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つまらない、つまらない人

動画配信サイトのレビューを眺めていると
「つまらない」「観るだけ時間の無駄」「全部がダメ」などと、雑な文言で全否定をしている人を高頻度で見掛けます。
私はレビューというのは「作品の魅力を簡潔に伝える事」こそが真の意味だと思っています。
なので「つまらない」とだけ言われても、何がどうつまらないのか分かりません。

でもそれなのに、たった5文字で見る気が削がれるし
もしその映画を見た上で事実つまらなかったとしても、面白く感じた点を書いている人なら見方が変わったり面白い点に気付けたりしますが、「つまらない」レビューは何の役にも立ちません。
そしてもし自分が面白いと感じた作品が「つまらない」とレビューされていれば不愉快になる。

私にとっては「つまらない」レビューは全く無意味なものです。
「つまらない」という評価ほど、「つまらない」ものはないのです。


■何故評価したがるのか
この手の配信サイトは月額数百円~数千円で観れて、無料ではありませんが一作品に払ってるお金は数十円程度でしょう。

数十円で買った駄菓子に、有名パティシエが作ったスイーツより劣るから食べる価値が無いなどと評価する人は居ないと思います。
では何故数十円で観た映画には文句を付けたくなるでしょう?

映画は本来、多額のお金を掛けて作られた価値のあるものです。
そしてどんな作品にも関わった人間は沢山居るし、一定数のファンも居ます。
それら全てを「つまらない」の一言で批判する事で、その本来の価値より自分の方が上の様な錯覚を得るのです。

「批判」は幻覚に囚われる劇薬なのです。


■何故「つまらない」のか
「つまらない」という評価は誰にでも出来るからです。

配信のサイトが今ほど充実していなかった時代は、自分でレビューサイトを作るのが一般的でした。
そこで映画を評価していた人達は、間違っても「つまらない」の5文字でレビューを終わらせる事はありません。
良い点と悪い点をどちらも挙げて、こういう人にオススメ!この映画が好きだった人はこれも好きだろうなどの提案をしているサイトもありました。

本来「評価」というのは、ある程度知識のある人間が、ある程度のお金をかけて初めて出来るものなのです。
無知な人間がほぼ無料でする事ではありません。


■「面白い」の勇気
「つまらない」評価が誰にでも出来るのと反対に「面白い」評価は勇気のある人にしか出来ないのも
この劇薬の横行の原因でしょう。

例えば私が「面白い」と評価し、レビューした映画が実際面白かった場合、多少の感謝はされるかもしれませんが、「面白い」の功績は作った人達のものであって私のではありません。
でも、もし私のレビューを読んで視聴した人が「つまらない」と感じればどうでしょう?
「どこが面白いんだ!見るのに使った無駄な時間を返せ!」などと言われ兼ねません。
「面白い」はハイリスクノーリターンなのです。

ですが「つまらない」と評価している人に対して「どこがつまらないんだ!見るのに使った無駄な時間を返せ!」とは言わないですよね?
つまらないと言ってるのに観た自分が悪いのですから、当然です。

「つまらない」はノーリスクなのです。



でも「つまらない」評価は現実世界ではノーリスクではありません。

「批判」という劇薬は、合法で手軽にトリップ出来るのだから、ストレス発散に手当り次第批判する人が現れるのは、ある程度は仕方がないのでしょう。
ネット上で行う分には自己責任だと思います。
ですがこの「批判」の劇薬を現実世界で使うのは個人的にはお勧めしません。

こちらが好きな物をあっさりと「つまらない」と切り捨てる
そんな人と話して居ても、残念ながらこちらもつまらないんです。

現実世界では貴方は評価する側だけには居れません
評価される側でもあるのです。

つまらない貴方が
つまらない人間でない保証はどこにもありません。

なら批判の劇薬に溺れるより、1つでも多くの物を好きになれる人生の方が、私は幸せな気がします。