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ADHD・ASD 好きは後からついてくる 89

好き について書いていきます。

好きな事をしなさい。と言われる。
好きな事がわかっていれば、できるけれど。なんとなく好き、
好きがわからない状態がある。

やっみなければわからない。やった結果「好き」「楽しい」がついてくる場合がある。初めから好きなこを限定するのは難しい。

初めから好きが「づーと続いたら良い」途中で続かなくなる場合だってある。どうして好きが「づーっと続くという保証」あるのだろう。

途中で「違う」と気づいた時          周りの人は「三日坊主」「途中でやめるな」   と言ったりする。「だからお前は、出来ないんだ」「我がまま」「飽き性」だと言う。好きだからと言って「づーっと続く」とはかぎらない。
「他の好き」がやってくる場合だってある。

どうして、一つの「好き」をずーっと続けないとと周りの人は納得しないのか? 強制しようとするのか?中途半端だと言って非難するのか?
「自分の事を思って言っている」のはわかるけれど負担になっている。
「違うな?」と思った事を「強制的にやり続けたってなんにもならない」

自由にやらせてくれたら良いのに。
子供では、ないけれど好きは、「変化する」「変わってくる」
もしかすると変わり方が、激しすぎるのかもしれない。
小さな変わり方なら「許容範囲」かもしれないけれど

あまりにも「ジャンル」が違ったり「今までと違うことに興味」を持ってしまうと「許容範囲」を超えているのかもしれない。「・・・・?」になっているのだろう。

「嫌い」と言っていてもやってみると「意外と好きかも」とおもってしまうこともある。「嘘つき、呼ばわり」される「嫌いと言っていたでなないか」
確かに。言っていた。でも嘘は言っていない。「嫌い」だと思っていた。
でもやってみて「好きが後からついてきた感じ」...

「嘘つき」 になっている。

「天才と馬鹿は紙一重」というけれど
「好きと嫌いも紙一重」と言いたい。

なんでもやってみないと「好き」「嫌い」なんてわからない。
そもそも「存在を知らないと」判断なんてできない。
人は言う。「自分で調べればいいと」
調べられる人は、良い

わからないが、わからない状態だってある。
「わからない」が「わかるようになる状態」
これが認識できるようになって初めの一歩が踏み出せる。

「質問」できる状態に持っていける。
「質問」が出来たなら前に進める。

「質問すらできない状態」を説明するのは、難しい
自分でも理解不能なのだから、まして説明なんてできない。


言っても認めてくれない。何を言っているの「理解できない」
当たり前がわかっていないのだから。仕方がない。諦めるしかない。


わかっていただける方がいれば嬉しい。


あまりにも「レベルが低すぎる」
分かる以前の問題がわかっていない。
そんな状態を説明するはのは、どうかと思う。
自分にもできない。「言葉がない」と言うのが正直な所

やっと自分の「謎の部分を」語源化する事ができた。
今までそれすら「できなかった」
ただ「謎の笑み」で逃げるだった。「わかったふり」だった。

noteをやっていて良かったと思う。
誰かが読んでくれ、何かを感じていただければ良かったと思う。

読んで、いただきありがとうございました。
感謝です。






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