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印籠を落とした水戸黄門

 校長のOBのなかには、70歳を過ぎても新しいことを学び続け、周囲から尊敬を集めている方がいる。

 それとは対照的に、「元・校長」の肩書の上に胡坐をかき、アンラーンができていない人もいる。パソコンにたとえれば、未だにOSが「Windows95」のような人たちである。

 前者のタイプが学校の校内研究会に講師として招かれた場合、「不易と流行」の両面からの指導や助言があるので、参加者にとって学べることが多い。このタイプには謙虚な方が多いので、あまり多くは語らないが、一言一言に重みがあるのである。

 一方、後者のタイプの場合、残念ながら参加している教職員が呆れるような時代遅れのコメントをして失笑を買うことも少なくない。

 それはそうだろう。少なくとも「GIGAスクール」以降の授業について一定の知識や経験がなければ、今の「学び」について語ることは難しいのだ。「不易」の部分だけで乗り切れるほど甘くはないのである。

 そして、このタイプはほぼ例外なく話が長い。

 そもそも、なぜそんな「元・校長」を講師に招いているのかというと、その人物が当該校の校長の先輩に当たるというケースが多い。

 現役の校長としては、先輩である「元・校長」に声をかけないのは失礼だと考え、内心では「断ってくれたらありがたいんだけど」と思いながら打診の電話をする。

 しかし、こういう人にかぎって運悪くスケジュールが空いているのである。


 かつて、ある大喜利の番組で、
「世の中で最も惨めな存在は?」
 というお題に対して、
「印籠を落とし、助さん格さんと逸れてしまった水戸黄門」
 という答えが爆笑をさらっていた。

「元・校長」という肩書を外し、忖度してくれる後輩がいない場でも持論が十分に通じるのならば、これからも後進への指導や助言を続けていけばよいと思う。

 しかし、それができないのであれば、お互いの幸せのために隠居することをお勧めしたい。

 自戒を込めて。

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