見出し画像

「STAND BY ME ドラえもん」は本当にハートフル映画なのか?

今年、連載開始から50周年を迎えた国民的マンガ「ドラえもん」。
物語の概要に関してはもはや説明は不要でしょう。それほど、ドラえもんは日本人の、もっと言えば世界の人々の心に、名作として深く刻まれています。今年の8月7日、のび太くんの誕生日に合わせて公開される映画「ドラえもん のび太の新恐竜」も、とても楽しみですね。

そんなドラえもんを初めて3Dで映画化したのが、表題にもある「STAND BY ME ドラえもん」です。ドラえもんとのび太の出会いから、のび太の成長、しずかちゃんとの関係、そして別れまでを一本の物語として描いた作品となっており、「ドラ泣き」というキャッチコピーも話題となりました。
その絵柄の温かさもあり、一見ハートフルな映画として捉えられがちな本作ですが、果たして本当にそうなのでしょうか?

今回は、全マンガの中で一番ドラえもんが好きな自分(トモロー)が、「STAND BY ME ドラえもん」を今更ながら鑑賞して、感じた良い点・悪い点・エトセトラなど、感想として色々まとめていきたいと思います。

どら

山崎貴監督のあるある言いたい

本作を手掛けたのは、「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズや「永遠の0」などのヒットで既に広く知られていた、山崎貴監督。

山崎

CGやVFXに長けており、「ALWAYS」シリーズの昭和の街並み、後に発表した実写版「寄生獣」シリーズの戦闘シーン、「DESTINY 鎌倉ものがたり」の和風ファンタジーの世界観を見事に表現していることでも有名です。

本作以降、山崎監督は3Dアニメーションの映画製作にもかなり意欲的になっていて、2019年の下半期だけで「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」と「ルパン三世 THE FIRST」の2本を製作しています。
ただこの2作の完成度は、個人的にあまり良くないと思っていまして…
(CGアニメとしての質は高いのですが、両作とも原作への愛があまり感じられない、上澄みだけをすくったようなストーリー構成が気になりました。「ドラクエ」の方はラストが酷いと話題になりましたね)

ただ「ドラえもん」に関しては、山崎監督もかなり影響を受けた作品だと考えられます。山崎監督のデビュー作「ジュブナイル」は、ドラえもんファンが考案した非公式の最終回のストーリーを原案として作られており、その事もあって他の2作よりは、それなりに力を入れられていると感じました。
まあ、原作の人気エピソードを再構成して映画の尺に収めているので、ダイジェスト感が否めない構成になっているのは残念ですが…

また、山崎監督の特徴として良くも悪くも「感動で泣かせる」という要素に重きを置いていることが挙げられます。本作以外にも、「ALWAYS」シリーズや「BALLAD 名もなき恋のうた」、「永遠の0」などにおいてそれが顕著に見られますが、時にその演出が過剰な範囲まで達しており「押し売り感」が出てしまう事も多々あるという印象です。

あとこれは何故かわかりませんが、映画のタイトルに英単語を挟んでいくスタイルをよく取られています。ALWAYS、BALLAD、STAND BY ME、DESTINYなど、こじゃれた英単語を持ってきては、主に有名な原作がある映画のタイトルに採用しています。本作も例外ではありませんでした。

以上のように、「STAND BY ME ドラえもん」は山崎貴監督によって、色々な意味で山崎貴監督らしく製作された映画だと言えるでしょう。
そんな感動作メーカーの山崎監督が制作した「ドラえもん」は、果たしてどんな作品となったのでしょうか。

「わすれろ草」が多すぎるストーリー

先に言っておくと、自分は本作のストーリーにはかなり納得がいっていません。一か所だけ泣きそうになりましたがあとは全くでした。

まず本作の問題点の一つとして「原作の重要な回を再構成して一本にした結果、キャラクターの整合性や統一性がメチャクチャになっている」という点があります。ちなみに、その再構成された重要な回の一覧は、
「未来の国からはるばると」(ドラえもんとのび太の出会い)
「たまごの中のしずちゃん」(身勝手なのび太の敗北と挫折)
「しずちゃんさようなら」(のび太としずかちゃんの固い絆)
「雪山のロマンス」(結婚を決める重要事件)
「のび太の結婚前夜」(結婚を迎えた二人と周りの人々)
「さようならドラえもん」(のび太とドラえもんの別れ)
「帰ってきたドラえもん」(そして、再会)

まずはジャイアンとスネ夫です。
そもそも本作は「ドラえもんとのび太の、『のび太の幸せ=しずかちゃんと結婚する未来を掴む』に辿り着くまでの物語」と言えるので、結果この2人はストーリーの中核から大きく外れたところにおり、基本的には「のび太をいじめる相手」という立場でしか出番がありません。

ジャイアン

一応、のび太と一緒にドラえもんの道具で楽しく過ごすという様子も申し訳程度には描かれるのですが、あまりのび太との親交を感じさせる場面の無いまま、「結婚前夜」では仲睦まじい様子が描かれており、そのあとすぐの「さようならドラえもん」のパートでは理不尽に暴力を振るおうとするジャイアンが、「帰ってきたドラえもん」では最悪なウソでのび太を苦しめる2人の様子が描かれています。映画以外のジャイアンの非道っぷりは嫌いじゃないんですが、ところどころでジャイアンの陽の部分を見せている分終盤の行動がより非道に思えてしまいました。これは絶対に「わすれろ草」で記憶無くしているとしか思えません。

次にしずかちゃんについてです。
本作では「たまごの中のしずちゃん」パートで出木杉に惹かれる彼女を、「しずちゃんさようなら」パートで彼女とのび太との絶対的な絆をそれぞれ表現しています。これも原作で個々の話だけ見ればいいのですが、映画で連続したエピソードとして見るとかなり不自然で、致命的な矛盾が生じてしまっているように見えます。
彼女の出木杉への想いはどこに消えたのでしょうか?あと「しずちゃんさようなら」パートの後になぜか出木杉への想いを匂わせるようなシーンを挟む必要はあったのでしょうか?
どうも彼女の八方美人な面が目立ってしまっています。もしかしたら彼女も「わすれろ草」を嗅いで記憶を無くしている可能性が…

しずかちゃん

個人的に一番ショックだったのは「のび太の結婚前夜」パートでの、しずかちゃんパパの名言がこの映画だとあまり響かなかったことですね。
「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」とのことですが、この映画ののび太って「しずかちゃんと結婚したい」という想いが強すぎて他人への優しさと言う要素が原作に比べて感じられないんですよね。(笑)  「たまごの中のしずちゃん」パートでは見方によってはかなりエグイやり方でしずかちゃんを振り向かせようとしていますし、その後の出木杉の対応が神様みたいに見えてきます。
もちろん、自分たちはそれ以外のドラえもん作品を見る事でのび太の優しさに触れてきました。しかしこの映画だけ見ると、のび太の自己中心的な言動が目立ってしまっているため、しずかちゃんパパの名言にも素直に感動できないというのが残念でした。
もしかしたら僕たち観客も「わすれろ草」を嗅いでのび太の優しさを忘れてしまったのでしょうか。

こうなってしまったのも、一話完結型の各々のエピソードを一つの作品に再構成したことが原因だと考えられます。一つの大きなストーリーの流れを作るための再構成とはいえ、もう少しアレンジを加えて統一性を持たせるべきだったと思います。各々のエピソード自体はどれも評価が高いだけに、この結果は悔しいものがあります。

セワシという名の鬼

各キャラの言動の異常性が少しずつ垣間見えた本作でしたが、一番の問題児を忘れるところでした。のび太の孫の孫、未来でのドラえもんのパートナーでもある野比セワシです。
この少年は鬼です。まごう事なき鬼です。

実は、本作には原作に全くないオリジナルの設定が一つ追加されています。
それはドラえもんに取り付けられた「成し遂げプログラム」なる装置です。
このプログラムは、のび太の幸せな未来が確定するまでドラえもんを現代に縛り付けるためにセワシが設定したもので、そうなる前にドラえもんが帰ろうとすると全身に強い電流が走るという、孫悟空もビックリのお仕置き装置なのです。

電流

これはひどすぎる。(笑)
セワシ、ドラえもんをまさかの奴隷扱いですよ。ドレいもんですよ。現代に望んで来た訳じゃない本作のドラえもんに言う事聞かせるにはこれぐらいしないと、ってことかもしれないですけど、そもそも原作のドラえもんは嫌々現代に来たわけじゃないので、ここでこのプログラムが必要になることは本当はありえないんです。

しかもこのプログラムの凶悪なところは、のび太が幸せになり、ドラえもんとの友情も最高潮になったところで再び起動し、今度は現代に残ろうとすると電流が流れるというところ。しかも現代には二度と来ることができないオプションもついています。
ドレいもん再びですよ。科学的生命体は意思を持つべきでないという令和のAI成長期への挑戦ですよコレは。こんな拷問デバイスを取り付けたセワシの幸せのためにドラえもんは奮闘しているんですよ。ここが一番の「ドラ泣き」ポイントといっても過言じゃないと思います。

更に言えば、この「成し遂げプログラム」が物語上本当に必要だったのかというところも凄く怪しいです。
個人的にこの映画での「成し遂げプログラム」の結果的な役割は2つあると思っています。1つはドラえもんに明確な「帰る理由」を作る事です。
原作の「さようならドラえもん」では、ドラえもんが未来に帰る理由は特に明記されていませんでした。そのため、明確な「帰る理由」として本作ではあの拷問デバイスが設定されたのかもしれません。
しかし、新たに明確な理由を作るにしても、ドラえもんの意思を無視しているこの展開はどう考えても適切でないように思います。セワシのいる未来側に事情があり、ドラえもんも自らの意思でそれに同意して帰ることになった、という説明の方が全然良かったのではないでしょうか?

さよなら

2つ目の役割は、ドラえもんとのび太の別れを「二度と会えない」ものにすることによってより強い「ドラ泣き」を演出するというものです。理由が不明なままでは「ひょっとしたらもう一回来れるんじゃね?」という意見が出てもおかしくないですからね。
これに関しては、先述した山崎監督の映画製作におけるあるあるでもある、「感動で泣かせることに重きを置き、それが過剰に演出される場合が多い」という点にも大きく当てはまっています。
もちろんその手法で成功を収めた作品もあるでしょう。正直なところ、「ALWAYS」シリーズは見ていて自分も結構感動しました。しかし、あまりにも有名な原作を改変してまで「泣かせること」を重視する本作の姿勢には、あまり賛同できないというのが本音です。

このように、結果的に「成し遂げプログラム」が果たした物語上の役割を見ても、この設定が本当に適切で、不可欠なものだったのかという疑問は拭えません。むしろ不適切で、不必要なものと言った方が良いかもしれません。

のび太を助けるのび太

ここまで本作の悪いところばかり挙げてきたので、個人的に良いと思った点を1つ紹介しておきます。「雪山のロマンス」パートののび太の行動です。

原作では遭難した大人しずかちゃんを助けに行った子供のび太が全然頼りにならず、それでも彼女に支えられながら下山するという流れでした。
一方、本作では子供のび太が助けに行って頼りにならないところまでは同じですが、しずかちゃんが風邪をこじらせて倒れてしまうというオリジナルの展開がありました。そこで子供のび太はタイムパラドックスの原理を応用し、新しく作られた「しずかちゃんを助けに行った子供時代の記憶」を、「その記憶が新たに生まれた大人ののび太」に思い出させることで、大人のび太を雪山まで呼びつけて助けてもらうという作戦を取ったのです。
「アベンジャーズ/エンドゲーム」のタイム泥棒作戦もビックリの、予想の遥か上を飛んでいった展開でした。

ドラえもんではタイムパラドックスを扱った回がいくつもあり、自分もファンの端くれとして幾度となくそれを読んできましたが、これに関しては全く読めませんでした。いつもはダメなのび太が絶望的な状況を乗り越えていくという、ドラえもん映画の醍醐味をここで味わえるとは思ってもいませんでした。もっと前に遭難を阻止できたんじゃないかとか、駆け付けたのび太があまりにもしっかりしすぎているとか、ツッコミどころこそありますがここはなかなかの胸アツ展開でした。
先述したように、本作はのび太の魅力に関して描写不足な傾向がかなりあり、それが不満なのは変わりませんが、このシーンだけは唯一のび太の主人公らしいところを独自に表現した、数少ないストーリーの評価ポイントだと思います。

もう一つ評価できるポイントとしては、CGアニメとしての完成度という面でかなりレベルが高い作品だという点です。これに関してはさすが山崎監督だと言えますね。特に未来世界をタケコプターで飛行するシーンはとても綺麗で迫力があり、未来世界の様々なギミックにドラえもんとのび太が巻き込まれる展開もありとても楽しめました。まあ、原作の絵柄とのギャップがかなりあるデザインだったのは否めませんが…。
(全体的にディズニー・ピクサーを意識したデザインのように感じました。エンドロールのNGシーンもピクサーを意識したものですかね?)

おばあちゃんの思い出は綺麗なままで終われるのか?

結論として、CGアニメとしての技術的なレベルの高さには感心しましたが、力を入れて制作された割にはストーリーに多く問題が見られ、原作のドラえもんの魅力を消してしまっている点も見られる、お世辞にも前向きに評価できる作品ではなかったというのが個人的な感想です。

時期は未定ですが、続編の「STAND BY ME ドラえもん2」も公開が決定しており、そちらではのび太の過去に迫る「おばあちゃんの思い出」を軸にしてストーリーが展開されるとのことです。
正直、今のところ嫌な予感しかしないです。おばあちゃんが作ってくれたクマのぬいぐるみを、非道巨人ジャイアンが引き千切る胸糞展開がない事をただただ祈っています。

おばあちゃん

前回を上回る長文となってしまい大変申し訳ありませんが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

トモロー

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?