みんなのリズムで読む〜まゆとおに〜
2月のある朝、小学校に読み聞かせに行った。2年1組のクラスだ。
読む本は、「まゆとおに」にした。節分もあり、おにのお話を読みたくなったから。富安陽子作、降谷なな絵、福音館書店から出版されている。
「まゆとおに」は、やまんばのむすめ、まゆのお話。おにを知らないまゆと、まゆを食べようとするおに。まゆは、こちらが思いもつかないことを次々とやっちゃう…
まゆがおにについていく場面では、一緒に話を聞いている子が、隣に座る担任の先生に「ダメだよね」と、話していた。先生は、にっこりとその子を見つめる。
怖さから顔を覆っているのか…ある子は、それでも続きが気になって、覆った手から、ちょっとだけ目がのぞいている。
その後、まゆが起こす行動に、歓声を上げる子、びっくりして目を丸くする子、固まっている子もいるし、ずっと感想をしゃべっている子もいる。同じ本の読み聞かせでも、きっと感じ方はいろいろで、それを表現するのもいろいろなんだなと思う。みんなの中に、それぞれのお話が生まれてるんだろう。
そうして、最後は、めでたしめでたし、で終わる。ホッとして、みんな、最後は笑顔になる。こうやって、終わるお話がいいなぁ、といつも感じる。
それから、こういうシリーズものは、「この本の他にも、まゆの話があるから読んでみてね」と子どもたちに言うことにしている。また、まゆに出会えますように。
そう言って、終わろうと思ったら、「本の後ろも見せて!」とリクエストが入った。いけない、いけない…いつもは、ちゃんと、背表紙も忘れずに見せるのに、うっかり忘れていたようだ。慌てて、背表紙を見てもらう。背表紙には、お母さんのやまんばに担がれて、すやすや眠るまゆの姿があった。疲れたんだろうね、まゆ。
うちで練習したときと本番とでは、自然と読み方が変わってくる。前々からそうだと気づいていたけれど、今回ははっきりと、それが身体でわかった。どうやら、そのときの子どもたちの反応に、わたしの身体が反応して、強調したいところや、間を開けたいところが、練習のときとは違ってくるみたい。リズムが変わる。最中に、それを意識して、今回は読めた。
そういうものなんだろうなぁ。別のクラスで読めば、また、ちょっと違ったリズムになるのだろう。ひとつの本を、そのとき、そのクラスみんなで、読むのだから、それは不思議でもなんでもないかもしれない。読み聞かせは、読み手と聞き手でつくるものだから。
「まゆとおに」の作者である富安さんの本が、うちには何冊かある。今の、この日常とは違う世界でのお話だけれど、読んでいると、わたしも当たり前のように、そこで暮らしている気持ちになってしまう。意外な展開なのに、不思議と、そういうこともあるかも、と思ってしまう。昔ながらの日本人の心持ち、日本らしさみたいなものも体感できる。
また、自分でこの本を読むとき、その絵の素晴らしさがよくわかる。文字には全く登場しない「きつね」に、わたしは目が釘付けだ。「きつね」は、おにがとても怖いんだろうけれど、まゆの側を決して離れない。この「きつね」がいてくれるから、まゆは大丈夫って、思える。降谷さんの絵は、生き生きとしていて、まるで、その場に居合わせているかのようだ。絵が語る。
このおふたりだから、この「まゆとおに」ができたんだろうなぁ。
絵本って、読んでもらってもうれしく、自分で読んでも楽しく、また絵を見るだけでも面白い。
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