「透明少女」

 学生時代、恐ろしいほどに日陰者な日々を送っていた。中学生の頃は帰宅部(夏季のみ水泳部)だったので、毎日いかに早く家に帰れるか、しか考えていなかった。家に帰って直ぐに、電子の海に飛び込むことが日常だった。

 三年生の夏、みんな部活を引退して受験勉強をし始めていた。通っていた個人塾に、同じ中学だったけど塾で仲良くなった女の子が居て、その子を含めて五、六人でよく、夏期講習の帰りに、近所の公園で話をして帰るという流れができていた。

 みんな部活をやっていた頃は喋ったことがなかったけど、話してみると仲良くなれた。学校とは違って私服で集まるから特別な感じもしたし、同じ塾に通っているから、あの先生怖いよね、とか、この課題やった?とか、たわいもないけど青臭い会話をすることも多々あった。

 そんな時に、中学生だから恋愛の話をし始めるヤツがいて、私は恋愛なんて一度もそんな経験はなかったから、いつも通りへらへらして皆の話を聞いていた。その流れで、その女の子がサラッと、ワタシ、この公園で初めてキスしたんだよね、と話し始めた。正直、かなり驚いた。

 別にその子のことを好きだったわけではないし、塾の友達の一人、としか見ていなかったけど、こんなにフランクにキスしたことを話すんだ、と驚いた覚えがある。相手は同じ学年の野球部のエースらしくて、まあ結局人生ってそういうもんだよな、と落胆したりした。



 高校に進学して、環境の変化に馴染めなかった。中学までの陰気な自分に別れを告げようと思って、学級委員長になった。クラスを仕切ろうとしていたらしい。同じクラスのサッカー部の連中に目を付けられて、とことんいじめ抜かれた。

 体育の「二人組、組んで」で本当に誰も組んでくれなかった。体育の時間は、体育館の壁に寄りかかって時間が過ぎるのを待つだけだった。ソフトボールでは、外野を守っている私を狙って全員が打ってきて、「オイオイ、いまの取れただろォw」とか、「おい◯◯(私が似ているとされている芸能人)、球取ってこいよォw」とか笑われる毎日だった。サッカー部の奴らはクラスの女子を侍らせてデカい顔をしていて、本当に灰色の一年間だった。女子たちも満更でもない顔をしていたのが、笑えるくらい嫌だった。全員殺したかったし、今でも全員殺したいと思っている。

 一年生の夏に、高校の野球部が地区大会で快進撃を見せて、県でベスト8にまで勝ち残った。平凡な公立高校がそこまで残るのは快挙である。あとちょっとで甲子園に行けるかもしれない、学校中が狂ったように盛り上がっていた。冷めていたのは私くらいで、クラスメイトに対して、野球部はすごいかもしれないけどお前らはすごくないだろ、と思っていた。何なら野球部に対しても、偶然だろ、と思っていた。

 二年生の時に、どこの学年にも一人はいるような、彼氏を取っ替え引っ替えしている女の子と偶然仲良くなった。数ヶ月ほど翻弄されたのち、彼女はサッカー部のガタイの良いヤツと付き合い始めた。インスタにクリスマスデートの様子を載せていた、極めて馬鹿らしかった。当時は何の理由もなく、インスタグラムを憎んでいた。インスタでこの始末で、ティックトックなんてものが当時からあったとしたら、私は学校に行くのを辞めていたと思う。

 三年生になるとこの世の全てに嫌気がさして、本当に心から、みんな死んじゃえ、と思っていた。進路のことも不安だったし、自分の才能は認めてもらえないで、学校内で最底辺の扱いを受けていたし、境遇も環境も全てが嫌だった。

 文化祭で、陽気な奴らが体育館のステージに上がってバカみたいに騒いでいて、それを見て盛り上がっている青臭い生徒たちを心底見下していた。中庭で、軽音楽部が薄っぺらいラブソングを歌っていた。文化祭特有の、拡声機能の殆ど無いマイクで、バックナンバーとかを歌っていた。洒落臭い群衆が黄色い声援を送っていた。私はそれを校舎の窓から見下ろして鼻で笑っていた、くだらなすぎて本当に反吐が出るところだった。

 好きだったあの子も、どうせ私より不細工なサッカー部に手を引かれて文化祭を回っている。クラスメイト全員のあだ名が書かれたクラスTシャツを着ている、目元にキラキラしたラメみたいなヤツをつけて、髪の毛をめずらしく巻いている、透明だったあの子も、誰かに染められてゆく。私じゃない誰かに染められてゆく。

 教室の隅でソシャゲをやって、淫夢の話をしている奴らが羨ましかった。だけど私はソシャゲにも何にも興味は無いし、彼らと同類だと見られることさえ嫌だった。傍から見れば、私も彼らも何の違いもなかった。だけど私は、あの運動部の阿呆どもとは違うけど、こいつらとも違うんだよな、と思っていた。

 いま自分の周りにある全ての環境が憎かったし、全てのものを破壊してほしかった。クラスのバカなやつほど指定校推薦で早くに大学が決まっていて、私たちだけバカみたいに卒業式の直前まで勉強をしていた。教室の真ん中では常に、既に推薦で進路が決まった奴らが騒いでいて、本当に殺してやろうかと思った。

 かといって、一般受験の私たちの方が良い大学に行けたかというと、これはそうでもなくて、結局受験料の何十万と予備校代(私は行ってないので払ってない)を払って、時間をドブに捨てて、指定校の奴らと同じレベルの大学にギリギリ受かる、くらいの結果しか得られなかった。同じクラスで一番頭が良かったやつが、センター化学40点(100点満点)だったと聞いた時は、私たちの努力って何だったんだと思った。

 好きだったあの子ほど、指定校で国士舘の経済学部とかに進学が決まっていて、私たちが受験を受けている頃にはインスタに車校のストーリーとかを載せていたりした。

 好きだったあの子が、透明だったあの子が、私と違う大学に進学して知らない奴らに染められてゆくことが信じられなかった。でも、そんなことを思っていることがおかしいことだというのは、分かっていた。分かっているつもりだった。



 ナンバーガールの「透明少女」を聴いた時、本当に体中に稲妻が走った。今でもかなり痺れている、一生、痺れが取れることはないのだ、と思っている。

 周りからしたら私なんて、一見、物静かで真面目な学生に見えるけど、本当は心の中で、社会や時代への憎悪や嫉妬を煮えたぎらせていた。目の前を去ってゆく理想を認められないでいて、誇り高き自尊心に追い詰められて苦しんでいた。そんな教室の隅にすら居場所の無い人たちを救ってくれる、手を引っ張ってどこまでも連れ去ってくれるような爽やかさと鋭さを、確かに「透明少女」は持っていた。

 私はいわゆる「隠キャ」だったのか、と聞かれると、決してそんなことはないのだろうな、と思ってしまう。本当に救えない人間は、陽気にも陰気にもなれない、私のように陰鬱で、不安定で、焦燥感に駆られていて、この世の全てを恨んでいたような人間なんだろうな。「透明少女」は、クラスの真の日陰者でしかない私の味方で居てくれる歌だった。

 当時は抱いていたが、今でも女子高生に劣情を抱いているというわけではない。ただ、あの、透明だったあの子、という抽象的な存在は、宙ぶらりんのまま、脳の皺の奥の奥にこびりついて離れない、一生、焼き付いて消えることはない。

 

 

 

 

 

小林優希

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