和柴シズカの最強モテ講座#1「仏教に帰依しよう」

記念すべき第1回目はこちら!いきなり過激ですね。時代や地域によってはすぐに殺害されていたことでしょう。ここもインターネットですから火ダルマにされるかも知れません。


Why should?

徹底的な客観視の宗教

この国での仏教の文化的位置づけはやはり皆さん聞き慣れた「なむあみだぶつ(南無阿弥陀仏)」のフレーズが示す通り、死者を弔うイメージでしょう。しかし仏教も他の宗教と同じように、本来まずは人間が"どう生きるか"のためにあり、また原始においては世界を記述する自然科学でもありました。

いずれの宗派でも唱えられる般若心経というお経は「色即是空」の4文字だけがとても有名ですよね。外国旅行客がよくTシャツを着ています。この意味するところは何も「男女の色恋沙汰には終わりがあって空しいからやめろ」などではありません。

「色のような、実体として五感で感じられるものはすなわち、うつろいいつかは姿を変える、無常な、空なる存在である」

という意味です。これについて語ると非常に長いので改めて語ることとしますが、原始仏教の教義を色濃く残すこの般若心経は、端的に要約すると「あなたの感じている世界は全て、あなたの感じ方によってのみ、その姿で存在する。この真理を悟って皆よく生きよう」と言っています。

また座禅を組む…静かに座ることを修行とする宗派を例にとっても、曹洞宗では自らに沸き起こる雑念を認識しては払い、身体だけでなく心も静穏にし悟りの境地を目指し、また一方の臨済宗では、テーマについて逆に考え抜くことで真理に至ろうとします。

そこに、他の宗教のような絶対神も教義もありません。自分と世界をただひたすらに客観視し、どうあるべきかを悟っていく…「仏のような人」という例えがありますが、仏教はまさにそれを目指します。本質を知り、心穏やかな悟りの境地へと至り、自らが仏となることを目指す…世界の宗教の中でも稀有な"自らが信仰対象となることを目指す"という特徴なのです。

精神性

SNSにあふれる「弱者男性」を自称する人たちを見て、ぼくが見つけられた共通する特徴は「言い訳をし、自分を直視することを避けている」という点でした。「顔がダメだから」「キモいからダメ」と、それ以上追求されなさそうな、一見自分に責任のなさそうな理由ばかり論(あげつら)って、自分自身の努力する余地からは目を背け、自らの怠慢を省みません。彼らが自らの容姿を言い訳にするたび、あるトリーチャー・コリンズ症候群の女性へのインタビュー記事を思い出して、涙が出るほど腹が立ちます。

挙げ句、自らの曇った目を棚に上げては女性側が如何に狭量なモノの見方で男性を選んでいるかという話題を嬉々として論じます。それらの、自分ではどうしようもない要因があるから私は弱者なんだと言わんばかりの、弁えているようで全く弁えていない態度、それを生み出す精神性に問題があるのではないかと思うに至ったのです。

先の記事でも、インタビュイーはこう言っています。「内面を変えていかなきゃ」、と。圧倒的なハンデを抱える彼女が、自分を産んだものに怨嗟を向けるではなく。

自と他の関係を考える「客観視」、自分の足りない部分を捉える「自省」、気付きを与えてくれる他者の意見を聞く「受容」、これらを自己否定ではなく冷静に、自分の思いで歪んだものではなく、あるがままを捉えて、自らを変革していくことが彼らには必要だ。しかしそんなものをどうやって…と思ったらありました。

仏教です。

How should?

一重に仏教と言っても多すぎてわかりませんよね。また宗教ですので、怪しいものに引っかかってもいけません。そういう意味でも、原始仏教に近い方が良いのですが、ここで2つの注意点があります。

  • 東南アジアやインドには行かない

  • 分岐し諸派に別れたものは避ける

繰り返しますが仏教を求めて東南アジアやインドに行ってはいけません。現在の東南アジアやインドでは信仰としての仏教は殆ど残っていません。自分探しと称して飛び、思うように成果を挙げられず、時間だけがゆっくり流れる其方で学生生活のモラトリアムに似た怠惰とマリファナから抜けられなくなり帰ってこなかった大学生を多く見てきました。

また小乗仏教は一部で信仰されているものの、端的に言うと「多くの人を救おう、皆で良くなろう」というものではなく、「各々が勝手に修行して解脱を目指す」スタイルの仏教です。そちらにハマればきっと帰ってこないと思います。救いを見出だせる可能性はありますが、所期の目的である「モテる」は達成できません。

そして、分岐し諸派に別れたものは避け、原始仏教からはあまり遠ざからないようにしましょう。本来仏教において宗派は"学部"に近いものでしたが、時代を下るごとにそれぞれ相容れないものとなり、争ったりしてきました。法華宗(日蓮宗)系諸派は特に、戦後もどんどん分裂して増えています。
新興宗教への入信はオススメしません。自ら開くことはオススメします。

  • 南都六宗
    法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗 etc
    主な寺院:東大寺(奈良の大仏)、興福寺、薬師寺、唐招提寺

  • 平安二宗
    真言宗、天台宗
    主な寺院:金剛峯寺(高野山)、救王護国寺(東寺)、朝護孫子寺(信貴山)、延暦寺(比叡山)、中尊寺、三千院

  • 禅宗
    曹洞宗、臨済宗 etc
    主な寺院:總持寺、南禅寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)

このあたりのメジャーな、観光地になっている、お葬式とは無縁そうな、大きな寺院に行きましょう。

オススメのスポット

  • 薬師寺(法相宗) -奈良市

近鉄「西ノ京」駅徒歩1分、南都七大寺の一つ。最初に藤原京(橿原市)に建てられ、遷都に伴い現在の場所へ移築されており、1300年以上前の平城京よりもまだ長い歴史を持つ。

古いお寺としては珍しく、当時の伽藍(お寺の建物)である東塔を除いてガンガン再建を進めており、平城宮跡を含む平城京の跡地の中で一番、奈良時代に近い見た目をしている(彩度の低い東塔を除く)。それらの伽藍は当時の官公庁らしく、鮮やかな「あお」(緑色)と「に」(朱色)に彩られ、この地を示す枕詞の「あおによし」を体現する観光名所となっている。

この寺院は奈良市の外れにあって、何かのついでに来ることができない───わざわざ来ようと思わなければ来れない観光地のため、お寺も観光客の獲得に必死である。そして1000年以上続く宗派を担う寺で、お坊さん自体が非常に厳格に仏教を学んできている。
故にお坊さんのトークスキルが他の追随を許さない程に高い何もしなくても観光客が流れるように入ってくる京都の寺院とは大違いである

伽藍の紹介を聞いていると面白い話になり、なんやかんや最後によりよく生きていくための良い話がオチになっている。「アレをしましょう」「これを拝みましょう」ではなく、「こんな気持ちで私たちが生きていったら世界はちょっとでも良くなるよね」といった話である。もし怪しい宗教ならこの口の巧さは恐ろしい

余談:
個人的にも、このお寺には2つ好きなところがあります。一つは和柴の思想に大きく影響を与えている「唯識」を取り扱う宗派であること。もう一つは古代においてこの国最大の内乱を治め、妻とともに王政を確立して数々の大事を成し(当時の)近代国家を造り上げたギルガメシュのような男が、その妻の病気平癒を祈る場所として作った、"唯一人への愛"という、創建の由緒です。

オススメのアクティビティ

  • 座禅

1,000円前後で、ただ静かに坐す。無理矢理にでもそういう時間を作って自分を見直す時間を作ると人生良くなる。何か考えるか、空っぽにするかは寺院によるのでお坊さんの指示に従う。
そんで大体、お坊さんの法話がついてくる。だいたい先の薬師寺のように面白くてためになる話が聞ける。お金を取って面白くない話をすれば誰も来なくなるので、逆説的にだいたい良い話が聞ける

  • 写経

2,000円前後で、ただお習字をする。字を綺麗に書くことだけを丁寧にする。効能の殆どは先の座禅にほとんど近い。お坊さんの法話が聞けるコースがあればそちらの方が良い。
そして何より、殆どのお写経は般若心経なので、その内容、思想に深入りしていくとよい。それを完全に理解し、言動に反映できる人間になれたとき、あなたは誰からも愛される人間になっていて、もはやモテだのなんだのといった悩みは消えている。複数の意味で

Sum up

  • 認知の歪みを正し、全ての言い訳をやめよう!

  • 日本の有名な寺院に行き、仏教に触れてみよう!

  • 写経や座禅をやって、自分を省みる時間を無理やり作ろう!

いかがでしたか?

本当に"モテたい"という気持ちで読んだ人のうち、こんなワケの分からないTipsをあなたがここまで読んだのであれば、読めなかった人に比べてかなり見込みが高いです。というのも、一番大事なことは「感情とは別に、どんなことでも、他人の意見を一旦素直に聞き入れる」という、大の大人でもなかなかできない、皆できてるつもりで全然できていないことを、できるようになることだからです。

これからするどんなアドバイスもきっと、そんな気持ちがなければ何も意味を成さないでしょう。だからこそ、"こんなワケの分からないTips"を最初に持ってきました。
というか、こんなことができるようになれば、モテとか関係なしに人生だいたいのことがうまくいくようになります。

仏教に帰依しよう。

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