見出し画像

夏が来る前に夏っぽい曲でも並べておくか

 あ、もう夏だって。そう言って君は僕のくちびるに重ねた。さっきしたゲロの匂いがした。プラットホームは僕らだけだった。東京。東京、東京。

 夏が来る前に、私が思う「夏っぽい」曲をたくさんここに書き記したい。冷蔵庫の扉が閉まる前に。



『透明少女』 / ナンバーガール (1999)

 余計な言葉は要らない。夏、そのものである。小林優希といえば透明少女、透明少女といえば小林優希である。「赤いキセツ 到来告げて」の歌詞から始まるのだが、夏=赤色の季節、という表現が、単純ながらとても斬新だと感じる。

 目の前を走り去ってゆく「あの子」は、私になんか目もくれないで、きらきらと光り輝いている。ポニーテールを揺らして、紺色のスカートをひらひらとさせて、好奇心の赴くままに生きている。私が瞬きと瞬きをする、その一瞬の間に、走る跳ぶ笑う、あの子は朗らかに透き通っている。「付き合いたい」とか「ヤりたい」じゃなくて、ただただ、透き通って見えるのである。

 恣意的な文章ですが、「透明少女」という概念に関して書いた、以下の記事も参照していただけると幸いです。


『はらいそ』/ 細野晴臣(1978)

 幼い頃に観た、ちびまる子ちゃんのアニメで流れていたことから知った。具体的な名前は出てこないけど、どこか南国の、誰にも干渉されない街で、窓辺でハンモックに揺られているような夏の感覚。

 あまり話したことはないんだけど、私は人生を通じてエキゾチシズムに支配されている。どこか知らない国に連れ去ってほしい、と思っているのかもしれない。自分の見てきた世界とは異なる、新しい価値観に出会いたい。そんな気持ちを見事に射抜かれるような曲である。

 高校生の頃に嫌いだったやつがYMOを好きだったから、細野晴臣にも苦手意識があったけれど、いざ聴いてみると、どれも素晴らしいから困る。


『サマージャム’95』 / スチャダラパー(1995)

 言わずもがな。私の中にある素晴らしい夏の記憶が、そのまま思い返される。冬に聴くのもいいんだけど、これが夏となると又、格別なのよ。

 序盤に「行ってないねープール 行ったねープール」という歌詞があるのだけど、「(最近)プール行ってないね〜」と話す人と、「(そういえば昔)プール行ったね〜」と話す人の会話を、反対の意味の言葉で的確に表しているのが、本当に素晴らしい。

 この曲を聴いていると、手をぷらぷらとさせては音楽に身を任せて、夜の住宅街を歩いてみたくなる。自由に歩き回ってみたくなる。ハタチ前後に夜な夜な繰り返していた、責任感のない散歩を思い返してしまう。好奇心に体重を預けて街角を曲がる、あの散歩をまたしたいと思ってしまう。

 明らかに暑いんだけど、涼しげで余裕のある感じ。銭湯から上がったばかりのような、どこまでも歩いてゆけるような敵なしの雰囲気がある。


『Digital Love』/ Daft Punk (2001)

 意外かもしれませんが、この曲は外せないですね。流すだけで蓋をひねって、勢いよく炭酸が弾ける感じがしてきます。そしてずぶ濡れになって、一緒に笑っているような感じがします。

 エレクトロニカって温もりのない印象が個人的にはあるんだけど、この曲は冷たいけど火傷しそうなイメージがします。なんというか、暑苦しさを超えた先にある、スポーツみたいな爽やかさを表しているような。だから私は夏を感じるのだと思います。

 タイトルが『Digital Love』なのも飾らない感じで素敵です。電子音楽を乗りこなして音楽史に名前を刻み込んだ二人の、代表曲に相応しい題名だと思います。


『パラノイドパレード』/ きのこ帝国(2013)

 きのこ帝国が大学の先輩ということもあるけれど、この曲を聴くと大学に通っていた頃を思い返します。大崎のビジネス街、五反田の喧騒、真っ黒な目黒川、三号館の大講堂、山手線はぐるぐる回る。

 この曲って「十九歳」って感じがしませんか?青臭いんだけど、何色かに染まり始めている雰囲気。高校生という宇宙服を脱がされて、私の頃はハタチで成人だったから、子供ではないんだけど、まだ大人にもなれていない、やるせない気持ちがする。そんな夜。そんな気持ちがする夜を巧みに表してると思います。


『後輩君』 / ガクヅケ木田(2015)

 ガクヅケの木田さん。イントロから既に、遠くでかげろうがゆらいでいるような画が浮かぶ。初めての恋愛へのつらさや苦悩が直線的に伝わってくる、とても切なくて儚い。

 中程にある「その年の夏、僕らは初めて二人で東京に旅行に出かけることになった」からのパートが特に好きである。夏にする旅行って、なんであんなに素晴らしいんだろうな。そのあとの「耳を澄まして寝てしまった」の「た」が重なるところが、心の揺れ動きみたいでなんか良いなあ、と感じる。

 「自分で自分の首を締めながら自分に酸素をあげているようだ」「東京は酷く広く遠く居心地がいい」この人の書くリリックは、切実で角度がなくて、とても耳に残る。


『すとーりーず』 / ZAZEN BOYS(2012)

 以前にも紹介したので、ここで紹介するのは憚られたが、ええいしてしまおう。しないと最早、夏ではない気がする。

 ナンバーガールで“赤い季節”である夏を叫んでいた向井秀徳が、新たなる視座を得て夏を書いて見せた、と感じるのがこの曲である。私はこの曲の夏が、翡翠のような色をしているように見える。

 「アブラゼミがみんみんみん」から始まる時点で、素晴らしいことに間違いはない。聴いているだけで、太陽がじりじりと迫ってくるような凄みを覚える。修行僧のように灼熱の道路を歩いているような気持ちになる。

 向井秀徳は年齢を重ねることで、より表現がソリッドになっていると感じる。この曲は、ナンバーガールの頃の夏よりも乾いている。甘えや愛嬌を削り落として、どこにもとりつく島のない音楽のように思える。


『Este Jardín』/ Los Cafres(2004)

 アルゼンチンのレゲエバンド(この記事の為に調べるまで知らなかった)である、ロス・カフェレスの一曲。なんとなく中南米のレゲエグループなんだろうな〜、とは思っていた。

 それでも、この曲は初めて聴いた時から心に刺さった。音楽は国境を越えるとか、言語を越えるとか言うけれど、それは正しいと思った。

 ラテンアメリカの文学を読むことが好きで、言葉で上手く表せられないけれど、世界中の他の地域には抱かない、特別な感情をラテンアメリカに抱いていた。この曲を聴いて、やっぱり私は異国文化、それも中南米に興味があるのだと再確認した。



終わりに

 なんか八曲も選んでしまった。夏が終わって後悔するくらいなら死ぬほど夏を謳歌したほうがいい。と言うか、夏のうちに死んでしまったほうがいい。私はそう考えている。死ぬなら夏がいい。

 なんで八曲も選んでしまった。最近同じような文章ばかり書いてる気がする。もういい加減、「制服少女」とか「透き通って見える」とか、言ってる場合じゃないんだよな。十九歳の頃から何も変わっていない。

 なんと八曲も選んでしまった。何かが起こるのは決まって夏だ。普段なら踏ん切りがつかないことも、夏の暑さに身を任せれば何とかなる気がする。何とかならないことも多いけれど、そんなことさえ夏の暑さは連れ去ってくれる。

 なんせ八曲も選んでしまった。今年の夏は髪の毛を、もう血が滾るくらい赤くしたいのですが、そんな髪色のお笑い芸人を見て、“笑って”くれる人はいるのでしょうか?

 熱海とか行きたい。伊豆でもよし。





小林優希


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?