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#37 想いは一歩ずつ

#なかじのじかん 、今週もよろしくどうぞ。

一週間が早い。

体感として本当に早くて、仕事をしていても休んでいてもあっという間に一日が終わる。
何かをしていることで時間を使って、経っていくのが正しいというわけではないが、何もせずとも時間は無情にも流れを遅めてはくれない。どんどん流れていく。機械的とまでは言いたくはないが、命を少し与えたとしても決して止まらない。そう考えると、人生において、とことん無駄にする時間をちょっとは考えて用意した方がいいという気がする。まあ、結局、どう使おうが他人には全く関係ないことで、自己消化なんだけど、時間の使い方については、常に変化する時代に対応して捻出したいと思っている最近。

先日というか、ちょうど昨日。

奈良に行ってて、ちょっと時間があったので本屋に寄ることにした。

本屋っていいよね、好きだ。
何時間でもいられる。

月末に発売し、買ってみたかった月刊誌があったので探していたが、たまたま入った書店の規模からして、あればいいなと期待半分で入店。結果、取り寄せ。遠方なので店まで買いには来れないので諦めた。あれだね、何とかモールとかの複合店の施設には、一般大衆が購買する確率が高かったり、売れ筋商品だったり、粗方名の知れた作家の新刊、大量のマンガ、子供向け書籍など…個人的予想だけど、大体似たり寄ったりな様子だと感じられる。そりゃ需要が少ないものはないのは致し方ないもんね。自分が経営してたらそうしない、なんて言えないだろうね。自分好みのなら、個人で本屋さんした方がいい。

だから、詩を書き始めてから、今本屋に行くと、そっちのコーナーに自然と行ってしまう。でも中々品揃えは厳しい店舗が多数あるのは仕方ない。
そもそも今興味があることに関する需要が総合的に少ないだけということ。Amazonではちゃんと販売しているし、購入もバックナンバーさえある程度あるので、いつでも買える。
しかし、書店に足を運んで、実際手にとって代金を支払い、書店を後にするあの満足感は得られない。強いて言えば、個人的に本当に必要な本にお金を使いたいので、その満足感はなお求めたいところだけど、ウロウロして眺めるだけの場合もあるので無い物ねだりな矛盾も自分で感じているところです。

まあまた買えるタイミングで買うとしたい。

今の本当の興味は、自分の創作の行方。

動画を背景に文字を載せるのは、完成品を見ると、第三者目線で中々気にいっている感じで。

一枚の自撮りの綺麗な風景をバックにとか、一眼レフで撮った唯一無二の写真を使ってなども、視覚としてとても気持ちいい。


文学作品を目にするときはやはり冊子、製本など、「白い紙上にタイプされた黒文字」のケースが圧倒的に多い。

それはそれでいい。

自分の書いた作品が何かの媒体に掲載されるとしたら、やはりそれがいい。文章として相手に何か感じてもらいたいから、ありのままの“文字のみ“の掲載に尽きる。

でも個人的にこうならば更にいいなと追求したいのは、

「動画と文章の融合」

かな、とぼんやり思っている。

確信しているわけではないけど。

僕は音楽もやっていて、音楽作って、動画(イメージ動画)を作り、歌詞を載せ、YouTubeなどで公開しているので、その影響もあるが、

今この時代を大まかに捉えた時、

「動画コンテンツは見逃せないツール」と思っている。

だから、

届けたい見てもらいたい不特定第三者に向けてどうすれば振り向いてくれるだろう、流れる街の時間と人の中で、どうすれば立ち止まって自分を見てくれるだろう、そしてそれを見てくれた人に何か与えられるだろうかとよく考えるし、

そうやって創作しようと思い始めたのは、自分でもどういう変化か分からない。

単純に自分の作品を見て欲しいだけではない。それだけという承認欲求はなくなったかも。

誰かに何が出来るだろうか

そんなことを思いながら、また明日も書いていきたい。

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今朝書いた作品 「花火」

https://twitter.com/nakajimaxxx14/status/1289758866213756928?s=19

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