心の重しになった。決して、娘に、「おねえちゃんだからがまんして」とは、言うまいと思った。どちらも同じようにが、わたしの育児の根本にある。

 子どもって、あっという間に、育っていく。振り返ると、驚くほどはやい。ふたりの育児、ときにバランスを崩したが、同じようにしようと、わたしなりに気をつけてきた。姉弟というより、双子みたいな関係だが、まぁ、それでいいかなと思っている。

 娘は今年、20才になる。わたしもおかあさん歴、20年だ。もう、しっかり、「おかあさん」が板についた。けれど、何年経っても、ベテランには程遠い。失敗しては、やり直すの繰り返しだ。

 まぁ、一緒に育っていけばいいやと、今は、そう思っている。




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