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はじめてのお出掛けは100点満点!

 読んでくれる方が徐々に増えてきました!なんだか嬉しいですね。今までは、自分の担任しているクラスと保護者、あとは授業を持っている生徒くらいしか自分の書いた文章を読んでもらう機会がなかったので、何だか新鮮です。

 昨日は奥さんの友達が来てくれて、色々と贈り物を頂きました(^^) 僕も大学からの仲なので、長い付き合いになりますが、いつも救われています。子ども服を各所からどんどん集まってくるので、全然買っていないのに、結構な量の服が揃っています。良い循環です。衣服もサスティナブルがいいですね。

『誰かに使ってもらおう!』とか『使わなくなったら、メルカリで売ろう!』って考えると、綺麗に使ったり、丁寧に扱ったりするので、結果的にモノを大切に使うようになるなぁって最近思っています。本当は順序的には逆の方が良いとは思うけど、結果的に経済的にも、環境的にも、生き方的にも良い方向に進んでいるので、良いかなと思います。

 1カ月検診も終えたので、歩いて5分くらいのイタリアンのお店にお昼を食べに行きました!本格的なお出掛けは初めてです。抱っこヒモに悪戦苦闘しながらも、無事に出発しました。赤ちゃんはぐっすり寝ていて、結局楽しく、ゆったりご飯を食べて、帰って来た瞬間に「ふにゃふにゃ、ウギャー!!」って泣き出しました。なんてタイミングの素晴らしい…!!!

 奥さんも友達も『良い子だね~』って感心していました。ただ、僕はあまり『良い子だね~』っていう言葉は褒め言葉じゃないと思っています。大抵、みんなが『良い子だね~』って言う時って『(”大人にとって”)良い子だね~』だと思います。大人の都合の良いタイミングとか、大人が考えていることにマッチしている行動とか、世間から見た良い子像とか、そうゆうことが多いです。

 だから、大人にとって都合が悪い行動とかタイミングだと、悪い子とか面倒な子として扱われてしまうのは、ちょっと大人側のエゴじゃないかなと感じます。

こうゆう小さな積み重ねが、子どもを創っていく。

 僕もそうでしたが、子どもってやっぱり親から褒めてもらうとすごく嬉しい。小さい時なんて、親に褒めてもらいたいから頑張るってことがほとんどだった気がします。で、さっきの『(”大人にとって”)良い子だね~』を聞いている子どもは、自分がどうしたいかよりも、親にとってどうあるべきかを自然に考えるようになって、親の理想像や大人が考えている子ども像に縛られてしまうような気がします。

 自分が本当にやりたいことじゃなくて、親が喜んでくれるからやる。自分はこっちの方が良いと思うけど、親は違う方を選ぶ方が喜んでくれるからそっちを選ぶ。みたいに、無意識に子どもをコントロールしてしまう、結構危ない言葉が『良い子だね~』なんじゃないかなと思います。

 こんな深く考えずに、もっと気軽に褒めてあげればいいんですけどね。教員になっていちばん感じたのは”やっぱり子どもは親の影響から逃げることはできない”でした。言葉遣いとかモノの考え方とか、仕草、言動って、色々な所から拾ってくるし、綺麗な言葉で言うなら「学んでくる」なんですが、ほぼ8割くらいは親です。

 だから、子どもを育てる時に、今までの自分を一旦見つめ直して、一緒に自分も育てていかないと、うまくいかないんだなぁって日々実感します。忙しいとそれがなかなかできないので、やっぱり余裕とか余白って大切だなって思います。

 何だか、つらつら書いてしまいましたが、だんだん文章量が多くなってきてしまいました。もっとスリム化しないと読みづらいですね。親がどんなことを考えて、悩んで、楽しんでいたのか。何年後かに子どもが読んだ時にどんな事を感じて、考えて、行動するのか楽しみです(^^) 

 

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