何でもかんでも言えばいいってもんじゃない
お疲れさまです。
オリーブ金花です。
さて、仏教には、人間の苦悩のひとつに
「自分の気持ちを分かってくれない」
ってのがありましてね。
自分の気持ちを相手に分かってもらおうとする
その「心」こそが苦難…みたいなこと書いてましたわ。
しかし、人間つうのは、それでも尚、自分の気持ちを「分かってもらおう」と必死になるわけで。
しかも最近はS N Sでもそういう傾向が見られます。
いち「他人」に対して、「伝えること」が「善だと信じて」、びっくりするくらい長文の書き込みをする。他人の領域で。
まあ、書き込んでる己がどこの誰か分からん状態なら、「もの申すオバケ」になっても仕方ないのか?
しかし、 S N Sなんてのは、ある意味「空虚の世界」。案の定、そんな事をやりつづけても疲労するだけなんよね。
そりゃさ、どこの誰か分からん、顔も知らん人の気持ちなんか、これっぽっちも分かるわけないわな。
でも相手に理解を求めようとするんよな?
そして、案の定分かってもらえなくて暴走→知らんうちに消える。
そういうのよく見かけるが、その理解を求めようとする行為自身が自分を苦しめてるって知らないのな?どうなんだろな?
さて、このあたりで冒頭の話に戻るけど
誰かに分かってもらおうとさえ思わなければ、ま~どれだけ楽になるか。
そりゃ、それだけで全ての悩みが消えるわけではないけど、だいたい6割くらいの負担は消えると体感でも感じてる。
それによる争いもグッと減る。
言わなくていいこと、伝えなくていいことが減るからね。
だから、そんなことも知らずに自分の意見を押し付けてくる人に、私はよく言うのです。「自分を理解してもらうのを諦めた方が楽になるよ」ってね。
とは言え、「よく関わる人」なら
「自分の気持ちを伝えないといけない」のは分かります。
家族、夫婦、友達…
分かってもらえるかどうかは別として
自分の行動を制限させない為に
「伝えないといけない」
そりゃ、そんな時もあるでしょう。
もちろん、そんな時は伝えた方がいいんでしょうが…
ただ、相手に「必ず分かってもらえる」と期待しない方が賢明。
そう「覚悟」をして、伝えましょうね。
分かってもらえたら、ラッキー。
もらえなければ、それが「通常運転」です。
「伝えたという事に意味がある」
その程度で納得しましょう。
特に血縁ほど、自身を勘違いしてる傾向もあります。
血縁だからこそ、長い歴史が「思い込み」を生むなんてことは、不思議ではありませんからね。
つまり、そんなもんだから
分かってもらえなくても、ガッカリしないでね!
それでも、寄り添ってくれようとする人は
きっと人生の中で何人も訪れますから
それはとても幸せなことだから
感謝の気持ちをこめて
自分も相手に寄り添ったらいい。
そして時には「相手の事を考えて」頭に浮かんでも言葉にしない。
何でも「言えばいい」ってもんじゃない。
何も言わない方が最善の時も沢山ある。
言わないのが「優しさ」なんです。
相手を思い
自分の言動をセーブする。
言う方が圧倒的にスカッとするけど…
ぐっと堪えて、本当にそれが伝えるべき言葉で良いタイミングなのか、声を出す前に一呼吸して考えてみよう。
意外とね、一呼吸したら、どうでも良くなってくるから(笑)
人には何億もの細胞があり
その細胞ひとつひとつが生きてるんです。
つまり何億パターンも複雑ってわけだ。
ならば、色んなことが分からなくても、分かってもらえなくても
当然であり、それが「普通」。
それでもそこに、他人を敬う気持ちがあれば、生きていける。
共存できる。
だから、そろそろみんなも気づこうぜ!
「言わない優しさ」ってやつをさ!
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