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”変わらない”いい評価は、アイデンティティなのか。

いつもは学び系の記事も発信していますが、今回は自身の最近の考えについて。

今の会社は9月末で上半期終了で、上期と下期に評価面談があります。
この評価面談によって賞与や普段の給与、グレードが決まるというやつですね。

今回はその評価面談を受けて、僕の思っていることを書くことにします。

”いつも同じ”良い評価は、本当にいいことなのか。

この問いは、色々な答えがあると思う。

『同じ”良い評価”は、その人の強みだからいいことだ!』
『”良い評価”が、自分の存在も認められるようになるからいいのでは?』

とか。
もちろん僕も”誰からも言われる”良い評価は、その人の武器になるし、アイデンティティになると思う。それに異論は全く無い。

例えば、東大→マッキンゼー→どっかの経営企画とかやっていたらおそらく『頭の良さ』などを代表に誰からも評価されるだろう。

そういったみんなが口をそろえる良い評価は、おおよそその人の武器であるし、一種のアイデンティティとしていい気がしている。
つまり、良い『良い評価』なんだと思う。

一方で、悪い『良い評価』もあるんじゃないかと僕は思っている。悪い『良い評価』とは何か。

悪い『良い評価』、わかりづらい表現で大変申し訳ないと思っている。
まだ、言語化はできていないから仮置きで言わせてもらった。

悪い『良い評価』とは、一見高評価をもらっているが、実のところずっと変化していない、かつ褒めるところがそこしかなかった評価、としている。(定義づけ1分でしました。ごめんなさい。)

この悪い『良い評価』に、僕はタイトルで書いた”変わらない”良い評価が該当すると思っている。

例えば、僕は

・優秀
・頭がいい
・勉強家

あたりが学生時代からずっと言われてきたことだった。
(マウントに感じられたら本当に申し訳ありません。そのような意図は本当にないです。。)

しかし、色々な人から言われ続け、最初は自分の強みと思っていたが、
『俺、もしかして成長していないだけでは?』
と最近は思うようになった。

ひねくれているように感じるかもしれないが、
実際に結果を出して成長してきた人(営業成績やROI改善etc...)は、”変わらない”評価と”変わった”評価の両方あると感じる。

そして、アイデンティティや強みとして”変わらない”評価を受けつつ、
成長の証として”変わった”評価がある気がしている。

つまり、いつも同じ評価は本当に強みであるなら大いに受け止め、武器にすべきだが、『成長してないんじゃないか?』と自問するべきだと思う。

評価が変わった人と変わらなかった人の『差』とは。

最後に、以前と評価が変わる人と変わらない人の差について、現状の考えを記しておく。(あくまでも仮説なので、読者のみなさんから意見をもらえると大変うれしいのです!)

個人的な見解としては、成長している人(以前と評価される項目が変わらった人)とそうでない人は、チャンレンジの量と質に差があるのかもしれない。

例えば、純粋に開発が好きなエンジニアでこれまで開発のみを一心不乱にやっていた人がいるとする。その人は開発が好きなら『開発スキルが高い』『高いコーディング力』などと評価されるだろう。

しかし、「顧客にとっていいサービスを作ろうと思い、営業同行して、サービスの改善点を顧客からヒアリングし、改善施策に落とす。」なんて行動を始めたらどうだろう。

おそらく評価されるベクトルも単純な”開発スキル”から”顧客志向”とかそういうのに変わるんじゃないだろうか。

もちろん『開発スキルが高いのはいいことじゃないか!変わる必要あるのか!』という意見もあるでしょう。
おそらくこのあたりの見解に差が生じるとしたら当人が築きたいキャリア次第だと思う。

だから、タイトルの『”変わらない”いい評価は、アイデンティティなのか。』については、当人のキャリア次第では良くもあるし、悪くもある。という非常に生ぬるい回答に落ち着いた。

この問いを投げた意味

生ぬるい回答といったが、そもそもじゃあなぜこの問いをなげた?と言われる気がするが、結局のところ僕が普段受ける

・優秀
・頭がいい
・勉強家

という評価にムカついていたからだ。

でも、良い評価を受けているのに
・モヤモヤする
・本当に良いのか不安
・ムカつく!

と感じるなら自身のキャリア感を見つめ直すといいんじゃないだろうか。
その上で、再度周りの人に『こんな視点で評価してほしい。僕はこうなりたいんだ。』って伝えてあげることだ。

こうなりたいって定まっていないかもしれないが、社内でいう〇〇さんになりたいレベルでもいいからベンチマークを上げておくと、自分の成長ベクトルを正せる気がしている。

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