自分は間違っていた
自分は間違っていた。承認欲求などないと言いながら、何かの知識を披露して何かを証明しようとしていた。
もう、陰謀論や政治論、その誘導される先にあるものが解っているから、自分はもうこれ以上の話はする必要もないと思う。
何よりも大切なのは愛だから、人を導くためにそれ以上に必要な物事なんかない。
自分がどれだけ何かを知っていても、特定の誰かの気を引きたくて何かを語っても、そこに愛が無いなら無意味、それはたんなる善悪の知恵を使った承認欲求、欲望でしかない。
自分の役割は陰謀論を知る事でも、それを推理して披露する事でもなく、政治を暴く事でもない、必要なのは愛を語ること。
許しの心があるなら、何かを信じ続ける人も許し包み込まなきゃいけない。その人達にとって、それが心の救いとなるなら、そこから無理矢理引き離してはいけない。
カルト宗教を信じ拝む人達も、純粋に何かを信じている。教祖となる者は、その人達の心を大切にし、守らなきゃいけない。
傷つけちゃいけない、利用してはいけない、搾取なんてしてはいけない。人を導くためにお金なんか受け取る必要はない、何もいらない、愛だけがあればいい。
陰謀論を信じる人達も同じで、右翼や左翼の思想主義、政治を信じる人達も、マスメディアを信じる人達も、みんな同じ。その人達は純粋に何かを信じてきた、それを否定する事が正しいと思い込んでいた、全然違う。
まだまだ未熟者だった、こんなことに気がつけなかった、浅はかなのは自分だった。
誰も憎んではいけない、嫌悪してもいけない、神の赦しのために、自分は全ての人々が信じる何かを否定なんかしてはいけなかった。間違っていた、自分は間違っていた。
何とかしなきゃいけないのは、人々を利用し搾取している支配者の方で、それを信じ疑わずにいる人達を憎むような事はしたくない。
偏れば前が見えない、左右のシーソーゲームに乗っている事に気がつけないでいた、自分自身。
陰謀論や政治論、それを信じる人達も、否定する人達も両方敵じゃない、自分は誰も嫌わないし遠ざけない、そんなことしたくない。
自分が正しいことを言っていると認められる必要もないし、認めさせる必要もない。賢さもない、知恵も知識も情報もない、特別な者でもない、お金もいらない、人気もステータスも数字も何もいらない。
何を勘違いしていたんだ自分は、愚か者だった。
最近頭の中が真っ白なの、思考が鈍った感じがしたのはこれに気がつかせるためだったんだ。これも導きだったんだ、もう終わったと思っていたけど、終わってはいなかった。
左右は同じ道に誘導されてると、もう解っていたはずなのに、なぜ自分はそのシーソーゲームに参加してしまったのか。誰かに認めさせたかった、自分は特別だと証明したがっていた、物欲に色欲、金銭欲に心が引き込まれ溺れかけていたのかもしれない。
大切な何かを忘れるところだった、失いかけた、知恵に溺れた。
自分の中からのものではない、別な誰かの知恵に溺れた。
目を閉じて考える、ゆっくりとした呼吸で、心の中にある天秤を水平に、静寂に、片寄らず、片寄らせず、心穏やかに、やじろべぇのように左右にゆらゆらと揺れて、最後は真ん中で安定するように。
頭で考えるんじゃない、心で、愛を中心にして考える。それがなければ何も解らない。
このままなら、二度と何も書けなくなる、語れなくなる。知恵に溺れてはいけない、愛を言葉にしなければいけない。
悪魔の囁きに耳を傾けず、神の導きに従わなければいけない。
何かを憎んでいた、何かに怒りを持っていた、善悪の知恵による羞恥心、パラノイアが発生し承認欲求を欲していた。
愛よりも欲望を膨らませ過ぎた。
もっと気がつかなきゃいけない。このままではダメだ、自分が終わる。
深く思慮しなければ、瞑想をしなければ、目を閉じなければ、余計なものを見てはいけない、引き込まれてしまう。
でも、自分の未熟さから、導きを失うなら仕方がない。神を信じなかった自分が愚かだった、それだけのこと。
その運命な素直に受け入れる。
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