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【小説】40歳のラブレター(6)江ノ島

 この秋の10月に僕は一人で江ノ島に出かけました。早朝に家を出て、府中街道をくだり川崎市に入り、第三京浜を横浜へ向かい、環状2号に出て大船から鎌倉へ入り、鶴岡八幡宮の脇を通り134号に出る。

 由比ヶ浜の前の駐車場に車を止めて秋の浜辺に出て、久しぶりに海風を感じてから、腰越を超えて、江ノ電を右手に凪の海を左手に、カレー屋さんの珊瑚礁を超えて、江ノ島の交差点を左に折れて橋を渡って左手の駐車場に車を停めて、江ノ島神社の参詣道を一人で登って、パンパンと参拝して。


 特にすることもなくて、そのまま車を置いて江ノ島の橋を歩き、右手の砂浜に出て、それなりにいるサーファーを見ながら、タバコをふかす。朝日はもう登り切って、南東方面に躍り出ていて、秋特有の高い空が広がって、海は緩やかにずっと彼方に伸びていき、ゆらゆらと水面が揺れていて。Tシャツ1枚でも寒くない日で、僕は何を考えていたのか。タバコをたくさん吸ったことは覚えています。


 湘南方面はあなたとも何度も来ていて、平塚や鎌倉などは何度か行ったと思います。そんなことを思っていたのか。

 とにかく、海というのは不思議なもので、村上春樹の何かの本でも「海ばかり見ていると空が見たくなり、空ばかり見ていると海が見たくなる」と書いていますが、やっぱり僕は海が好きで、なんとなしでもずっと見ていられます。どこかで、「人間は動きのあるものはずっと見ていられる」と言っていて、その代表例として、揺れる水面と、焚き火などの炎と、恋心、をあげていましたが、まさに、と思います。

 行きも帰りも、134号ではサザンを聴いていました。サザンを聴くために走りに来たと言ってもいいかもしれません。「希望の轍」を聴きながら、朝の134号を走るのは、今でもたまに一人でいきたくなります。

 なんで出かけたのか。理由はわかりません。覚えておくにはあまりにも微かなことで、あまりにも遠いことで。でも、僕が鎌倉や江ノ島について思う時に真っ先に浮かんでくるのが、あなたやみんなといったときのことではなくて、このときのことなんですよね。どうしてでしょうね。不思議なものです。

 もちろん、それはもしかしたら、このドライブに出かけた後すぐに、あなたが、同期で同じサークルのEと付き合うことになった、ということを聞いたからかもしれません。

 僕はそのことを、E本人から直接聞きました。というか、彼が丁寧に僕を気遣って言ってきてくれました。本当にいいヤツですよね。嫌味ではなくて。顔は素敵だし、小柄だけどラグビー含め運動もしっかりできるし、ほどほどに真面目で、でも、とってもユーモアのある話ができるし、何と言っても、周りへの配慮が本当に素晴らしい。学歴も申し分なし。僕が女で、僕と彼だったら、残念ながら僕も彼を選びます。選べるなら。だから、なんか悔しさとかそういうのは綺麗になくて、しかも、僕を立てるかのように慮って話をしてくれて。何にも言えない、というところですね。


 で、彼から、「それでも彼女とはできるならば、今まで通り接して欲しい」と言われて、それはちょっとびっくりしました。別に、そういうことだからあなたと二人で車で長い時間いるとかはやめて欲しい、となるのは当然のことで、そう言われても、それはそうだな、となったと思います。だけど、Eは、サークルでは今まで通りにして欲しい、ということでした。


 今思うと、それって、彼から見ても、僕と一緒にいようがなんだろうが安パイと思われていた、ということかもしれません。芸能人がタクシーの運転手と二人になってもなんでもないのと同じです。そう、映画の中で運転手に恋する女優はいませんから。現実だってそういうことです。

 でもまあ、その時は、ちょっとホッとした、というのが本音でした。僕もこうして書いてると、どうかしてるよなと思うのですが、結局は、Eとあなたとのことを承知した上で、同じような送迎生活を続けていくということになりました。

 大学を出てからしばらくして、何かの機会で東京でEと会った時に、このときのことを聞いたら、彼も「本当は嫌だった」という話を聞きました。でも、周りのことも考えると、そのままの方がいいと思った、ということでした。本当に配慮の男ですね、彼は。


 結局僕は、この後もあなたといる中で、Eとのことについて、話をしたことがほとんどないと思います。いわゆる、彼氏とのしてのEのことを。僕は、聞きたくなかったし、すごく知りたかった。わかりますよね、そういう気持ち。だから、この件については、阿呆になったつもりでいました。阿呆だから、忘れてしまった、阿呆だからどうしていいかわからない、阿呆だから何も触れない、ということです。何回も自分にそういい聞かせていました。頭の中では何度も、二人で車に乗っているときに、あなたに、彼とどこへ行き、何をしているのか、聞こうとしていました。けれど、その度に、それを聞いたらこの関係もそこで終わるな、と思って、なんか、それが怖くて。こうして、ふられて、別な男と付き合って、という現実がありながら、まだ、決定的に別れるのが怖かった、ということですね

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