育て上手な人
ある方の リーダー論をお聞きしていて、確信したことは
「思い」に芯がある人こそ、
そして、
自己のエネルギーの発散の仕方が相手に負担をかけないサポートをできる人こそ、
他者を育てることができるということだった。
「思い」とは、社会についての理想。社会とは人と人のつながり。
社会というと範囲が広すぎるかもしれないが、少なくとも、自分が所属するコミュニティで、人と人がどうつながっていくかというイメージを持てている人は強い。
逆にいうと、どんなに力があっても 組織の機能を麻痺させる人、メンバーの力を発揮させられない人は、一対一の関係、すなわち自分対誰か、だけに気を取られたり、最悪の場合、自分をよく見せることに気を取られたりしている。場の状況を俯瞰できていない。
そして、どういう方向に向かっていくのかが決められないままでいるので、未来に向かって、今を生きることができない組織になってしまう。
また、一対一の関わりも、力の塩梅が案外難しい。
相手を追い詰めるのではなく、
相手の面倒をみすぎるのではなく、
相手の可能性を引き出す意識がどれだけもてるか。
人を育てる時、自己が強く出過ぎる人が少なくない。
人を育てるということは、育てる人が主役になってはいけないのだ。
育てた人が「自分でやり遂げた」と思って、活躍する、巣立っていくのが理想。
なので、「育てられた人」が、むやみに「誰それのおかげ」って言わされてる感満載の言葉を言っているのを聞くと、違和感を感じる。
家庭でも学校でも職場でも 同じことが言えると感じている。
少なくとも、私は、「私があの人を育てた」と声高に言う人には教わりたくない。
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