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暴力を許さない仕組み

ちょっと前まで、「許せない」ことや「あってはならない」ことへの対処が上手にできなかった。正確に言えば、気持ちの切り替えがうまくできなかった。ずっと怒りや悲しみをひきずってしまうのだ。

でも、それが実は「加害者」側にずっとエネルギーを提供してしまっているということも分かっていた。人を傷つけるのが平気になってしまっている人は、自己正当化が実に上手なのだ。そういう人を最近何人も見てきた。だから、その人に対して反応しないことが、ある意味「最も大きな怒りの表明」になるのだろうな、と思う。

ちなみに、社会の中で影響力を持つ人の問題発言に対しては、無視していればいいということは言えない。いじめの傍観者も加害者だというのと似ていて、排他的な発言をそのまま許容してしまう社会は、社会自体がその排他的な考え方を支持してしまうことになるからだ。

不特定多数の人がその発言を見ることのできる場で、問題発言を平気でしてしまうことができる雰囲気、そしてそれを許容しない仕組みが機能していないコミュニティは、社会の中でその存在がそのまま容認されてはいけないだろう。なぜ、社会で影響力を持っていると自覚しているはずの人が平気で、人の尊厳を損なうことを言ってしまえるのか。あまりにそういうケースが多すぎないか。自分の発言が、社会にどのような影響を与えるのかということについて想像力をもてないままに、発言をするのは、極めて未熟な振る舞いだ。

話を個人的なことに戻すと、私の場合は、ある人の言動に反応しない決意を固めたことで、やっと自分を生きることができる、と感じている。自分の世界にその人の暴力的な言動が入ることを許容しないことで、自分の心身を保つということだ。

社会全体に向けて、暴力的な発言が可能であるということは、とんでもない規模で 人の心身を破壊することが可能になってしまっているということなのだ。社会では、そのような暴力を許さない仕組みがきちんと機能していなければならない。

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