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「アイドリッシュセブン、まだ好きなの?」

忘れもしない2015年8月。
わたしはとある夜の山道でガードレールに車ごとぶつかっていた。
あともう少しスピードが出ていたらおそらく死んでいただろう。その一方で、どうして生き残ったのか、もうこのまま死んでもいいかもしれないと一瞬思ったのも確かだった。
同時に、今はこう思う。
あの日、私はアイドリッシュセブンを知らずに死ぬところだった。
それを、アイドリッシュセブンに出会うまで生かされたのだと。

人生にはターニングポイントというものが本当にたくさん存在するけど、確かにあの夏はそういうときだった。9年経った今、そう思う。
長かったけど、ちゃんと生きてる。
色々あったけど、生きてる。

ーーー

本当はこういう話は10周年で書けばいいのだろうけど、来年自分がどうなっているのか、どんな気持ちでいるのかわからないのでこうして9年目の書き出しとして書かせていただいた。
こんにちは、アイナナ激重感情noteでおなじみの(おなじみ????)やまろくです。
約1年ぶりのアイナナnote、何を書こうか、と漠然と考えている中で、アイドリッシュセブンを取り巻く現状と、それについての自分のお気持ちをたくさん綴ろうかと思う。

毎回のごとく、これは100%、やまろくの個人の意見と気持ちです。賛同や意見もあるかと思うが個人の見解ということでご容赦いただきたい。

というわけでまた取り留めのない話ばかりであるが、アイドリッシュセブンっていいなあと思っていただければ幸いである。

ただのソシャゲだったアイドリッシュセブン


思い出せば、RoadToInfinityの頃、当時のフォロワーが鼻息荒く「ブランディングなんですよ、アイドリッシュセブンは!」という話をした、その通りの未来が来ている。
10年という長い時間がすぐそこまで来ている。

『アイドリッシュセブンを何十年も愛されるものにしたい』

https://idolish7.com/9th_anniversary/

9周年のメッセージに添えられたこの微かな夢。ソシャゲというあぶくのような存在がそんなに長い時間を迎えられたら、という希望と祈りにも似た何かが、現実になろうとしているのだ。

9年という時間をかけて、アイドリッシュセブンは「アイドリッシュセブン」を確立した。
1からの挑戦、否、ゼロ地点からのスタートだった。何者かもわからない存在は、「ああまたイケメンソシャゲね」と一蹴される可能性だってあったのだ。
ソシャゲの初期段階のことを考える。運営としては、会社の事業として必ずこれをヒットさせようという気持ちはもちろんあるだろう。運営の上の方の人なんかは、5年後くらいの展開を考えているのかもしれない。

だけど、それは続いていくという前提があってのことだ。
数年で終わってしまう、知られないまま終わってしまうものはこの世にごまんとある。好きだった、こんなこともあった。このコンテンツってこうだったね、とそんな思い出はたくさん残るけれど、多くの人はどんな形であれ「おわったもの」として扱ってしまう。

アイドリッシュセブンも、9年前はそうなる可能性を秘めたコンテンツだった。飛びぬけてよいものでも、それを継続する必要がある。一発屋じゃいけない。
アイドリッシュセブンは、そのストーリー性とキャラクター、楽曲の魅力、そうして運営の熱量とユーザーの愛情とが噛み合って、「ソシャゲの平均寿命」を乗り越えることができた。
(インターネットによると平均するとだいたいサ終までは3年程度らしい、ソシャゲ黎明期リリースとはいえかなり長命だとおもう)

では、その間他のゲームが出ていないかというとそうではない。
何でもそうだが、売れているものを真似たり、要素を取り入れたりして新しいものはどんどんリリースされる。「何がユーザーの心を奪えるか」という競争は日夜行われている。

アイドリッシュセブンのいいところ、好きなところ。どうしてこんなに愛されるのか、理由はたくさんある。
ストーリーがよかったね、ゲームが面白いね、キャラがいいよね。音楽が好きで。
運営がキャラクターに愛情深いこと、常にユーザーを楽しませようとしてくれるところ。
もちろんこれ以外にもたくさんあるし、そのどれか一つを欠いてもここまで来ることはできなかった。

その一方で、それはソシャゲの最初の数年だけしか通用しないという懸念がある。
基本のゲームシステムの変化がなければ作業になる。ストーリーはよいけれど、限られたものしかない。買い切りのゲームであれば「たまに起動させてもう一回やってみようかな」でできるけれど、ソシャゲはそうはいかない。
ゲームシステムなんかは本当に最たるもので、10年前のゲームバランスだとどうにもならないことがたくさん出てくるのだ。

そうするとゲームをすることがストレスになってしまう。
あんなに大好きだったアイドルのSSRをみて「またこれか~~~~~」とか言っちゃうようになる。本当に9年前にオフの日大和に〇万円課金した自分に言ってやりたい。それそのあと10枚くらいくるよって。

それを回避する方法がある。
ゲーム以外で供給源を作る方法だ。
アイドリッシュセブンはソシャゲの平均寿命を越えたころ、この施策を取り出した。
わかりやすく言うと、「リアルへの介入」である。

アプリ・リアルの優先度

ムビナナからアイナナにはまりましたという人、再燃しましたという人はこの1年間非常に多く見かけた。
それ以前もアニメからアプリにきましたとか、コラボ商品から、とか。楽曲提供者のファンとか。公式ではないが配信者がやってるからという理由の人もいるかもしれない。アプリにダイレクトでアクセスするのではなく、リアル経由でのユーザーは観測上増えている。

ここ数年のアイドリッシュセブンのアプリというのは、それをそのまま楽しむものというよりも、むしろアイドル達のバックグラウンドを知るための原作として機能する意味合いが強くなっている。こういう背景があるということを知る手段としてアプリのDLをする人が非常に多い。
そうしてそれが進んでいくと、アプリをちゃんとするユーザー、リアルイベントを重視するユーザー、というのが出現するようになる。その是非はお互い言い分があるだろうから割愛するが、言ってしまえば、ユーザーの数だけ楽しみ方が増えているのだ。

この話題が一時期盛り上がった時に、ふとおもったのは、アイドリッシュセブンが多様な楽しみ方を許容できるコンテンツになったのだなあということだ。何十年も愛されるアイドル。アイドルの創出。9年という時間をかけて、アプリやストーリーをやらなくても自分なりの方法でアイドリッシュセブンを楽しむ人をみかけたときに、ああついにこのステージがきたのだなあとしみじみした。

(超自分本位な意見言うと、リアルイベントの当選は通算ログイン日数に応じて倍率替えてくれとはおもっている)

原作が今も続くアプリゲームでありながらアプリゲーム本体が補足的な効果を持っているのはなんともいえない話であるけれど、そういう楽しみ方もできるコンテンツとして確立しているのは事実だろう。好きなように楽しめるのは、今このタイミングだからこそいえる話。だって、リリース時に彼らを知る方法はアプリしかなかったからね。

アイドリッシュセブンが「アイドリッシュセブン」であるということ

正直な話をしてしまうと、ゲームのシステムということだけに着目してしまうときりがない。売れに売れてるゲームの真似をしたところで、アイドリッシュセブンの売り上げが戻るのかと言われると、なかなか難しいところではある。
ゲームのストレスをなくして、さてそれでイベントランキングに参加できるユーザーはどれほどか。100人ハマった人がいたら23人くらいじゃないかとおもう。(体感です)

答えの出ないはなしではあるけれど、個人的に思うのは、「アイドリッシュセブンより面白いゲームはたくさんある、ストレスのない物語もたくさんある、だけどアイドリッシュセブンというアプリはアイドリッシュセブンしかない」ということだ。

どれがいいとか、悪いとかそういうものではないのだとおもう。コンテンツに優劣をつけやすい時代であるし、流行りのものは凄まじい勢いがある。
そういうものを否定する気持ちはない。流行りのものだって食べたらおいしいし、案外はまるかもしれないし。新しい刺激に触れることは人生を豊かにする。

ただ、比較をするものでは決してない。コンテンツのすべてに全肯定しなくてもいいだろう。欠点を愛せというつもりもない。ただ、自分がそのコンテンツを好きだと思った気持ちを大事にして、自分が出来る範囲で愛してほしいとおもう。

こんなことを言っているけど私自身もここ数年間でアイドリッシュセブンの楽しみ方は変わった。
大好きで好きでたまらない、というか、アイドリッシュセブンが自身にとって唯一無二の存在であるというものにかわった。
例えるなら、立ちあげたプロジェクトが自分の手を離れても、まだずっと特別であるということに似ている。もう自分が直接手を出すことじゃないけど、だけどできたらずっと見守っていたい。
彼らに与えられたたくさんの初めての体験、大きく動かされた感情、好きも嫌いもままならなさも、アイドリッシュセブンが人生の中でこんなに特別なものであるということが年々明確になっていく。
「ゲームそんでもないのに何で続けてるの?未だアイナナ好きなの」と言われても、「そりゃ、アイナナだからね」としか答えようのない感情が、いつまでもずっとある。

リリースされた9年前の夏、事故のことがなくても本当にいなくなってしまいたいと思った。今も同じような気持ちになって、朝目が覚めたら自分が消えていればいいのにと思う日もある。
だけど、いまちゃんと生きてる。
色々あったけど、生きてる。
それはひとえに、アイドリッシュセブンの先が見たいとおもったからだ。
物語の続きはないかもしれない。これから先、アプリが永遠に続く保証もない。
それでも、何十年とこの先、コンテンツが紡がれていくのならそれに期待してもいいじゃないか。

9年という時間をかけて、私の中で特別で唯一になったアイドリッシュセブンへ。
どうか、これからも愛されるコンテンツでいてください。

勝手に愛して、勝手に特別にしているいちユーザーより、9年分の愛を込めて。

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