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【小説】あかねいろー第2部ー 55)ほんの少しだけ見える。だけどはっきりとは見えない。けれど、美しく、優しい。

 私鉄の駅からJRの駅までは歩いて8分程度。北口のロータリーの少し奥の方にあるモスバーガーの前で待ち合わせをする。
 津雲詩音と彼女より少し背の高い、髪の毛を後ろで束ねた同じ制服の女の子の二人はは、僕より先に店の前に来ていた。僕も10分くらい前には行っているのだけど、準備万端、やる気満タンという雰囲気だった。
 僕の方が早く着くだろうと思っていたので、店の前の彼女たちを見つけると小走りになる。
「早いね」
別に僕も遅れているわけではないのだけれど、なぜか少し言い訳のようになってしまう。
「そういうタイプなんです。相手より必ず先についていたい」
ふむ。僕もそういう方と思っているのだけど、僕より徹底している。
「写真部の希美。見ての通り同じ高校の同じ学年で、私とは初等部時代からの付き合いです」
「こんにちは」
少し奥まったところから、小さい声で話す。別にシャイなわけではなくて、単に、積極的な詩音に対して、少し後ろから構えている様子に見える。
「どうも」
一応僕が3年で、彼女たちは1年だ。少しはそれらしくしないと。
 僕が先に立ち、お店に入り、入り口から見て左奥の席に行く。2名テーブルを2つ引き寄せて3人でかける。僕が椅子で、彼女たちをソファーに促す。
 注文は別々に。正直、財力では相当な差があると思われるので、そこで威張ることはできない。僕はジンジャーエールを大きなサイズで。詩音はアイスカフェラテを。希美さんはアイスウーロン茶を。
「質問したいことは、先にLINEした通りなんだけど、多分吉田さんの話を聞いて、あれこれ聞きたくなると思いますので、その辺りはよろしくです」
「写真は、話しているところを少しと、あと、外で撮らせてもらっていいですか」
「もちろん」
ジンジャーエールをぐいと飲む。
「どこから話したらいいの?」
「順番に聞きますね」
これを聞きたいですということは、前の日の夜にLINEでもらっていた。そんなに特別なことはなくて、一通り見て、こんな感じで答えればいいかなというところは頭に描いていた。その1つ1つをもう一度詩音が声にして、僕はそれに応えていく。彼女は聞くことに徹している。音声はスマホで録音をしている。
 花園予選に向けての思い、チームとしての予選への手応え、春に2日戦った桜渓大付属の印象、タウファという存在について、さらには、夏合宿での各地域の強豪校との試合での様子などなど。どれも、話そうと思えば結構長い時間話せることばかりだ。
 取材というのが、一般的にどういう形態を取り、どういう様子で行われるものなのか、僕には判断材料はまるでない。それでも、こうしてしっかり話を聞いてもらっていると、僕の中で不思議な気持ちが芽生えてくる。それは、話していけば行くほど、なんだか自分がとても素晴らしいチームにいて、素晴らしい選手で、素晴らしい活動をしている、素晴らしい人間のように思えてくることだった。ちょっとした高揚感まで覚える。必然的に話が饒舌で冗長気味になっていく。
 そういう点では、津雲詩音はナチュラルにやり手なのだろう。メモを取ることは一切しないで、短い質問だけして、僕の話を正面から真剣に聞いている。その姿勢は、いわゆる記者による取材というよりは、恋人が相手の話を真剣に聞いてるかのような錯覚すら感じる。
 時間的に言えば30分を過ぎたくらいで用意された質問は概ね終わる。特にタウファという選手についての僕の思いという点は結構深く突っ込まれた。初めて彼と相対した時、そして、その後どういう思いでリベンジマッチに臨んだか。なぜ彼に対して、そんなに執着するのか。そこには、留学生ということは要素としてあるのか、あるならばそれは少し差別的な思いはあるのかなど、かなり際どい話まで出た。
「記事にする内容は、事前に吉田さんに見てもらいますので、もし気になるところや、避けてほしいところがあればそこで言ってください」
そこまでいうと、彼女はスマホの録音機能を止める。
「ここまではお仕事です。ここからは、個人的に聞きたいこと」
彼女は、一口、二口しか口をつけていないアイスカフェラテを少し飲む。僕は首を傾げる。希美さんはカメラの何かを点検しながら、鞄へとしまう。
「吉田さんって、大学はどこに進学するんですか?」
僕らは高3だ。秋の高3生に対してはごくごく自然な質問だろうけれど、僕は少しその真意を図りかねる。
「大学?」
「進学するんですよね?」
「まあ、そりゃあ」
「推薦とかきているんですか?」
「推薦、大学の?ラグビーで?」
「そうです」
それはないし、思ってみたこともなかった。そういう次元の選手ではない。
「ないよ、それは」
「タウ君は、間違いなくこのまま桜渓大に進学すると思います」
「まあ、それはそうだろうけれど」
「吉田さんも、桜渓大とかどうですか?」
桜渓大は、東京の私立では文系ならば最上位に位置する学校だ。僕らの学校からも毎年それなりに進学するけれど、流石に簡単に行ける学校ではない。
「どうだろう」
としか言いようがない。現状は、僕はほとんど受験準備と言えるようなことはしていない。このまま11月までラグビーを続け、よもや花園に行くことになれば12月から正月までかかることになる。そうなると、受験準備に費やす時間はほとんどなくなる。桜渓大に行きたいと思うならば、浪人が前提になるようには思う。でも、浪人を挟んでラグビー、しかも桜渓大ラグビー部、全国制覇を目指すようなラグビー部でやっていけるのだろうか。
「今は具体的に考えていることは特にないんだよ。それじゃダメだって、四方八方から言われるけれどね。大学に行って、本当にトップの学校のラグビー部で通用するのか、正直自信は全くない。僕はこのチームではやれているけれど、それは、このチームだからなんじゃないかなと感じるところがあって。個人で見れば、県代表のセレクションに行っても、選ばれた人たちと、明らかにレベルの違いを感じるんだよね」
詩音は僕の言ったことを、さっきよりも強い目で聞いている。
「そういうところ、吉田さんらしいですよね。プレーについて話している時、チームについて話している時のまっすぐなトークからは、とても一直線な自信を感じるのに、自分のことになると、急にふわふわして、落ち着かない感じになって、捉えどころなく見える感じ」
「そうかな。。なんでだろう?」
「なんでなんですか?」
「そんなふうに思ったことはないから。。」
カメラの点検を終えた希美さんが、「ちょっとお手洗いへ」と言って席を立つ。
「吉田さんって、彼女いるんですか?」
「いないよ。今は」
「ということは、前はいた」
「ということになるかな」
「ふむ」
「近くの女子校の人ですか?」
「いや、、」
ちょっと躊躇する。沙織のことが頭に浮かぶ。そういえば、骨折したことを伝え、随分と心配をしてくれた8月の終わり以来LINEもしていない。
「そう。文化祭に来たときに会った」
「やっぱりそうなんですね。その辺は、桜渓大付属の男子たちと同じですね」
「まあ、男子校だからさ。それくらいしか出会いの場はない」
「ふむ」
「私は、吉田さんにすごく興味があります」
「興味?」
詩音は少しだけ顔を沈め、机の上の右手の親指と人差し指で左手の人差し指をこする。
「興味というのは、つまり、、、」
もちろん、僕もそこにある彼女の言いたいことはわかる。けれど、だいぶ意外なことなので大いに戸惑い、心臓の鼓動が大きくなる。
「今度、ラグビーの大会が終わった、ずっと後でいいんです。一緒に出かけませんか?」
彼女が随分と積極的な方なのか、それとも、この手の学校の人たちはそういうものなのか、僕には図りかねたけれど、なんにしても冷静な気持ちは吹っ飛んでしまった。
 そんな展開は妄想しないではなかった。
 そもそも初めて会ったところから作為的なところがあるし、彼女は僕に対してなんらかの興味があり、それをある程度確信に深めていったのか、そこまでではなくとも、個人的な興味も持ってくれているのだろうなとは思っていた。でも、僕の中には、だからと言ってそれが、何かの発展を遂げるとは思えていなかった。それはしょうがない。男性としての自分に自信を持てと言われても、今の僕には(あるいは今後も)難しい。そして、同時に、そういう発展を妄想せずにもいられなかった。そういう、2つの思いの綱引きは、いうまでもなく前者が常に勝利する。後者だったら、僕は今日来れていないかもしれない。緊張しすぎて。
「うん」
ようやく絞り出したのは、小さなふた文字だけ。否定はできない。かといって、オッケー、是非とも一緒に行こう!とも言えない。まさに、彼女のいう通りの、捉えどころのなさだ。
「すいません・・困らせるようなこと言って」
「いや、、驚いてしまって。なんかさ」
「迷惑ではないですか?」
「そんなことはない。絶対ない」
そこだけは力を込める。
「大会の後」
「そうだね。こうしてようやく三角巾が取れて走れるようになったから。これから、この1ヶ月近くを取り返さないといけない。だから、今はね」
「でも、きっと準々決勝です。次会うのは。私は桜渓大付属の応援ですけど」
「申し訳ないけど、そこは勝つよ。僕らが」
急に確信的な物言いになる。確かに。チームとラグビーのことになれば自信が出て来る。不思議なものだ。
「記事の原稿、明日にはLINEしますから、チェックしてくださいね」
「うん」
「そのほかにもLINEしていいですか?」
「いいよ、もちろん。僕もする」
一歩だけ前に踏み込んでみる。すごく慎重に、すごく丁寧に。
 希美さんが戻ってくる。3人で片付けをして、外へ出る。モスバーガーの前で僕のワンショットを撮る。なんだか気恥ずかしいけれど、まあしょうがない。
「今日はありがとうございました」
詩音と希美さんが二人でぺこりとお辞儀をする。後輩らしく、謙虚に丁寧に。
「こちらこそ」
「タウファによろしく。必ずぶっ倒すから、って」
詩音はにこやかに手を振る。

 詩音たちと別れ、来た道を私鉄の駅に向かって引き返す。商店街は学校帰りの学生で溢れている。この近辺に公立私立合わせて8つもの高校がある。中学校まで含めればもっとになる。
 17時に近づく街は、空の水色が色褪せてきて、はるか向こう、北関東の山々の稜線がほんのりと淡いピンク色になり始めている。
 私鉄の駅から各駅停車の電車に乗る。幸い、同じ高校の知り合いとは出会わない。今、誰かに話しかけられたら、魔法が解けてしまいそうに感じる。
 空席だらけの先頭車両に乗り、前から2つ目のドアの前に立つ。そして、ずっと向こう、山々のもっと向こうの空を見る。
 何か考えた方がいいんだろうなと思うのだけど、その一方で、何も考えたくない。何か考えることで、やっぱりこの魔法が解けてしまうような気がする。
 何も考えずに、綺麗な澄んだ秋の夕方の空を見ていると、くすぐったい気持ちが断続的にやってくる。ほんの30分前は大きな鼓動を叩き出していた心臓は、今度は小刻みな震えを伴って拍動しているように感じる。
 このまま、何も考えず、どこにも行かず、何も起こらないままだったらいいのになと思う。ただ、あの山の、また少し茜色の増した稜線の向こうだけを見ていられたいいのに。ほんの少しだけ見える。だけどはっきりとは見えない。けれど、美しく、優しい。

 やがて電車は工場群を抜け、森の横を走る。僕の視界は遮られる。夏の終わりの日差しは届かなくなり、顔がひんやりとした空気に触れる。そうして、僕の魔法もだんだん薄らいでいく。

 沙織のことを考える。7月の花火大会のことを思う。雨の中、濡れながら夜空を見上げ続けたことを。”それはきっと、雨と花火とあなたのせい”というLINEを。花園の予選を見にきて欲しいと言ったことを。僕のことを”妬ましい”といった彼女の心を。
 そして、今日の出来事、いやこの3日間で起きた詩音のことを考える。
 この二人の女の子と、僕の今の状況が指し示すこと、そして僕の心の中を、自分で探してみる。どこかで、自分が何かの搾取をしているのではないかという疑念が湧いてくる。僕の気持ちが、両方の女の子に向いていることを確かに感じる。それが、好きだとか、恋愛感情だとか、そういう類のもの中と言われれば、きっとそうなんだろうけれど、うまく言えない。迷うというのではない。自分が、こんな思いと状況を抱えていることに、なんだか世界に申し訳ないことをしているような気持ちになる。
 あと二駅で乗り換えだ。住宅とビルが増え、空の茜色は勢力を増して来る。
 頭ではわかっている。どちらとも付き合っていないし、明確な関係ではないのに、こんなことを考えていること自体が馬鹿げている。そもそも、さあ、いざ付き合うとなったら、やっぱりごめんなさい、となるかもしれない。その可能性は十二分にある。
 だから、こんな、取らぬ狸の皮算用的なことに悩むのは、極めて馬鹿らしいことだなんて、頭ではわかりすぎるくらいわかっている。
 でも、よく晴れた夜に、月も綺麗だし、星も綺麗だというの当たり前のことだ。それは、人間の自然な心だ。今は、それでいいじゃないか。それだけで。
 僕は、あまりにも自分の考えた方向にばかり行こうとしすぎる。自分で考え、自分で選択することばかりが大事だと。でも、違うのかもしれない。いい加減、その生き方、考え方を変えないといけないんだろうなと思うし、でも、その不器用で少し陰気なところが自分なのかもとも。

 電車が乗換駅に着く。ドアが空き、ゆっくりと右足からホームに降り立つ。
 家に帰ったら走ろうと思う。やっと走れるようになったんだ。5キロくらい走ってこよう。いいんだ、沙織も詩音も。わかんないんだよ。本当に。でも、温かいんだ。心が。
 だから走ろう。どこへ。まずは花園へ。

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