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【読書ノート】真木和泉『小説 私の東京教育大学』(本の泉社)

 私が大学受験をした1970年代の末には、すでに東京教育大学は廃学になっていた。それもあって、この大学に関する私の知識は、「筑波大学の前身で、筑波へ移転する際には反対運動があったらしい」という程度だった。
 しかし、この本を読み始めてすぐに、「筑波大学の前身」という認識そのものが誤りなのかもしれない、ということに気づかされる。

 1960年代の半ば、筑波に新設する研究学園都市の中核になる大学として、当時の東京教育大学に白羽の矢が立てられた。筑波に移転させようとする政府や文部省(当時)の方針を受けて、学長や評議会は強硬にそれを推し進めようとするが、学生たちは移転計画のみならず、その意思決定のプロセスにも異を唱え、対立は激化していく。
 そして、1967年7月にはストライキが、翌年の6月下旬から1969年2月末まではロックアウト闘争が行われることになる。しかし、1969年の2月28日、大塚・駒場の両キャンパスに、教授会・評議会の合意を得ることなく、学長の独断で機動隊が導入されるのだ。

 この本には3編の連作小説が収められており、その主人公は1960年代の後半を東京教育大学で過ごした和田俊之である。
 宮崎から上京し、東京教育大学文学部に入学した和田が、入寮した桐花寮での生活を通して学問や民主主義に目覚めていく『初雪の夜』
 卒業から30年後の和田やその仲間たちの姿と、1969年2月のロックアウト闘争の様子が交互に描かれる『もう一度選ぶなら』
 2021年の「今」を舞台に、自らの老いと向き合いながら『私たちの教育大闘争』の刊行にこぎつける和田の姿を描いた『残照』
 読者は、和田の視点で1960年代後半とその30年後、そして現代とを何往復もしながら、筑波移転反対闘争とその後について追体験をしていくことになる。

 移転闘争は学生たちの敗北に終わり、多くの者が挫折や裏切りなどを経験し、傷ついていく。卒業後や大学を去った後も、入学時に思い描いていたような人生を歩めた者は少ない。
 和田自身も、大学側が提示した妥協案である「誓約書」の提出を拒んだために授業を受けることができず、卒業までに6年の月日を要した。結果として、希望どおりの就職をすることはかなわず、予備校の講師として人生の大半を過ごすことになる。
 それでも、自らの信念を守りとおした日々は、和田がその後の人生を歩むうえで心の支えとなっている。そして、それは当時の仲間たちの多くにも共通することなのだ。

 卒業から30年が経ったある日、和田は自宅の本棚から学生時代のノートを見つけ、その中に当時の自分が書いた一編の詩を発見する。

もしもう一度選ぶなら
この大学をわたしは選ぶ
本館前の芝生の中で
もはや学生は輪になって集わない
占春園の池のほとりで
もはや学生はギターを持って歌わない
それでも日本のやさしい春は
その襞の中に育んだ
あざみのけなげな一本を
校門脇のコンクリートの狭間に
わずかな土を見つけて置いていった
もしもう一度選ぶなら
この大学をわたしは選ぶ

 近年の日本学術会議の任命拒否問題、東京大学や筑波大学における総長や学長の選考をめぐる混乱などを見るかぎり、学問の自由や大学の自治をめぐる状況は、50年前よりも悪化しているのかもしれない。
 だとすれば、それは学術会議や大学の関係者だけではなく、今を生きる私たち一人ひとりに関係する問題でもあるはずだ。

もしもう一度選ぶなら
この大学をわたしは選ぶ

 年老いた和田は、「もしもう一度選ぶなら」と問われたら、間違いなく「この大学をわたしは選ぶ」と答えることだろう。
 そして和田には、そう答えるだけの資格があるのだ。

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