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太陽の塔

何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。

初めてその作家の存在を知ったのは、アニメ『四畳半神話大系』の存在を知ったときであったと覚えている。
その昔、『アニマックス』とかいう、なんかよく分からないけど、昔のアニメがたくさん観られる、というテレビチャンネルがあった。我が家には、小中高と野球漬けだった兄と、そのお茶当番のために毎週末、朝早くに家を出てゆく母がいた。まだ幼かった私は週末を迎えるたびに祖母の家に預けられ、一日中この『アニマックス』で、コナンやキテレツやらをひとりで観ていた。

そんな中、合間に『四畳半神話大系』のCMが流れた。私は一眼でその異質さに惹かれてしまった。その独特な世界観に飲み込まれてしまったのである。
まずは絵柄が魅力的だった。今でこそ湯浅政明や中村佑介の作風のことは知っているが、その、現実的でありながらどこか浮世離れした絵柄に心を鷲掴みにされた。
タイトルもなんか変だ。『名探偵コナン』とか『クレヨンしんちゃん』みたいな主人公を冠した名前じゃない。なんか、こう、お堅い印象を受ける漢字の羅列だ、“四畳半”も、“神話”も、“大系”も、よく意味が分かっていなかった。
それだけ心を揺さぶられておきながら、その時は、そのままであった。CMという十数秒の出会いであったから、果たしてそれを観たことが現実のことだったかどうか、判断がつかなかったのかもしれない。私は当時、小学校三、四年生くらいだったと思う。


時が流れ、私は中学校三年生くらいになった。
そして、ようやくその作品を見る機会があった。
四畳半神話大系。京都が舞台なのは分かる。大学生が主人公で、何かよく分からないことをずっと言っている。変な人たちがいっぱい出てきて、変なことをしている。主人公は何度も何度も、大学入学から三回生になるまでの二年間を繰り返そうとする。その過程で並行世界が交わってしまった、何か妖しいモノが入り込んでくる。
おかしい。このアニメはおかしい。ただ、同時にそれが心地よくて、面白いと思った。すごいアニメだ、今まで観たことがない。
直近で京都に修学旅行で行ったことも幸いしてか、四畳半〜への感動はとても大きなものとなった。


時は流れ、私が高校二年生の時、『夜は短し歩けよ乙女』のアニメ映画が公開された。またあの絵柄だ、同じ人が描いてるんだ、ぜひ観に行こう。すぐ行こう。
友人を連れて観に行った。家から少し遠い映画館に、三十分自転車を漕いで観に行った。そこで受けた衝撃も、すさまじいものであったのを覚えている。
“夜が伸びてゆく”という概念が、当時の、昼夜逆転もしていない健康優良不良少年であった私には、いまいちピンと来なかった。夜は寝る時間である。お酒も当然、飲んだことがない。
スクリーンに映し出された黒髪の乙女は、夜を歩き、酒を飲み、人々と会い、別れ、また夜を飲んでは歩いてゆく。エンターテイメントにあまり触れずに育ってきた私からしたら、それは信じられないほど超越した設定だと思ったのだ。
一緒に観に行った友人は「なんかカウボーイがいっぱい出てきて…」と、ムニャムニャと言っていた。どうやら終盤はずっと寝ていたらしい。未だに彼と話すと、この映画の話をされることがある。「あれはヤバかったなw」と言われるのだが、そこに嘲笑のニュアンスを汲み取ってしまうのは私の気のせいであろうか。

その頃にはもう、活字を読む習慣も徐々につき始めていた。それは太宰とか漱石とか有名な文豪の有名な作品ばかりだったけれど、なんとなく読書が楽しいと思い始めていたのだ。
森見登美彦の存在を知ったのも、そのあたりである。本屋の本棚を眺めていたら、知ってる作品が並んでいた。四畳半、夜は短し、あぁそうか、どちらもこの人が書いた作品だったのか。森見登美彦、なんとなく名前的に白い髭をたくわえた、仙人のようなおじいさんを想像した。
すぐにそれらを買って読んだ、いくつかの作品を読んだ。とても面白かった。なぜだか分からないけど、その作風や文章に心躍らされている自分がいた。この時点で、高校三年生くらいである。


すぐに大学受験が到来した、私は意図せず文学科に進学してしまった。第一志望は某大学の史学科であった。世界史が好きだったから、日本史をさっぱり理解していないのに史学科を志望したのだ。
色々あって、いま通っている大学の、いま通っている文学科に進学したのだが、まぁ今となっては文学科に来てよかったと思っている。これだけ文学に触れる機会は、文学科に進学していなければ得られなかったであろう。
思い返せば、高校までの私は、人間的に甚だしく薄っぺらい存在であった。それが今では、なんか踏んだな、くらいの認識はされるくらいほどの分厚さを得たと心得ている。決して面の皮の話をしているわけではない。

曲がりなりにも様々な文学作品を読み、文学論に触れることで、自分の中でも何が好きで何が面白いか、何が興味深いかが確立されていったようだ。
同時に森見作品も読み進めた。森見といえば、上記の作品のような、腐れ京大生を主人公としたほとばしる青春小説、が有名であるが、実は『きつねのはなし』のような、湿気を孕んだ怪奇譚も書けるのである。じんわりと追い詰められてゆくような、直接的ではなく、読み手の周りを得体の知れない何かがぐるぐると這いずり回っているような感覚。きつねの〜を初めて読んだとき、「うわ、こんなのも書けんのか…」とその才能の幅広さに呆れてしまった。
そして大学三年生になって直ぐに、卒業論文とかいう、なんかよく分からないものが私の目の前に立ちはだかった。ずっと本を読んで海辺を散歩をしていたかったのに、頼んでもいないのに卒論を書くことになったのである。
森見の童貞作『太陽の塔』を読んだのは、その前後のことである。感想は「今まで読んだ森見作品で一番おもしろかった」である。これは今も変わらずそう思っているし、そう思っているからこそ、私は『太陽の塔』を卒業論文の題材に選んだのだ。

『太陽の塔』について。
以下、森見登美彦著『太陽の塔』のネタバレを大いに含むので、諸君くれぐれも目には気をつけるように。
私がここでこの作品について、ごにゃごにゃと表しても意味がない。そうである、読むべきである。というか、読んでほしい。特に、同世代の人たちには読んでほしい。それも、私たちのような時代に蹂躙された人たちには。
ものすごく簡単に言えば、「私」なる人物(例にもよって京大生)が、サークルの後輩であり元恋人である「水尾さん」への思いを断ち切れずに、悶々とした日々を京都で送る。友人たちと鍋をつついて不毛な議論を繰り返し、寿司配達のアルバイトに勤しんでは、その過程でよく分からない出来事に巻き込まれ続ける、という感じである。私の要約のセンスが無いことは指摘しないで頂きたい。

『太陽の塔』は、私であった。いや、今もなお私である。
何を言っているのか分かりづらいかもしれないが、この作品が書かれた経緯を知るとよく分かるかもしれない。ただ一つ言えることは、森見登美彦は白い髭をたくわえたおじいさんではなかった。
『太陽の塔』は、森見が大学院一年目の頃に書かれた小説で、それまで学業の傍ら文章を書いていた森見が、「日本ファンタジーノベル大賞に応募しよう、そしてこれでダメなら潔く研究に打ち込もう」と意を決して書いた作品である。


主人公・“私”は、休学中の京都大学五回生である。四回生の春に農学部の研究室を逃亡して、その勢いのままイギリスに一ヶ月留学をした。帰国後は寿司配達のアルバイトに打ち込んでいる。奈良出身で、少年期には大阪・万博公園の近くに住んでいた。大学では体育会系のクラブに在籍していた過去があり、ボロアパートの四畳半に住んでいる。これらは全て、作者・森見の経歴と同じである。
それゆえに、この作品にはいわゆる「森見作品らしい」要素が些か少ないという意見も見られる。超常的かつ幻想的、ファンタジーに腰あたりまで突っ込んでいるような諸作品とは違い、『太陽の塔』には当時のリアリティ溢れる大学生の日常を切り取ったような、生々しさが多く残っているのだ。
それは元恋人に執着してしまう自分を正当化したり、サークル内の人間模様に悩んだりする描写である。登場人物が全てあてがきであるように思えるほど書き込まれた設定、主人公の住んでいる住所やよく行く定食屋、どれもこれもが生々しい。生臭いとまで言ってしまえるのである。


『太陽の塔』は他の森見作品とは違う、“小説家・森見登美彦”が書いたモノじゃない、一人の苦しくてつらい日々をもがきながら生きる大学生(森見が書き始めたのは、院進学が決まった大学五回生の秋)が、立ちはだかる現実から抜け出したくて、誰かに救われたくて書いたものだと私は受け取った。
そして私もその、苦しくてつらい日々をもがきながら生きる大学生の一人であった。
私は文学科の学生である。京大なんかと比べたら正にすっぽん程度の大学であるが、これでも文学科の学生である。周りの人たちは源氏物語だとか太宰だとかを研究し初めていたが、私はどうも興味が持てなかった。もちろんそれらはどれも面白くて、文学的価値の高いものだとは分かっている。しかし、死にたい夜を歯を食いしばって耐えていた自分が惹かれたのは、森見登美彦の『太陽の塔』だった。
詳しく書く必要はないと思うので書かないが、『太陽の塔』には太陽の塔が出てくる。大阪のシンボルのひとつ、日本の戦後史を語る上で登場しないことはないだろう、かの有名な岡本太郎が創り上げたでっかい作品である。

突然だが、ここで今の私の話になる。
甘ったれていることは承知済みだが、今の私は現在進行形で結構つらい。
過去にしてしまったことの罪悪感に苛まれている、将来が不安でどうしようもない。周りの人たちの“面白い”があまり分からない、狭い世界でしか生きてこれていない。お金がないので余裕もない。友達ができない、ほしいけどほしくはない。
孤独が心に棲み憑いてしまった、何をしていても死の影が脳裏をよぎる。周りは社会に羽ばたくために就活や試験勉強を頑張っている、私は何もしないで創作をして、散歩をして、本を読んで、映画を観て、自意識と向き合い続けている。


数日前、やるせなくなって京都に来た。
今も京都のホテルからこの文章を書いている。外は雨が降っていた、鴨川の水が京都に来た日より明らかに増えていた気がする。大学の授業は休んでしまったが一回分くらい大丈夫だろう、なんて言えるほど余裕はない。一回でも休んだらまずいほどこれまでに休みを重ねてしまっている、でも来るしかなかったんだ。仕方なかったんだ、と言わせてくれ。


京都だ、京都に行くしかない。そうだ、京都に行こうとはよく言ったものである。着くや否や、荷物を置いて無我夢中で京都の街を歩き回った。
着いたのが夕方だったので、直ぐに日が暮れ始めた。夜の鴨川デルタに行くと、どこかの大学のサークルがブルーシートを広げて飲み会?をやっていた。河川敷にはいわゆる、鴨川等間隔の法則を拝むこともできた。大して見栄えのするわけでもないお互いの顔面表皮を眺めるのに夢中な人たちがたくさんいたのだ。

夜の京大の構内を練り歩いた。京大生ではないので、京大生狩りには遭わなかった。吉田寮の入り口付近でキャンプファイヤー的なことをしているのを目撃した。どこかの部室からシューゲイザー的な音楽を弾いている音が聴こえた。通路で伝統芸能の舞のようなものを練習している人たちもいた。そして何より京大の構内ではよく、叫んでいる人を見かけた。
辺りはすっかり暗くなっていたけれど、ここには夜になると活動的になる人たちがたくさんいるんだ。森見が描いた世界はファンタジー要素一色だったわけではなかった、東京に住まう私たちが「あり得ない出来事」と処理することが、京都では実際に起きていて、京大の構内には平然とした顔で現れるのだ。


そして『太陽の塔』の“私”や、森見登美彦本人がそうしていたように、私自身も京都の街から太陽の塔を見に行こうと思った。翌日、颯爽と電車に乗り込む。『太陽の塔』の“私”は、四条河原町駅から阪急電車で向かったらしいが、阪急と京阪の違いが分からなかった私は、京阪で太陽の塔へと向かった。そんな間違いに気づかずに、乗り換えの際に「ここを森見先生が歩いたんだ…」と思ったりしていたのだから面白い子である。

この日は暑くなると聞いていたので薄着をして向かった。しかし大阪モノレールの冷房が想像していたよりも数段寒く、私はさながら冬の夜道を歩くように両腕をさすりながら、モノレールが目的地に着くのを待つしかなかった。

万博記念公園駅に着いた。私は一つ前の宇野辺駅から、目線をできるだけ上げないようにしていた。窓の外を見ていたら太陽の塔が視界に現れる、それではワクワクや感動が半減してしまうだろうと考えたのだ。
しかし私はうっかり視界に太陽の塔を捉えてしまった、直ぐに逸らそうと思った。ところが、いつまで経っても目線を外せないでいる。視界の左端に現れた太陽の塔は、そのまま徐々に大きくなって視界の中央、窓を挟んだすぐ先に見える。

万博記念公園駅に着いた。太陽の塔はそこにある。みな平然とした顔で降りてゆく、座っている、話している、スマホをいじっている。窓の外には太陽の塔。
私ももちろん降りた、長い通路を降りてゆく、長い橋を渡ってゆく。太陽の塔はどんどん大きくなる。そして公園の入り口だ、入場料を払う。もう正直ワクワクは抑えられないでいた。いくらでも金なんて払う、もっと、もっと近くで見させてくれ!

チケットを見せて入場した。眼前に太陽の塔!大きい、少し不気味だ。しかし距離感が分からない。芝生の奥に立っている。両手を広げて立っている。あの顔だ、あの金色の顔もある。行こう、早く近くに行こう。ぐるりと周回しながら太陽の塔に近づいてゆく。大きいな、とは思っていたが、あれあれ、という間も無く更に大きくなってゆくのだ。

足元に来た、目の前に立ちはだかる太陽の塔。私もその全てを視界に収めたくて背中を反らせた。水尾さんもここで、こうやって見ていたに違いない。となると“私”がタバコを燻らせて見守っていたベンチはどこだろう、と辺りを見回す。
持ってきた文庫版『太陽の塔』を取り出した。ついに来ましたよ、森見先生。

卒論研究のために読み潰しかけている『太陽の塔』だが、京都に来るまでの新幹線と、ここに来るまでの大阪モノレールで二回追加で読んだ。
まさにそこに書いてあった描写の通りだ。その文章を引用することは簡単だけれど、それでは森見登美彦に、岡本太郎に、太陽の塔に失礼な気がする。
仮にも表現者を名乗ろうとしているなら、自分の言葉で表してみろ!
私が太陽の塔の前に立って思ったことは、とにかくその持っているエネルギーが凄まじいということ。見れば見るほど、その力に圧倒されてしまう。思わず笑ってしまうほど、生命力を感じる。身体の内側から、地面に着いている足の裏から、暴れるように溢れてくる。でもそれは、爽やかな“生きるぜ”なんてものでも、“生命とは….”、みたいな高尚なものでもなくて、こう、ジュクジュクとした、なんというか、煮えたぎる、「ふざけんじゃねえ」みたいな、「みんな死んじまえ」みたいな、気持ちも感じて、うわ、と思ってしまった。
破壊だ、悠然とした破壊。それでいて優しい、そこがこれだけ愛されるわけであって。惹かれるところなのだ。芸術は爆発だ、って、もしかして、この感触だったのかな。森見は何度でも訪れろと言っていた、絶対に来る。また来るぞ。


余談だが、京都から太陽の塔までは結構、時間がかかった(私が京阪で行ったからかもしれない)。こんなに遠い距離を、京都の一部しか走っていない二両程度の叡山電車で結ぼうと考えた森見登美彦は、やはりとんでもない鬼才であると思った。


何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
そして、まあ、おそらく私も間違っている。そんなところであろうか。


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『太陽の塔』より、定食屋「ケニア」にて飾磨が食べていたハンバーグ定食。

安くておいしかったです。
右上の本はもちろん。




小林優希

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