復活の詩(うた)
埼玉県某所、4月。
日が出て間もないまだ薄もやのかかる路地を、1人の男が歩いている。彼の名は渡辺夕介。
渡辺は夜勤明けの重い体にギターを担ぎ、日の出に向かって歩き続ける。彼はミュージシャンであるが、現在は介護の仕事で生計を立てている。
正直、介護の仕事にはうんざりしている。本当は自分の歌を売るのが夢であるが、現実はそうもいかず、毎日のように夢と現実の狭間を、ギターという十字架を背負いながら行ったり来たりしていた。そんな生活が、もう20年も続いている。
密集した市街地特有の鬱蒼とした狭い路地を抜け、少しひらけた交差点に出ると、彼にとってのいつものコンビニエンスストアの看板が青く光っていた。そこへ吸い寄せられるように入る。
「っしゃいあせ〜!おあざぁっす!」
テキトーだが、元気だけは100点満点の声が店内に響く。ああ、今日もアイツか。
店内の商品を素早く見定め、飲み物やカップ麺、菓子パンなど数点をカゴにいれてレジへと向かう。
「しぁあせ!ありあとざぃあーす!」
「うっさいわ、朝から。」
「さぁせん。兄さん、今日もアレいきますか?」
「おお、頼むわ。」
「あざーす!!」
そう言って、レジ横のホットスナックコーナーから、渡辺の好物のアメリカンドッグを取り出したこの店員は、彼がこのコンビニを利用する際によくバッティングする。名を西村と言う。
「西村、どうにかならんの?その喋り方。イラッとするわ。」
そう言いつつも少しニヤける渡辺に、西村は追撃した。
「さーせん、兄さん。自分高校出てからずっとこれなんで、今さら変えれないんすわ。あ、イラッとさせたお詫びに」
西村はおもむろに、レジカウンターの下の方をゴソゴソし、何やら頭に装着している。
「じゃーん!どすか?これ!イースターバニーの西村クンっす!!」
西村の頭には、ピンク色のうさぎの耳のカチューシャがつけられていた。
「あほかお前。女子ならともかく、男のバニーは見たくないね。」
「えー、イマイチすか?なんかイースターとかって最近流行ってんので、どーかなーって。兄さんのリアクションみて、みんなでつけようかなって。」
「やめとけやめとけ。お前。見せたのが俺だったからいいけども、その辺のじいちゃんが今のお前見たらマジで怒るぞ。というか、イースターてのは流行りじゃなくて大昔からあるもんだからな、お前が知らなかっただけで。ちゃんと勉強してからそういうイベントやれよな。」
渡辺は熱弁した。実は西村にとって渡辺が真剣に語るこの顔がご馳走であったりする。このバニーのカチューシャも、彼のこの顔見たさに用意したものである。
「わっかりましたー。じゃ、お会計864円す。」
「おい、聞いてんのか西村。西村のチリチリ。」
「チリチリはNGすわ。」
西村は天然パーマのモサモサした頭を上下させて笑った。ちらりと見える2本の前歯が、妙にうさぎ感を醸し出している。渡辺の方も実はこんなやり取りが心地良くて、いつもこの店を利用してしまうのだった。
「あれ?それって、兄さんの息子さんすか?」
三つ折財布を大きくひらいて、律儀にも小銭はないかと探る渡辺に、西村は相変わらず同じ調子で話しかける。彼の財布から、少年が屈託のない笑顔でこちらを見つめているのが見えた。
「この写真?そうだよ。これは4年くらい前のだから、5歳になった頃だよ。まぁ、女房と子供は地元にいるから、しばらく会ってないんだけど。」
「へぇ。財布に写真忍ばすなんて、意外と家族思いなんすね。」
「意外とそういうもんよ?子供ができると。まだお前には理解出来ないと思うけどね。」
財布からやっと小銭を探し出し、支払いを済ませた。
「ほんじゃな、西村。また。」
「ありあとーざいましたー!!」
ーまたお越しくださぁせーー!!
能天気な声を背に、渡辺はコンビニを後にした。
外に出ると、先程よりも太陽が高い位置に登ったせいか、もやもやとした空気が一変しているように感じた。閑静な住宅街にスズメやヒバリの鳴き声がこだまして、朝の訪れを知らせている。朝露に濡れた地面から立ちのぼる匂いは、植物たちの息遣いそのもののように感じられた。
渡辺はアメリカンドッグをひとかじりし、再び太陽に向かって歩き始めた。その背中にはしっかりとギターが背負われているのは言うまでもなく。
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