綿矢りさブーム
「嫌いなら呼ぶなよ」
作品の存在は知っていたし本屋で見かけたこともあったけれど、ある日突然すごく読みたくなった。
多分、何かしらのきっかけはあったんだと思う。
こういうことは結構稀に起きる。
食べ物と一緒である。
今まで全くスパゲティの存在すら忘れていたのに、あ!今ナポリタンが無性に食べたい!!
みたいに。
めちゃくちゃ読みたくなったから、すぐに本屋に直行した。そのころはまだ出たばかりで、本屋で見たこともあったから表紙のデザインもわかっていたので、入り口付近に平積みにされている本をすぐに発見し、手にした。
1番上ではなく、丁寧に下から取り出した。
平積みの本、1番上のを取って買う人はいるのだろうか。
1番上の本は、誰かが悩むために一度手に取ったり、誰かが少し立ち読みしたり、大抵誰かの跡がついてしまっている。もしかしたら下のもそうなのかもしれないけれど、購入する自分が気持ちよく買えるならば知らないままでよい。
「嫌いなら呼ぶなよ」
以前に見かけたときも読みたいなって気持ちはあったのだけど、部屋にある小さな本棚はすでにいっぱいだし、値段的にも文庫になったら買おうと思っていた。
けれど今は、読みたいという欲望がそんなことを全部呑み込んでしまっている。
短編がいくつか入っている作品。
登場人物は身近にいるような人で、そして人間の中の、もちろん自分の中にもある黒くて濁った部分を爽快に直球で表現してくれる。
形にならなくて言葉にできなかった感情の正体を知れる。
読み終わった後、他にもまだ読んだことがない綿矢りさの作品を読みたいと思って、「夢を与える」という本を購入した。今回は中古で、某メ◯カリで購入。欲しい!と思ったときにすぐに検索して買えるのがネットの良いところですね。
「夢を与える」
こちらは長編作品。お母さんが子どもに夢を与えて、子どもがお母さんに夢を与えて、ファンにも夢を与えて。
夢を与えるってなんだろう。
「私もこうなりたい!」とか、
「私もこうなりたかった!」とか、
道しるべ的な存在になることなんだろうか。
ある出来事で主人公が仕事を失いかけることになるんだけど、その犯人がはっきりと表現されることはないし、会いたかった人の行方もはっきりと表現されることはないけれど、だからこそ主人公の心の動きが見えるような気がした。
読み終えて、私はまた思った。
他にも、綿矢りさの作品が読みたい。
「夢を与える」をメ◯カリで買ったときに気になった「憤死」を買った。またメ◯カリで。
「憤死」
こちらはまだ読み途中。短編が何作か入っている。本の説明部分にあった、失恋した女の子が自殺未遂をしたという噂が〜の表題にもなっている作品を早く読みたい。
「憤死」
タイトルからなんかいい。
今の私はこういうのが読みたい。
なんだか不穏を感じるようなそんな話を。
今の私は、綿矢りさの作品を無性に読みたい。
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