シンギュラリティはいつ起こるかに関する哲学的回答
巷ではAIが人の仕事を奪うとかシンギュラリティがどうだとか、全くもってどうでもいい話題で溢れている。
シンギュラリティとは、「技術的特異点」と和訳され「AIが人間を超える点」を一意的に示す言葉では無い。
AI、すなわちArtificial Intelligenceは人工的に創り出された知性であるので、人間を超える云々の話ではなく、AIをコーディングする人間の判断基準が絶対的なものである。
よって囲碁や将棋、チェスなど、次の一手と何手先まで読めるかの検索範囲に関する問題においては、人間はAIに既に勝てないことをAlphaGoなどは明確に示している。この手のゲームにおいては「まさかの一手」まで機械に考慮するよう指示しておけば、まず人間に勝ち目はない。
だからと言って、対戦型のゲームにおいて人間対人間の対局がつまらなくなる訳では決してない。むしろ今まで以上に面白くなる。人間は機械にはない「感情」や「心理」を持つからで、機械と対局することによりそれらを排除しようと努力はするが、ゼロにすることは不可能だからだ。例えば将棋における藤井聡太vs羽生善治の対局は素人からしても興奮する対戦だ。
人間と人間の知的な対決は、お互い自分を知り、相手を知り、戦略を立てる行為である。公然の騙し合いは観客を熱狂させるのは対戦型スポーツの醍醐味である。
以前、哲学に興味を持つようになったきっかけを記事に書いた。今年の初めに受けた講義で、講師だった竹下さんは言っていた。
「哲学的に言って、AIが人間を超えるシンギュラリティは起こりません。」
それとは逆にPlay Stationの生みの親に当たる方は言っていた。
「AlphaGoが示すように、シンギュラリティは既に起こっている。」
別の教育関係の方は言っていた。
「シンギュラリティは2045年から2029年に早まりそうです。」
ぼくの回答はこうだ。
「どうでもいい。自分でAI組んで助手にしようよ。」
今後日本は少子高齢化が加速し、2050年には人口が9000万人まで減少するとクソ政府は言っている。恐らくこれは彼らの目標数値で、政府関係者の出身地である韓国の人口を下回って欲しいという願望であろう。
子を持たない戦後最高に低脳な首相は年金資金を運用失敗で溶かしてしまい、北朝鮮がアメリカに屈したのに日本海側に迎撃システムを配備し、日々歴史改竄活動を行い、国民の幸福度を低下させ、ただでさえ住民税や保険料の高い市民生活を圧迫し、さらに消費税まで上げようと日々奮闘している。
くだらない。つまらない。
こんな国にどうやって愛国心を持てというのだろうか。
2019年はフリーターとしてスタートしました。 サポートしていただけたら、急いで起業します。