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給食を食べてきた話。


秋が深まる今日この頃
まだ少しだけ湿度を含んだ日差しを浴びながら

弾丸で地元へ帰った。

地元と現在の居住地はそう離れていないので
地方出身者のいう“帰省”なんて大掛かりなものではない。


山々に囲まれた小さな町。


電車でおよそ三十分、そう離れていないのに
降り立つと緑や川がぐっと近くなるだけで
肺を満たしてくる空気の温度や匂いが全く違う。

少子高齢化の影響で
ただでさえ少なかった人口は益々減り
とある小学校が廃校となった。

母校でなくても名前くらいは知っていて
友達の何人かはそこの出身で。

その知らせを聞いた時 なんとなく
“明日は我が身”みたいな気持ちになった。

どういった意図があるのかまでは探ってないけど
その学校が取り壊されることはなく
それどころか“給食”を提供しているのだとかで行ってみた。


母校でなくとも懐かしいサイズ感の建物や校庭。
階段なんかも一段一段が小さくて
いつもの感覚で上がると
必要以上に足を引き上げていることに着地のタイミングで気づく。
と、同時に自分が大人になったことを諭されたような気持ちになる。

大して背は伸びなかったのに
この重さはなんだろうか。

登りきって次に見えたのは
水飲み場の整列した蛇口たち。

黒ずんだ基礎からそびえ立つ白い校舎、
その脇に植えられた立派なソメイヨシノ。

そうだ この頃はこんな色を付けて
少し水分を含んだ独特の匂いがする葉がその周りに落ちていた。

毛虫に刺された同級生のことを思い出した。


“玄関”という呼び方をしなかったのも
学校特有だなあと思った。

“昇降口”から入って
小さな正方形の箱を積み上げたような靴箱に用意されたスリッパと交換こして
大人になったサイズの靴を収める。

やたら声や音が響く少し暗い廊下や
幅は広く高さのない階段
ガラガラ音を立てる引違い戸の教室や職員室
右を向いても左をもいてもそんな光景だった。

あの頃
よくこの空間を走り回ることができたものだ。


ひとつひとつにそこにいた人たちを思い出しては
その動きまで鮮明に仮想的に
ホログラムのように存在させることができた。


ショクインシツ と名付けられた
おそらく図工室であったろう“元教室”に入ると
たちまちごはんのいい匂いがして

いらっしゃいませ、と

正に“給食のおばちゃん”と呼ぶに相応しい女性が出迎えた。

背後には懐かしい
銀色の寸胴鍋や炊飯器が見える。

5種類くらいあるメニューの中から
日替わりの給食プレートを選んだ。

お茶をくんで、校庭が見渡せる端の席に座って
窓を少し開けてみた。

山々に囲まれた中にぽつんとある建物
その中にいる自分はすっかり
“何も考えなくてよい”状態になっていた。

それが心地よかった。

呼び出されて受け取りに行くと
コーヒー牛乳か牛乳が選べるらしい。

迷うことなく牛乳を選んだわたしの給食。

この日はビーフシチューだった。

給食というのは凄い。

栄養バランスが考えられていることはもちろん
一度に色んなものを食べられる。

ビーフシチューがメインのはずなのに
奥にあるのはメインに負けないくらいサクサクしたハムカツだった。

そして不思議なことに
揚げパンは、どんなおかずとも合ってしまうように感じる。

毎日献立表を見つめていた
そのうちの一つ。

放送委員で二年間その日の献立、具材を
三種類の栄養別に分けて解説したこと。

流行りのCDや低学年向けにお話カセットを流したこと。

そんな事を思い出して
この給食を食べることを楽しんだ。


当時だって何かしらには悩んでいたはずなのに
そんなの無かったみたいに
そういう思い出以外はあたまを空っぽにして
考えず、悩まず、ひたすら。

窓から流れ込む柔らかい風やお日様
“元教室”にたどり着くまでに見てきた学校を材料にした絨毯に乗って
今私の前にやってきたみたいなこのプレートをひたすら楽しんだ。

正直、私は“学校”という場所に、文化に
あまりいい思い出がない。

なので、同窓会もほとんど顔を出さない。

だけど
この空間や食器、給食の味に落ち着くことができたから
大人になった自分が思っているほど
悪いことばかりでもなかったのかもしれない。


秋の山々や匂いに包まれて
すっかり充電ができたみたいな一日。

三十歳の私は今日感じたことをお守りに
また明日から歩き出す。

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