見出し画像

追憶の海 前編

 大学四回生。卒業。
 この単語からあなたは何を思い浮かべるだろうか。
 卒業旅行で惑星周遊? ……残念、あいにくそんなお金はありません。
 それとも、四月からの職探し? ……それもハズレ。幸いなことに職は見つかりました。某企業こんな俺を拾ってくれてありがとう。どうやら社会に見捨てられずに済みそうです。
 職も見つかり卒業も確定し、時間を持て余した世の学生のやることは一つしかない。
 無論、アルバイトである。

    *

「あー、……ヒマ」
 思わず口をついて出た言葉に、熱心に窓ガラスを拭いていた人物の手がピタリと止まった。
 ケイは手元のグラスを布巾で拭きながら、くわあと欠伸をし、再び同じ言葉を口にした。先ほどよりも、明確に。
「今日もヒマだなあ」
 窓と向き合っていた人物はぷるぷると肩を震わせると、勢いよくケイの方を振り向いた。
「けーくん」
 天然パーマのもじゃもじゃ頭に無精髭、さらには黒いサングラスをかけた顔が恨めしげに口を開く。ケイはその呼びかけに素直に答えを返した。
「なんすか、店長」
「確かにね、暇だよ? 暇なんだけどさ。そういう呟きは心の中だけにしようね。いくら事実でも、たとえ事実でも、改めて言葉にされるとおじさん悲しくなっちゃうから。あと、店長じゃなくてマスターね。マスター」
「あー、すんません店長。俺、思ったことすぐ口に出ちゃうタイプなんで」
「うん。知ってるけどね。知ってるんだけどマスターな僕としては空気を読んでくれると嬉しいかな」
「ういー。見かけだけでも努力するようにします」
「見かけだけじゃなくて中身もね!」と店長の叫びが聞こえたが無視。

 店長のカタギリはいつ客が来てもいいようにと四六時中店の掃除に精を出している。棚に並んだ酒瓶にも埃ひとつ見当たらず、窓も床も磨き上げられように輝いているのにさらに輝かせようと必死だ。
 BARの掻き入れどきは夜から明け方にかけてだが、ここ最近ケイはうたた寝をせずに夜勤を終えたことがない。
 つまり、ここ一週間ひとりも客は来ていない。
 今日も閑古鳥が鳴き続けて終わるなあ、と考えていたケイだったが、

「あ」

 窓の外を見て思わず声を上げた。
 店の前の通りにひとりの女性が立っているのが見えた。まばらだが人通りのある道なので、それ自体は何の不思議もない。
 ただ、やたらきょろきょろと頭を動かしており、時折視線がこちらで止まる。店の様子を窺っているのは明白だ。
 ケイが、指を持ち上げた。
「店長。──客が」
 たぶん来てる、と付け足す前にカタギリは雑巾を放り出し店を飛び出していってしまった。カランカラン、とドアベルの音が狭い店内に響く。
 ケイはカウンターに頬杖をついてその様子を見送ると、再び女性に目を向けた。つばの大きな麦わら帽子を被り、長い茶色の髪を背中に流している。白いワンピースから伸びる足が眩しい。
 しかし、今日の気温は氷点下で、麦わら帽子を被るにも足を出すにも季節はずれ甚だしい気温である。
 カタギリと女性が話しているのを横目に見ながらケイは流しに積み上げられたコップを取り、昨晩の店長との痛飲の痕跡を片づけにかかった。

「しっかし、最近本当に仕事ないよな…」
 何個目かのコップを洗いながらケイはついため息をこぼした。
 最近のお財布事情を思い出すと胸が痛くなる。金が欲しいのに仕事がない。仕事が欲しくないときに仕事を回されるのに、欲しいときに限って仕事がない。
 新生活のためにまとまった金を稼いでおきたいのに世の中上手くいかないものだ。
「この前新しいモニターを買ったのがいけなかったんだよな。政府がいきなり衛星通信を統一するとかいうからまったく…、お?」
 ぶちぶちと愚痴を零していると、外で話し込んでいたカタギリがこっちを見て両手を挙げ、勢いよく左右に振り出した。
 交渉成立の合図だ。どうやらナンパは成功したらしい。
「やるな、店長。久々の客じゃん」
 ケイは手を伸ばし、調理場の脇にあるスイッチを入れた。
 ヴーン。
 低い駆動音と共に店内に電力が供給されていく。ぱちりぱちりと音を立ててランプが点き、薄暗かった店内が一気に明るくなった。
 時計を見ると夕刻、6時。こんな時間から店を開けるのは久しぶりだ。


「ささっ、どうぞどうぞ。外からの見てくれは悪いですけど中は綺麗で清潔だし温かいですよ。ささっ、遠慮なさらずに」
 カタギリに導かれながら女性が店に入ってくる。
「いらっしゃいませー!」
 アルバイトの鑑であるケイが威勢良く声をかけると、
「きゃっ!」
 叫ばれた。なぜだ。
 カタギリは背に女性を隠すとバッと両手を広げ、ケイを睨みつけた。
「こらっ、けーくん! お客さん怖がらせちゃダメでしょ! あー、大丈夫ですよ。彼、別にあなたをとって食おうとか思ってませんから」
「おい」
「なに? はっ。まさかけーくん……本当にそういうつもりだったの? いやん、破廉恥!」
「何が『そういうつもり』だ! お願いだから勝手に俺に対する変なイメージ植え付けないで!」
「だってけーくん昔はぶいぶい言わせてたんでしょ。僕、知ってるんだからね」
「言わせてませんから! ほら、お客さん怖がってるじゃん!」
「だから怖がらせないでって言ってるでしょー!」
「アホ! あんたに怖がってるんだよ!」
 生産性のない能天気な口論に終止符を打ったのは小さな笑い声だった。カタギリの背後で女性が口元を手で覆って笑っている。
 ケイは決まりが悪くなって頬をかいた。
「そこ笑うとこじゃないと思うんですけどね」
「ごめんなさい。でも、お二人がとても楽しげだったので」
「ふっふっふ、さすがですお嬢さん。僕とこの子はマブでダチな仲なのですよ」
 なにがマブでダチな仲だ。意味わからん。
 カタギリは女性をカウンターの席に案内すると自分もその隣に腰かけた。仕事をする気はないらしい。ケイはため息を吐くと、洗ったばかりのグラスにポットから水を注ぎ、彼女の前に置く。
「ありがとう。ちょうど冷たいものが飲みたかったんです」
「外、寒くありませんでしたか。少し待ってもらえれば温かいものも出せますけど」
 彼女のような恰好で外にいたら間違いなく凍死する。ケイならまず「冷たいものが飲みたい」なんて言葉は出てこない。
 彼女はケイの言葉に首を傾げ、店の外に視線を向けてから「ああ」と頷いた。言葉の意味がようやくわかったとでも言うように。
「水で結構です。わたくし、暑がりですので」
「は、はぁ…」
 まさかそんな答えが返ってくるとは思っていなかった。ケイは彼女の印象に『少し変わっている』と付け加えた。
「それで、お嬢さん。今日はどうしますか? 場末の酒場ですが一通りのものは揃っていますよ。久しぶりのお客さんですのでサービスもしちゃいます」
 カタギリが鼻の下を伸ばしただらしのない表情で訊ねた。
 彼女は何かを考えるように押し黙っていたがやがてグラスをつかみ一気に飲み干した。その豪快な飲みっぷりに驚く。そんなに喉が渇いていたのか。再び水を注ごうとケイはポットを掴むと調理場を出て、彼女のグラスに手を伸ばした。すると。

「え」

 がしり、と手首を強くつかまれる。ケイは軽く目を瞠り、彼女を見返した。ひどく真剣なヘイゼル色の瞳がケイを見つめていた。

「サービスをしてくださる、と仰いましたね」

 彼女の確認するような口調にケイは思わず頷いた。
「え、ええ。そうですね。言ったのは俺じゃなくて店長ですけど」
「お金に糸目はつけません」
「は?」
 とんでもない言葉が飛び出してきてケイは目を瞠く。
「私は、あなたが欲しい」
「はあぁ!?」

   *

 一体何を言っているんだ。もしかしなくとも入る店を間違えてるんじゃないのか? 
 頭の中で彼女の言葉がぐるぐると巡る。
 身動ぎすると握られた手に力がこもった。手首が痛い。
 よく見ると彼女の腕はぞっとするほど白かった。滑らかで毛穴のひとつ見当たらず、まるで陶器のようだ。
 彼女の桜色の唇が吐息のような言葉を落とす。
「あなたを探していました。ケイ・イザナギですね?」
 彼女はケイのフルネームを正確に発音した。ここいらでは珍しい名前のため正確に発音できる人は少ないのでケイは少なからず驚いた。
「あなたにある仕事をお願いしたく参りました。…もう頼れる人はあなただけなのです」
 その言葉に彼女がここに来た目的を察した。
「なんだぁ、けーくんのお客さんかぁ」
 カタギリは唇をとがらせて残念がった。彼が残念がるのには理由がある。
 この店に来る客は、二種類いるのだ。
 酒を飲みに来る客の他に、ケイを頼りに来る客が。


「ちょっと待っててくれる?」
 そう断りを入れてケイは左手で自分の手首をつかむ彼女の指を一本一本、優しく解いていった。
 ケイは調理場へ戻るとゆっくりとポットを置いた。彼女も店長もケイの動きを黙って見守っている。まるで珍獣にでもなった気分だ。
 ケイは、はあと息を吐き出した。カウンター越しに女性に向きなおる。
「あのさ。俺に頼みたい仕事があるってことだけど、俺が何をしているか知ってんの?」
 彼女は戸惑ったように視線を左右に動かし、ややあってケイの反応を窺いながら口を開く。
「あなたは探索者(シーカー)で……、捜し物をなんでも見つけてくださる方だと……」
「うーん、半分正解で半分間違いかな」
「え?」
「なんでもってのはウソ。そんなのどう考えても無理だろ? 人間できることとできないことがある」
「でも番付であなたは探索者として最高ランクを取得されていました」

 番付。──ああ、あのインチキ番付ね。
 ケイはつい苦笑した。電脳空間ではあらゆることが番付としてランク分けされる。
「これで食ってるわけじゃないんでね。探索(シーク)なんて俺にとっちゃここのアルバイトと同じくらいにしか考えてないし。噂だけが独り歩きしてたまにあんたみたいに俺を頼りにしてくる人がいるんだけど、俺にとってこれは趣味みたいなもんなんだ。だから俺は人を選ぶし、仕事も選ぶ。つまり俺は自分にできる範囲の仕事しかしない。できることをやっているだけなんだから、まあ受けた依頼は十割成功するわな」
 種明かしをすればなんとでもないことだ。しかし、事実を知らない人間からは超人のごとく扱われる。
「あ、でもマドモアゼル。せっかくなんだし依頼内容だけでも話してみたら? けーくんは結構なんでもこなせるしね。器用貧乏ともいうけど」
 余計なお世話だ。気にしていることを指摘されて、ケイは椅子に座るカタギリを睨み付けた。
「もちろん話を聞くのはタダだ。それと仕事を受けるかは別問題だけどそれでもいいなら」
 彼女は伏せていた視線をゆるりと持ち上げた。
「本当ですか?」
「ああ。でももし話をするならまずはあんたの名前を聞かせてほしいな。俺だけ名前を知られてるってのはなんだかむずむずして落ち着かない」
 ケイが腕をさすっておどけてみせると、彼女はくすりと笑った。笑うと大人びた表情が少女の顔になる。
「失礼しました。わたくし、アイラ・シュトラ・エア・ニルヴァーナと申します」
「は?」
 とんでもない長い名前に耳を疑う。どこかの貴族令嬢か? 
「依頼と言っても簡単な内容です。わたくしをある場所に連れていっていただきたいのです。そこへの行き方がどうしてもわからなくて。今までひとりで手を尽くしましたがもうお手上げなんです。……わたくしにはもう時間があまりないのです」

 アイラは一瞬目を伏せ、再び持ち上げた。

「連れて行っていただくだけでいいのです。どうか、お願いします」
 ケイが今まで受けてきた依頼の中では珍しいタイプの依頼内容だった。こういう『捜し物』はあまり受けた記憶がない。
「話を聞く限りあまり難しそうじゃないね」
 カタギリはそわそわと体を揺らしながらこちらに視線を送り続けている。再びぎろりと睨みつけるとカタギリは肩を震わせて顔を背けた。
どうせ可哀想だから依頼を受けてやれと言いたいのだろうが。

 ──アイラは重要なことを全く話していない。

「二つ質問がある。行きたい場所ってのはどこだ? それと時間がないって言ったのはどういう意味だ?」
「行きたい場所は……海、です。三日以内にわたくしに『海』を見せてください」
 ケイはぽかんと口を開けた。
 なんだって?
「海ってアレだろ? 昔、地球にあったっていうデカイ水たまり。なんだってあんなところに……」
 大学の授業で見た映像を思い出す。かつての母なる大地の七割を占めていたという膨大な量の塩水。
 勿論地球からの移民なんていくらでもいるし、移民何世って連中がこの辺りにもごろごろいる。だがアイラのようにかつての地球に関わる事柄を話題に上らせる人は滅多にいない。なんせ五百年前の話だ。
 それにしても捜しているものが海とは。
 ──この惑星に海なんて存在しない。
「アイラさんはさ、なんで海を見たいの?」
 カタギリが数日間剃っていない無精髭を指で引っ張りながら聞いた。
 アイラはグラスの中の水を軽く揺らした。問いに何と答えたものかと逡巡しているようだ。
「そうですね……」

 そして、ケイは彼女の答えを聞かなければよかったと後悔することになる。
「これは夫への弔いなのです。もう何年も前に永遠の別れをしてしまいましたが夫は本当に海が好きでした。晩年は譫言のように海をこの目で見たいと呟いていました。何年も何年も探し続けましたがわたくしの力では海を見ることは叶わず……わたくしに残された時間はあまりありません」
 まず驚いたのは少女のように可憐な彼女が既婚者だったということだ。実年齢は怖くて訊ねる気にはならない。
 ケイはふと彼女の手元を見た。空になったグラスをつかむ両の手が小さく震えていた。
 伏せた瞳がどんな色を湛えているのかは髪が遮ってわからない。
 ケイは頭をかきむしりたい衝動に駆られた。
 これだから女は!!
 視線を感じて顔を上げればカタギリがにやにやと笑みを浮かべていた。ケイがどんな結論を出すのかわかりきっているという顔だ。
 ケイはシャツの胸ポケットから取り出した煙草にライターで火をつけ、煙を肺いっぱいにすいこんだ。天井に向かって煙を吐き出す。ゆらゆらと霧散していく煙を見ながら心を鎮める。
 時間をかけて一本吸い、灰皿に煙草を押し付けた。

「わかった。その依頼引き受けてやるよ」
「本当ですか!?」

 アイラが勢いよく顔を上げた。

「わざわざ俺を訪ねてきてくれたことだしな。それにあんたは金に糸目はつけない、と言った。あれは嘘じゃないな?」
「ええ。本当です」
「なら──」
 ケイは新しい煙草に火を点けながら口の端を持ち上げた。
「交渉成立だ。俺は、力の及ぶ限りあんたの味方になってやるよ」
「ありがとうございます……!」

 これも何かの縁だ。自分でも見たことない『海』とやらを彼女のために探してやろうじゃないか。

   *

『……昨日未明の大雨で中央都市のゴミ処理施設に雷が落ち、大規模な火災が起きました。ごみ処理施設は北エリア十五ブロックに位置し、周辺の民家に被害はなく怪我人も出ておりません。──次に市長選挙の話題です。現職であるアルフレッド・アドラー氏が有力だと言われておりましたが、本日我が惑星有数の大企業であるエイクリッド社の社長シモン・エイクリッド氏が出馬を表明しました。突然の出馬表明に各界は動揺、株価にも影響が出るほどでした。エイクリッド氏の参戦で市長選挙は白紙に戻ったともいえるでしょう……』
 店じまいをして、カタギリと二人。アイラが帰った後に今夜は何組か客が入った。久々の労働後の心地よい疲れを感じながらケイはカタギリが作った夜食をつまみにビールを飲む。店のモニターに流れる衛星放送をぼんやりと眺めた。
「エイクリッド社って何やってるとこだっけ?」
「なんでもやってるよ。食品、金融、情報、宇宙開発……この星の創星の時からあった企業らしいからね。でもあそこの一族は政界に全く興味がなかったのにどういう風の吹き回しなんだろう」
 調理場の片づけをしていたカタギリから答えが返ってくる。ケイは「ふーん」と頷いた。
「それよりさ、僕、今日改めて思ったことがあるんだけど」
 カタギリが酒瓶とグラスを持って調理場から出てくる。
「何?」
「けーくんって女の子には優しいよね」
 めきょっという音とともに、ビールの缶が変形した。幸い中身が飛び出さずに済んだが、危うくまた掃除をする羽目になるところだった。
「ちょっと待て。語弊がある言い方はやめてくれ。『には』ってまるで俺が女にしか優しくないみたいじゃないか」
「あれ、違うの?」
キョトンとした顔でカタギリに返され、ケイは怒鳴り返した。
「違うだろ! 俺はどんな人に対しても愛と優しさを持って分け隔てなく接しているぞ」
「彼女がいないのに女好きだなんてけーくんはむっつりだなぁ。でもさ、どうするの。現実的に考えてちゃんと見つけてあげられるの? あれだけ期待させといて失望させたら可哀想だと思うんだよね。おじさんとしては」
 酒がなみなみと注がれたグラスを片手に言われても全くもって説得力がない。
 あの後、アイラといくつか話をしたケイは明日の正午に落ち合う約束をした。ちなみに彼女が口にしたものは最後まで水だけだった。
「店長、彼女の言ってたアレ。見たことあるか?」
「海? まっさかー。ヴァーチャルでしか見たことないよ。この惑星にあるの海じゃなくて湖だしね。それも人工的に作ったものだし」
 だって地球に僕らが住んでたのは五百年も前だよ? と続けられ、ケイはそりゃそうだと頷いた。
 ケイもヴァーチャルの海ならみたことがある。恐らくカタギリよりも、より明確に、鮮明に。

 土よりも白く柔らかい砂に足が沈む感触。
 砂浜に打ち付ける膨大で果てしない水の塊。
 陽光に波が煌めき、風に運ばれて潮の匂いが漂う──。

 その光景を呆然とした心地で視ていたのを覚えている。だがそれは現実のものとして自分の前に存在するのではなく、いわゆる精神転送装置を使った学習パッケージの中にダイブして体感したに過ぎない。

「それよりさ、最近お客さん少ないと思わない? デッドエンドにある風情のある一軒のBAR…僕なら迷わず入っちゃうのになあ。敷居が高いのかな」 
「この町に敷居も高いも低いもないだろ。高い低いかの前に生きるか死ぬかだ」
「けーくんは若いのに悟りすぎだよ。中央都市の出身なのに老成しすぎてる」
「うっせ。だから俺はここにきたんだ。わかってんだろ?」
 ケイはカタギリの言葉に薄く笑い、煙草に火を点けた。都市は確かにここよりは過ごしやすい。空をつく摩天楼のピカピカに磨かれた窓ガラスに陽光が反射するのは痺れるほど魅力的だったし、力と金と欲で塗れ、淫靡な体つきの女たちが蔓延る都市の夜の表情もたまらなくケイを引き付ける。
 それでも。
「俺にとってはこっちのが面白い。店長だってなんでここに拘るんだよ。別に都市に行こうと思えば行けるだろ」
「冗談言わないでよ。都市の賃料いくらすると思ってんの」
 デッドエンドには都市に住めないような吹き溜まりの連中が集まっているが、別にデッドエンドの連中が都市に住んではいけないわけではない。デッドエンド出身の富豪だって都市にはいる。
「俺がここでやらせてもらってる副業も都市よりデッドエンドでやったほうがよっぽど人間臭い仕事が入ってくる」
「そういう風に思えるけーくんはやっぱり変わってるよ。都市に焦がれる人はいくらでもいるのに都市からこっちに出戻りなんて」
「だからこそ店長に会えたんだしいいじゃん」
 そう言った後、思わず噴出した。我ながら臭すぎる台詞だ。カタギリはきょとんとした顔をした後、相好を崩した。
「けーくんけーくんけーくん」
「なんだよ」
「僕もけーくんに会えてうれしいよ」
「……そりゃどうも」
 何よりもこうやって他愛もない会話ができる日々をケイは愛していた。


   *


 片腕を伸ばしブラインドを上げると冬の日差しが部屋に入り込んだ。
「おはよう、ございます」
 ケイは、誰に言うともなく呟く。顔を傾けて壁にかかった時計を見ると朝9時。明け方近くまで調べ物をしていたのだがいくらかは仮眠はとれたようだ。
 昨晩、店長は自宅に帰ったが、ケイはそのまま店に泊まったのだ。一通りの生活できる設備が整っているのがこの店の便利なところだ。
 ケイは冷蔵庫から適当に見繕い朝食を食べ、手早く身支度を整えると店を出た。
 店の裏手に回ると、一台のバイクが止まっていた。ケイの愛車だ。赤い塗装とフォルムがたまらなく気に入っている。愛車と柱を繋ぐチェーンを取り外す前にケイは右ハンドルについた小さなディスプレイに人差し指を押し付けた。
 ピッ。機械音と共に光が走り指紋を読み取る。
『──お名前を』
バイクから平坦な女性の声が発せられる。ちなみにこれはバイク自体にAIが搭載されているのではなくケイが後から自分で取り付けた簡易版だ。今はどの乗り物にも当たり前についている高性能AIだがケイのバイクはデッドエンドの露天商で買ったビンテージなので自分で弄ったAIを勝手に搭載させてもらった。
「ケイ・イザナギ」
『ケイ・イザナギ。声紋認証しました。ロックを解除いたします』
 AIの認証を受けずに鎖の鍵を開錠しようとすると高圧電流が流れるようになっているのだ。驚く人もいるかもしれないがなんたってここはデッドエンドだ。盗みや集りなんでもござれ、自分の所有物は自分で守らなければならない。
『──おかえりなさいませ』
「ただいま」
 簡易AIだから思考の成長はないというのに返事をしてしまうあたり会話に飢えているのかもしれない。
 エンジンを入れるとマフラーから勢いよく煙が噴き出した。
 動力も旧式のオイルなので音が響く。
 ケイはこれがたまらなく好きだ。
 アイラとの約束は正午。
 それまでにいくつか用事を済ませておかなくてはならない。

    *

 どんなに荒廃した土地でも人が集えば村ができ町ができ、ある種の秩序と統率がもたらされる。デッドエンドもその法則に倣い、秩序と統率が存在している。権力でも欲でも金でも、力を持つ者だけがそれをなせる。無法地帯ならではの理屈だ。単純明快な理屈だからこそケイは気に入っていた。「デ? お前の話を要約すると儚げで麗シの美貌を持つ未亡人を助けたいってコトカ?」
「一言で言うとそうなるな」
 儚げで麗しの美貌なんて言ったかなと内心首を傾げたがとりあえず頷いておく。少年は東邦特有の訛りとこの辺では珍しい青磁色の服とも相俟って、非常に目立つ。まだ骨ばっていない手が胸元に垂れた三つ編みを後ろに払う。
「ハンッ。久々に顔を見せたと思っタラ、自慢をしにきタノか?」
「自慢でもなんでもねえよ! 俺はお前に預けていたものを引き取りにきただけなの。さっきから言ってるじゃん。シャオ、お願いだからちゃんと仕事してくれよ」
 腕を組んでそっぽを向く店主にケイはぎりぎりと歯軋りをした。南ブロックは露店が連なったマーケットで、住民が食材や日用品を求め、連日大勢の人で賑わっている。シャオの店は所狭しと並ぶ露店のさらなる間隙を利用しており、棒につっかけただけの黒の暖簾をくぐると木箱が三つ現れる。その一番奥の一つにこの少年店主は腰掛け商いをしている。大人が三人も入れば窮屈になってしまう狭い空間だ。ケイは机がわりの木箱を挟んだ、最後の木箱に腰掛けシャオを見下ろす。シャオは頬を膨らませた。
「なんでソノ依頼人を連れてこなかったんだヨ」
「なんでって……」
 ケイが言い淀むと、シャオは腕を振り上げて猛然と怒りはじめた。
「ケイの馬鹿!! この店にハ来る日も来る日もムサい男どモしかやってこんノじャ!! わしの知己という自覚があるのナラ、友の憂いを察してしカルべきダ!」
 とんだワガママ小僧もいたもんだ。ケイはげんなりしてこめかみを押さえた。
「あのね、シャオくん。女の子と親しくなりたいお年頃なのもわかるけどね。俺と君は仕事の契約を結んでるわけ。俺は客であって君は客の要望に応えなきゃいけないわけよ。わかるよな?」
「ム。生意気だぞ、ケイ。子ども扱いするデナい! わしはもう二十四ダ」
「………へ?」
 ケイはぽかんと口を開けた。耳に手を当てもう一度発言を促す。

「わしは二十四じャ!!」

 どうやら聞き間違いではなかったらしい。
「年上!?」
 今まで十歳そこらのガキだと思ってた。衝撃の事実だ。ケイの心中を察したのかシャオは憮然とした表情で腕を組んだ。
「わしノ祖国は長寿が多い。そのタめ身体の成長も緩やかに進むノジャ。誰もかれもがお前のようにデかくなイわ」
「身体の成長が精神にも影響するのか? 年の割に随分精神年齢が低い気がするが……」
「余計なお世話じゃ!! その減らず口をいますぐ止めないと契約を打ち切るぞ!!」
 とうとう本気で怒らせてしまったらしい。ケイは言われた通りに口を閉じ、その代わりに右手を突き出した。
「シャオ。契約の履行を要求する」
「……よかろう」
 フン、と鼻を鳴らし彼は両手を大きく広げた。鳥が羽を広げたように青磁の服が広がる。柏手を二度。目を閉じるといくつかの言葉を呟いた。ケイにはわからない言語だ。シャオの背後の空間がぐにゃりと波打ち、陽炎のように不安定に揺れ始める。

「顕!」

 揺れていた空間に穴が開いた。穴の底は洞のように暗く何も見えない。まるでブラックホールのようだ。

「招」

 力強い声に引き寄せられるように穴からゆっくりと一つの箱が出てくる。
 箱は音を立てることなくカウンターの上に収まった。シャオが柏手をもう一度打つと空間の歪みは徐々に小さくなり消えていく。ケイは口笛を吹いた。いつ見ても不可思議な術だ。彼は引き出しのようなものだと言っているが。シャオは空間を自由に扱える一族の末裔で、彼はその技を活用しながら生計を立てているのだ。

「預かっていたものじゃ」
「ん」
 ケイは両手に収まる箱を持ち上げ蓋をスライドさせた。
「小型拳銃が一丁に弾丸が三十。コンバットナイフが一本。相違ないな」
 シャオが箱の中身を諳んじる前にケイは自分の所有物を検分し終わっていた。
「ああ。完璧に保存されている。さすがだな」
「当タり前じゃ」
 彼は自慢げに唇を持ち上げた。
「しかシ、お前の骨董好きは相変わらズなようじゃのう」
「骨董だなんてやめてくれよ。ビンテージと呼んでくれ」
「骨董デ十分じゃ。手入れに手間暇かカルそんな代物より便利なものがたくさんあルだろう。粒子カッターに比べればナイフなんぞ威力も切れ味も劣るゾ」
「古きものにはそれなりの良さがあるってもんだ」
 シャオは納得がいかないのか首を傾げた。自分の技をこんなチンケなものに活用する人間は初めてだ。
「そも、お前がわしの店を使う理由もワカらんな。銃とナイフくらい持ってイテも中央都市で咎めラレルことはナカろう」
「確かにここでも都市でもドンパチがあるのは変わらないけどな。だけど日常的に持っていたいかどうかってのは別の話だ。俺は学生だし必要な時だけ使えればいいんだよね。ま、俺のポリシーってやつだな。…なんだよ」
「別に。よくワカらぬポリシーだと思っただけジャ。まあわしトしては商売繁盛で有難い限りじゃガ」
 シャオはこの店の数少ない備品である電子計算機を取り出した。シャオの商売は究極的には自分さえいれば店を構えなくても成り立ってしまうからだ。
「今回の保存は随分長かったからな……ちょっと値が張るぞ」
 小さな手がリズミカルに電子計算機を打つ。増える数字にケイの眉が次第に顰められる。
「常連なんだし少しはまけてくれると有難いんだけど」
 シャオは電卓を打つスピードを緩めて、ケイをちらりと見上げた。
「次来るときに都市の菓子を持ってくるというのなら考えてやろう」
「む」
「前回の丸くてカラフルな奴がうまかったのう」
 ここぞとばかりに注文をつけてくる。前回の丸くてカラフルなやつって……ああ、マカランのことか。
「わかった。今度来るとき持ってくる」
「言うたな? よし、これでどうじゃ!」
 電子計算機を目の前に差し出され、ケイは液晶画面を覗き込んだ。……予想よりかなり高い。
「こ、れ、く、ら、い、で!」
 ボタンをいじくり数字を変える。自分のほうに向けてその数字を見たシャオは目を剥いた。
「桁が違うではないか!」
「……マカラン」
 ケイが小さく呟く。
「う」
 シャオの目が揺らいだ。もうひと押し。
「……今度女の子紹介してやってもいいんだけどなー」
「ううう」
「シャーオ?」
 にっこりとほほ笑んでやると、
「これで、ヨカロウ」
「毎度ありー」

   *

 シャオの店を出てもう一件だけ用事を済ませると、ケイはアイラとの待ち合わせ場所へバイクを走らせた。この界隈で若い女を一人で待たせておくのも危ないので待ち合わせ場所はデッドエンドの入り口だ。そこなら保安官の駐在所があるのでまず間違いは起こらないだろうとの判断からだった。
 駐在所の前に人影が見えて、ケイはゴーグルをずらす。しかし、見えた影は一つでなく複数だ。嫌な予感がする。その予感が的中したのか近づくにつれ、ガラの悪そうな男たちが三人、誰かを取り囲んでいるのが見えた。麦わら帽子が見えたので囲まれているのが誰かは明白だ。
「ったく、エルザーは何やってんだよ」
 ケイは舌打ちするとアクセルを回してスピードを上げる。
「ねーちゃん、誰かと待ち合わせか? ほっといて俺達と遊ぼうぜ」
 ケイは男たちの間を分け入ってアイラの隣にバイクを止めた。
 突然乱入してきたバイクに男たちは気色ばむ。
 ケイはバイクから降りるとアイラを背中に押しやり、リーダーらしき男と向かい合った。
「安っぽい誘い文句使ってんじゃねェよ」
「なんだてめえ!」
「この娘とのデートは俺が先約済みだ。お前らはお呼びじゃないんだよ」
「なんだと!?」
 顔に青筋が立てて男は拳を振り上げる。ケイは片手でその腕を受け止めるとあっという間にねじ伏せた。
「おいおい、真昼間から物騒だな。穏便に行こうぜ。変なことするならこの腕がどうなるかわかるな?」
 さらに力を込めると関節を決められた男の口から小さな悲鳴が上がる。ケイは周囲の仲間らしき連中を睨みつけた。
「てめぇ…! おめーら動くな!! 絶対動くなよっ」
 男が腕の下で騒ぎ立てる。
「ケ、ケイさん……」
 アイラの声が背中にかかり、ケイはパッと男の腕を離した。男がべちゃりと地面に崩れ落ちる。
「失せろ」
「ひ、ひいっ。行くぞっ」
「覚えてろこの野郎!」
 男たちは思い思いの捨て台詞を残しながら逃げて行った。正に絵に描いたようなチンピラだ。ケイはアイラに向き直り、彼女の全身を見て怪我がないか確認する。
「大丈夫です。どこも怪我してません」
 その言葉にホッと息を吐くと、次にケイは駐在所を睨みつけた。安全だと思ってここを待ち合わせに使ったのにこの有様だ。
「エルザー! また寝てんのか!?」
 駐在所の扉を蹴り開ける。コンクリート造りの狭い詰所の中は空調のファンの回る音だけが響いていいた。
「ゴ用件ハ何デショウカ?」
 合成音と共に奥から人間の腰ほどの高さのロボットがのろのろと出てくる。鮮やかな黄色で塗装されたロボット。P―301型、通称・サン。保安局が採用した全自動型オートマティックだ。
「ゴ用件ヲオ申シツケクダサイ」
「サン。エルザーはどうした」
「照会中。エルザー二等保安官ハシバラク休暇ヲ取ッテオリマス」
「休暇ァ? 絶対嘘だろ」
 どうせどこかでサボっているに違いないのだ。さすがにカチンときた。
「サン、コードxxx。システムオールフリーズ」
「コードxxx、登録識別番号ヲ述ベテ下サイ」
「100000024428」
「エルザー・ジゼット二等保安官。命令ヲ実行シマス」
 断続的な機械音の後にサンの瞳から光が消える。サンが一時的に休眠状態になったことはすぐに保安局に連絡が行くだろう。そうなればエルザーのサボりもバレるはずだ。ざまあみろ。
「何をしたんですか?」
 後ろからアイラが覗き込んできた。
「ん? ああ、システムを止めただけだ。声紋認証もかけずに登録番号でシステム制御してるからこんなことになる」
 一般市民に登録番号を知られてる保安官もどうかとは思うけど。

「さっきは災難だったな。何ともなかったか?」 
「ええ、ケイさんが来てくれたので」
 ケイは改めてアイラの格好をみた。昨日と同じ、麦わら帽子に白いワンピース。
「寒くないのか?」
 ケイの問いに彼女はきょとんとした顔をした。服を指さすと、ああ、と頷いた。
「わたくし、暑がりですの」
「……ふぅん」
 彼女の言葉に引っ掛かりを覚えたが、ケイは神妙に頷いただけで、深く追及しなかった。

「さて、と。あまり時間がないな。すぐ出発しよう」
「今日はどこに行くんですか?」
「ちょっと行きたいところがある。もし海のことを知ってる奴がいたらそいつしかいないと思うんだよな」
「その方が海の場所を教えてくれるのですね」
「そうだといいけどな。じゃあ帽子を取って後ろに乗って」
「え!?」
 ケイがそう声をかけると、アイラは帽子のつばを掴んで、戸惑いを見せる。なぜ戸惑われるのかの方が謎だ。
「あ、あの、どうしても取らなきゃダメですか?」
「ヘルメット、被れないだろ。……まあ、どうしても取りたくないっていうなら仕方ないけど。」
 頑なな様子にケイが渋々譲歩するとアイラはこくこくと首を縦に振る。注文の多いお客様だ、と内心でため息をついた。
「わかった。安全運転は最大限心がける。俺の腰を掴んでていいから落とされるなよ」


 他の惑星と同じようにこの惑星にもいくつもの街があり、デッドエンドのようなスラム街がある。完全には平和な惑星とは言えないだろう。盗みだって、殺しだって存在する。だがかつての第四次世界大戦、星間戦争の頃を思えば世界は十分に裕福で幸福だ。選ばなければ仕事はある。デッドエンドでさえも日々暮らしていけるだけの日銭は稼げるのだ。
 砂利にタイヤを取られないように注意しながらケイはバイクを走らせた。アイラは言った通りケイの腰にしっかりと腕を回している。風を切って進むのが心地よく、近くに住んでいる子供たちはバイクが珍しいのか追いつかないのを知りながら追いかけてくる。
「あんたは都市に住んでるって言っていたよな。どの辺に住んでるんだ?」
「西の16エリアに住んでいます」
「……。そこから毎日、海を探してるのか? ご苦労なこった」
「わたくしの生きる目的はそれしかないんです。あの人が見たがっていた景色を探し、見つけることでしか生きられないから」
 声に憂いが籠り、ケイはなんと言葉を返すべきか戸惑った。アイラがどんな表情をしているかは前に座るケイにはわからない。
「海を見つけたら、どうするんだ?」
「…──」
 アイラは何かを呟いたようだったが風の音にかき消され聞き取ることはできなかった。

【to be continued...】

いつも読んでいただきありがとうございます。 小説は娯楽です。日々の忙しさの隙間を埋める娯楽を書いていけたらと思います。応援いただけたら本を買い、次作の糧にします。