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【連載小説】猫人相談所(2)黒魂の告白

 ふざけた話だ。「猫人悩み相談所」。猫人?相談所?ブランコと看板しかないし、そもそも誰もいないじゃないかと思う。が、しかしその時、ブランコが小さく揺れていることに気づいた。2つあるブランコの右側に誰かが乗っている。
 僕は目を上げる。いや、目を上げてしまった。
 そこには、真っ黒なな猫の被り物をした、男か女かわからないけれども、おそらく人だろう、真っ黒な上下のツナギを着た生き物がいて、ブランコに座り、両側のチェーンを持ち、音もなくブランコを揺らしている。彼、あるいは彼女も僕の存在を認め、明らかに顔と思わしきものをこちらに向けている。
「こんばんは」
被り物の下から出てくる声はくぐもっており、随分と低く掠れている。
「あなたの悩みをお聞きします。こちらの席にお座りください」

 もちろんそんなものはやり過ごせばよかった。だけれども、猫人のその誘いは、僕の心の中にあった小さな何かの種に働きかけ、ほんのちょっとだけど、話を聞いてみたいという心が生まれる。家も近い。知らないところではない。何か不測の事態があっても大きな問題にはならないはずだ。
「いいですか?」
僕は猫人のブランコの前に進み話しかける。猫人はブランコをすっと止めて立ち上がる。
「こちらの席に座ってください」
猫人は、もう1つのブランコを指し示す。僕は言われるがままに向かって左手のブランコに座る。
 このブランコに乗るのは何年振りだろう。小学生の頃は友達と集まり、ブランコを大きくこぎ、そして靴を向かいのクヌギの木に向かって蹴って飛ばしあったりしていた。しばしば靴は木に引っかかり、今度は木に登って靴を取りに行った。木登りをしていると、よく近くの小うるさい年配の男性に怒られたりもした。
「田中さんですね」
どういうわけか猫人は僕の名前を知っている。
「あなたのことは昔からよく知っております。いつかお話をしてみたいと思っていました」
僕は頭を必死に回す。誰だ、誰だ、この猫人は僕のことを知っている。つまり、この中の人間は僕の知り合いか、何かで僕のことを知っている人ということになる。冷たい空気が僕の周りを覆う。
 猫人は僕の動揺を見透かしたように後ろに回り、ブランコに乗った僕の背中を押す。ブランコはゆっくりと動き出す。音はしない。風も感じない。
「私は田中さんのことを知っています。だから、改めて自己紹介をしてもらう必要はないです。あなたの最近のお悩みをお話ししてください」
ブランコは3秒程度の周期でゆれ続け、僕の後ろの頂点に行くと、猫人がそっと僕の背中を押す。強さはない。でも温かみもない。
「どうして僕のことを知っているのだろう?僕はあなたにどこかであったことがあるのだろうか?」
僕は問いかけてみる。
「それについては今はお答えするつもりはありません。いずれわかるでしょう。」
「まずは、杉元さんとの関係をお話しください」
ふむ、と思う。甚だ出だしとしては向こうペースで気に入らない。こんな不公平な話はここで終わりにして、さっさと帰ってビールを飲んでしまう手もあった。しかし、一度芽生えたその種はほんの短時間でぐんぐんと伸びてきていた。
「わかりました」
僕はブランコのチェーンを握りなおす。猫人は少しブランコの振りを大きくするように強く背中を押す。ブランコは45度くらいの高さまで降り上がる。僕の体は完全に地面から離れ、夜の空気の中を移動する。

「杉元さんとは去年の春に初めて会いました。僕らのサークルに彼女がマネージャーとして入ってきたのが最初です。同じ大学で、僕が3年生、彼女が1年生でした。3年生というのはサークルの幹部学年で、僕たちは部員やマネージャー集めに必死で、彼女も最初の頃は、なんとか引き留めて入部してもらいたい多数のうちの1人でした。」
「2ヶ月後くらいに、彼女と、その同郷の女の子の2人が入部することになって、聞けば彼女が住んでいるのは僕の住んでいる駅の1つ隣でした。それがきっかけで、僕は彼女の送迎係に任命されました。新入部員、特に女子マネージャーをしっかり確保することは最重要命題で、手厚いフォローが必要とされていました。僕は基本的にサークルに行くときには、車で彼女を迎えにいき、練習場や試合会場に連れて行き、帰りも責任を持ってしっかりと家の近くまで送り届けるようになりました」
「ありきたりな展開ですが、車で送り迎えをしているうちに、僕は次第に彼女に好意を持つようになって行きました。具体的にどこが、とか、何が、と言われると困るのですが、まあ、見た目は確かに美人の方ですし、話し方は男性に少し甘えるような感じがあって、一緒の時間をあれこれ過ごしていればそうなっても普通かな、と。ただ、そういう彼女ですので、彼女に好意を持っている男性が他にもいることは察せられ、また、役回り上、僕はサークルの上級生で、いつも車で送迎していて、なんだかあまり表立って好意を持っているということを知られるのは良くないように感じていました」
「だから、僕は、彼女への好意はできる限り外に出さないように。彼女にも、他の人にも知られないように、結構注意をしながら振る舞って来ました。僕が、明確に彼女のことを好きだと認識していたのは、おそらく彼女の友人の笹川さんくらいじゃないかな、と思います」
「僕としては、彼女のことを好きでいながら、都合のいい人を演じること自体は、意外と苦ではなかったです。ただ、彼女を迎えに行く前、彼女を送ってさようならをした後の時間はなかなか辛かったです。期待感と喪失感で」
猫人は何も言わない。しかし、その手には少しの温かさが感じられ、その手の圧力は、僕に対して「話は聞いている」というメッセージを伝えてくる。
「そんな関係に対して、このままではダメなんだと思ったのは今年の春の合宿の時で、真夜中の千葉県の白浜の海で、日本酒の一升瓶を海に浮かべて、みんなでそれを取り合うということをしていて、あまりにも騒ぎすぎて近隣の住民に通報され、警察に随分と怒られた後に、真っ暗な空と、黒い海と白い波飛沫をぼーっとみながら、どうしてか、その場にいなかった彼女に対しての気持ちが昂り、高鳴り、どうにも堪えきれなくなりました。どうしてでしょうね。随分とお酒が入っていて、警察に食ってかかって、春の夜の海はまだ冷たくて、海水で濡れた全身には海からの風が冷たくあたり、でも、この暗い、黒い世界の先には何かがあって、その何かに対して僕はとても期待して興奮していたように思います。それで、今、ここで、彼女と一緒にいたい、北海道に帰っている彼女と、今こそ話がしたい、しなければならないと思いました。」
「4月になり、僕は彼女を家の近くの湖に連れ出して告白をしました」
「ただ、正直言えば、結果は話す前からわかっていました。話すことや受け答えを何十回と事前にシミュレーションしてみたのですが、やればやるほど、うまく行くだろうという感触はなくて、ああ、こんなんなら告白なんてしないほうがいいやと思ったのですが、でももう決めたんだからやろうと思い、突っ込みましたが、結局は玉砕でした。」
「そして、彼女からは逆に、実は今、同じサークルの同学年の子と付き合っているということを告げられました。ストレートを打ち込んだら、強烈なアッパーカットのカウンターを食らってノックアウト、という感じですね」
ほんの数ヶ月の前のことだ。まだまだしっかり覚えている。湖の堤防は800mくらい。春の湖の水面は明るく、桜の散った後の公園の木は陽気に緑で、平日の昼間の堤防の歩道には人影はなく、少し強い北風が少しだけ「まだ完全に冬が終わったわけではないんだぞ」という感じで主張をしてきた。でも、そんな僕らには上空、遥か宇宙の彼方から、優しい黄色の光が包み込んでくれて、こわばった肌を温めてくれる。そんな季節の行き交う午後、いかにも生きている、いかにも清々しい午後に、僕は最悪の選択をした。
 猫人は僕の後ろにいる。その手は規則的に僕の背中を押す。ブランコは引き続き揺れているけれど、45度の角度は少しだけ高くなったように感じる。気のせいだろうか。
「それで僕は、彼女との関係をどうするか、考え、決断をしなければなりませんでした。告白して、フラれた女の子と引き続きいつもの通り車で送り迎えをするのかどうかがまずは最大のテーマで、普通に考えればそれは手を引くべきだと思えました。それこそ、彼女との付き合っている彼からしても、いい加減にしてほしいと思うでしょうし」
「そういう当たり前の判断のもう片方で、でも、サークル内の関係に関して言えば、特別に変わらず振る舞うべきではないか、という考えも僕の中にはありました。僕は4年生でレギュラーで、2年生の彼もレギュラーで、彼女にしてもマネージャーとして中心的存在でもあり、その辺りの関係性については、今のままにしておいたほうがいいのではいか。それもそのような考えもあるなと思いました」
「結局僕は自分で決断することができず、彼女に聞きました。LINEをして、”僕は気にしないけど、あなたが気にするなら車で送るのはやめておこうか”と聞きました。こう思うと、聞き方が卑怯ですね。。彼女に責任を擦り付けていますね。まあ、こういうところが僕のダメなところなんだろうな、と思います」
「彼女からの返事は”今まで通りだと嬉しい”というものでした。そこで僕は、引き続き今まで通り、いい人を演じる続けることにしたわけです。繰り返しですが、そうやっていい人を演じること自体は、僕はそれなりに上手に振る舞っていると思いますし、それほど苦にも感じませんでした。」
「そうして春のサークルシーズンが終わり、夏休みに入りました。この後僕たちは9月の頭から長野に合宿に行きます。そのときにも、彼女を車に乗せることになるでしょう。僕としてはそれでいいんだと思います。僕は今年で大学は卒業です。彼女との関係も、いい人で終わっていくのかな、と思っています」
そこまで話すと、僕は少し大きくため息をつく。すると、僕の体の胃の内側にある空間から何かぬめりのあるものが上がってきて、ため息と一緒に黒い魂のようなものがぬめりでる。その黒魂は僕の口から出ると、浮力を受けたのか、ふわりと上空へ上がり、次の瞬間、猫人がそれを大きく吸い込む。そして、その黒魂は猫人の体に取り込まれ、反応する。猫人は僕の背中を強く押す。確実に、確信を持って強く押し出す。ブランコは60度を超えて上がり出す。その手の感触は先ほどまでの温もりはなく、冷たい、怒気を含んだものに感じられる。

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