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自分を大事にするという当たり前のことを他者に阻まれていては生きていけない

そもそも最初からタスクが多すぎる

 自分の暮らしは、シンプルライフとはいえないなと思いながら 片付けをした昨日。

 今日は家の用で車を運転して、店内を歩いてるだけで どんどんしんどくなってきた。体力が落ちてる…と思ったら荷物がいつもより重かった。家族の用が終わるのを待つ間にしようとしていた仕事道具がいっぱい入っていたのだった。

 夏休みも仕事は続く。むしろイレギュラーなタスクが増える。それにここ1、2年 なんの手当もないのに、責任を伴う判断を迫られる業務がくっついてきてしまった。はじめは ずっとそのことを頭から追い出せない日々が続いて、それもあって 睡眠が十分とれなくなったのかも。
 結局 家事でも仕事でもいろいろ背負い込みすぎている。それを 食や買い物でどうにかしようと思っても 限界がある。たとえばルンバを買っても、ルンバのメンテナンスもできないようなゆとりのなさは 相当おかしいことになっているのだ。家事の工夫が、自分の時短になってても、単に自分の労働量自体を増やしてるだけで、家族への不信感(なんで私ばかり)も消えない。

自ら仕事を増やすようなことはしない

 寝る時間。それが確保されるだけで、ほんとうに楽になる。体というより心が。
それを阻むものはもう捨てよう、と強く思っている。
 数日出張が続いたあと 職場に行くと私に判断をさせようと「こういうことがあって」という報告をくれる人がいる。聞くと「それは私が判断する必要はないよね」というものがけっこうあったりした。あなたが自分で考えたくないだけでしょって思ってしまう。そういう人も自分でどうにかするしかないって分かっていれば、自分で動くのだ。

 そう。「自分でできるのに、他人にちゃっかりさせちゃう」みたいなことの蓄積が諸悪の根源。しなくてすむならやめようという決断さえ放棄する人たちの怠惰。そういうもののために私の気力体力があるのではない。

 自分の気力体力はまず自分の生のために使おう。そういう当たり前のことを思うことさえ罪深いと思わせるような 世の中のさまざまな仕組みに うっかり巻き込まれたままになっていないか。そういうことを日々チェックする必要があるのが今の日本社会だと私は思う。

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